第27話

 彼女、僕の目の前に腰かけているリィルという少女は、自分がウッドクロックであるために僕に迷惑がかかっていると思っているらしい。確かに、それはある意味では事実かもしれないが、僕としては、その種の迷惑は人と人が付き合っていくうえで避けられないものであると思っている(念の為に付け足しておくが、彼女は人ではない)。というよりも、そういうものは普通は迷惑とは呼ばない。そんなものまでいちいち迷惑だと感じていたら、群れで行動する人間はいったいどうすれば良いというのだろう。


 僕とリィルは、たった今とある施設から帰ってきたところで、そこで色々と悶着と呼べるような事態が発生した。具体的には、その施設を管理する男性が何らかの原因で負傷し、それを彼女が介抱して、各種様々な面倒事が露呈するに至った、というものなのだが、想像を遥かに超えてスペシャルな事態だったのは確かだとしても、そんなに気に病むような内容ではなかった、といえる(ここまで考えて気がついたが、これでは全然具体的な説明になっていない)。


 そして、問題なのはここからである。


 驚くべきことだが、その負傷した施設の管理人というのが実はウッドクロックで、さらには、彼が自分がウッドクロックであることを自覚していない、ということが発覚したのだ。


 まだ確証があるとはいえないが、彼が自分自身の素性を自覚していないのはほぼ確実だといって良い。僕と彼はそれなりに長い付き合いだったから、僕には、彼が、今まで意図的にそのことを話さなかったとは考えられない。そんなことをする理由がどこにもないし、第一、自分がどんな生き物であるのか分からないということは、本来ありえないからである。したがって、彼は、今まで、自分が人間であるものと思い込んで生きてきたと考えるのが、より自然になる。


 しかし……。


 それ以上に考えなくてはならないことがある。


 それが、では、どうして、彼は自分自身がどんな存在なのか知らないのか、ということだった。


「彼が自分がウッドクロックであることを自覚していないのは、たぶん、そうするようにプログラムされていたからだと思う」僕はさっさと話題を変えて、さも当たり前のような顔でリィルに話しかけた。「彼が言っていた、トラブルメーカーという企業だけど、やっぱり、そこが何か関わっているんじゃないかな」


 リィルはちょっとだけ落ち込んだような表情で僕を見る。


「うん、まあ、そうかも」


「それに、あのブルースカイと呼ばれるコンピューター」僕は言った。「あれが、どうにも気になって仕方がない」


「どんなふうに気になるの?」


「たとえば、箪笥の中に牡丹餅が入っていることを知りながら外出したとき、まだ誰にも食べられていないかな、と心配するみたいに気になる」


 僕がそう言うと、リィルは少しだけ笑ってくれた。


「それは、箪笥じゃなくて、棚、の間違いじゃない?」


「君さ、そういうどうでも良い知識は豊富なんだね」


「え? それって、ちょっと酷いかも」


「そう?」


「うん……」


 僕は窓の向こうを見る。


「まあ、それはどうでもいいとして……。……彼があの施設の管理人を務めているのには、やっぱり、何か、理由があるんだ」


「それは、私もそう思うけど……」


「君とも何か関係があるんじゃないかな?」僕はなんともないような顔で呟く。


「何かって、どんな?」


「君は、自分がウッドクロックであることを自覚しているんだろう? けれど、彼はその真逆、つまり自分がウッドクロックであることを自覚していない。こんなふうに並べて考えると、どうしても、そこに何かしらの関係があるように思えてならないんだ。それが良いものなのか、悪いものなのか、それは僕には分からないけど、でも、可能性として捨てきれないような、そんな微細ながらも重要な関係であることは確かだと思う」


 リィルは腕を組んで椅子の背凭れに寄りかかる。そんな格好をしている彼女はどことなく精悍で、僕が理想とする人物像をまざまざと表現しているように見えた。


「色の三原色は、混ざるとどうして黒になるのかな?」


 僕は何の前触れもなく彼女に尋ねた。


「え?」リィルがこちらを見る。僕は瞳だけを動かして、彼女の多少驚いたような顔を見つめる。


「君の体内には、赤と、青と、黄色の液体が流れている。それらが混ざれば黒になる、と思ったんだ」


「あ、そうか、たしか、そんな話をしたような……」


 施設の管理人を務める彼の手当てをする際に、リィルは自身の腕を通る管を破損させて、赤色の液体を彼の負傷部位に注いだのである。そのときに彼女が色の三原色について語ったことを、僕は記憶していたのだ。


「君の体内を流れている血液は、どうしてその三色なの?」


「うーん、それはちょっと分からないけど……」リィルは考える素振りを見せる。「でも、それは人間にも同じことがいえるんじゃないかな」


 それは、僕もその通りだと思っていた。彼女が体内に有する管は、それぞれ、赤、青、黄色、といった配色になっているが、これは人間でいうところの動脈、静脈、リンパ管に当て嵌まる。したがって、どうしてその三色であるのかという質問は、ウッドクロックだけでなく、人間にも同様に適用することができる(厳密にはリンパ液は黄色ではない)。

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