第22話

「君は、僕たちに勉強しろとでも言うつもりかな?」


 僕は目の前に座る彼に質問する。


「どういう意味?」


「こんなに沢山飴ばかりあっても、食べるのに困るだけじゃないか」


「まあ、そうかもしれないな」


「君は普段から飴ばかり食べているの?」


「いや、普段はそもそもお菓子は食べないんだ」彼は言った。「だから、その飴も随分と昔のもので、はっきり言って健康によくないと思う」


 僕は皿の中に人差し指と親指を入れ、ピンセットで掴むように金平糖を一粒摘み上げる。確かに、表面の所々に黒ずんでいる箇所があって、お世辞にも美味しそうとは言えそうになかった。


 結局、僕はその金平糖を食べるのはやめた。


 彼はこの施設の管理人を務めている者で、ベソゥという名前である。この建物はかつて図書館として機能していたのを改造したものであり、今は街中のありとあらゆる情報を収拾し、多種多様な事態に対する処理を行う機関として存在している。ちなみに、職員は彼たった一人だけである。ほとんどの作業はコンピューターが遂行してくれるから、人間はそれらの機器の管理を行うだけで良い。その管理を行うのが彼というわけである(したがって、彼は正真正銘の「管理人」である)。


 この男性は、先ほどまで血を流して倒れていた。それを僕の隣にいる彼女が助けたのである。


 そして、正確にいえば、彼が流していたのは血液ではなかった。


 そう……。


 彼はウッドクロックである可能性が高い。


「貴方は、ここで何をしているのですか?」


 僕が黙っていると、隣に座る少女、もといリィルと呼ばれるウッドクロックが、対面に座る彼に質問した。


「ああ、僕?」ベソゥは答える。「最近は、ただただぐうたらしているだけだったかな」

「ぐうたらって、具体的には、どんなことを?」


「うーん、そうだな……。本を読んだり、音楽を聴いたり、あとは、ゲームをしたり……。ああ、でもね、ときどきコンピューターのメンテナンスをしなくてはならないから、そういうときはきちんと仕事をしているよ」


 彼の返答を聞いて、リィルは下を向いて考え込むような素振りをみせる。


 彼女が何を考えているのか僕には分からない。そもそも、今の返答から何か考えるようなことがあったのかと疑問に思う。彼女にはどこか抜けている部分があって、特にやらなくても良いことに対して面白いほど興味を示すことが多い。もちろん、その反対もいえる。要するに、やる必要があることに対して面白いほどに興味を示さないのである。


「いや、それにしても、君にこんな素敵な彼女がいるとは知らなかったな」ベソゥが言った。「僕はなかなか外に出られないから、出会いというものがそもそも少ないけど、君の性格からしたら、こんな出会いは奇跡よりも確率が低いんじゃないか」


 僕は腕を組んで椅子の背凭れに寄りかかる。


「まあ、否定はしないけど」


「どんな出会いだったの?」


「いや、それほど素晴らしい出会いではなかったけど……」僕は嘘を吐く。「なぜか分からないけど、バス停で雨宿りをしていたら、突然彼女に告白されたんだ」


 僕がそんなことを言うと、隣でリィルが顔を上げた。


「え? 違うんじゃない?」


 僕は彼女を睨む。


「そうだったじゃないか」


「えっと……。……え?」リィルは首を何度も左右に傾けた。「確か、丘の上にある公園で……」


 どうやら、彼女には他人の話に合わせるつもりがないらしい。いや、というよりも、その方法を知らないといった方が正しいだろう。


「まあ、とにかく」僕は強引に話を修正した。「僕と彼女は婚約したんだ。それ以上のことは何もない」


「ま、僕はどうだっていいけど」ベソゥは話す。「一つだけ付け足すなら、君と出会う前に、彼女は僕と出会うべきだった、ということだね」


 沈黙。


 意味が分からなかったが、彼の話していることの六十二・八パーセントには意味がないので、僕はその言葉に対して特に反応を示さなかった。


 さて、こんなことを話している場合ではない。


 そう……。


 僕は、彼に伝えるべきか、伝えないべきか、それを頭の片隅でずっと考えている。


 何を伝えるのかといえば、それは彼自身がウッドクロックであるという事実である。驚くべきことに、彼は自分が人間ではないことに気づいていない。これは本当に驚異的なことである。僕が聞いても驚いたのだから、本人が聞いたら驚いて失神してしまうに違いない。誰だって自分のことはよく知らないけれど、少なくとも自分が人間であるということは知っている。そういった根本的な部分が崩れてしまえば、最悪の場合精神に支障を来すおそれがある。そうした事態は極力避けるべきであるし、他人の精神に干渉する際には細心の注意を払う必要がある。


 彼は僕よりも背の低い青年である。詳細な年齢は知らない。顔にまだ幼さを残す愛嬌のある男性で、男性という表現を使うのが憚れるくらい可愛らしい。


 そんな彼に、君は人間じゃない、なんて言える人間がいったいどこにいるのだろう?


 それは、もしかすると、僕が弱虫なだけなのかもしれない。


 きっとそちらの可能性の方が高い。


 けれど……。


 それでも、今の僕にそれを伝えられる能力がないことに変わりはなかった(そんな言い訳をしているだけだと言われれば、確かにその通りかもしれないけれど……)。

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