第5章 天界も展開

第21話

 テーブルの上にホットミルクが並べられ、なんだ、せっかくならコーヒーにしてくれれば良いのに、と僕は思った。コーヒー牛乳という言い方はするが、牛乳コーヒーという言い方はしない。これはカレーライスにも同じことがいえる。順番によってどちらがメインなのか判断できるということだと思うが、重要な方を先に言う理由は分からない。むしろこれは英文法に顕著な傾向で、日本語だとその反対、つまり重要なことをあとに述べる方が多い。英語だと”I did not go to school”と否定を先に言うのに対して、日本語だと「私は学校に行きませんでした」と最後に否定を言うという話である。


 などと余計なことを考えていると、隣に座る少女に小さく肩を叩かれた。


「何?」


 僕は彼女に対して首を傾ける。


「私、食事をしないんだけど……」


「ああ、そうだね」僕は言った。「まあ、適当に誤魔化せばいいと思うよ。彼、意外と単純だからさ。牛乳は飲めないんですとか、トイレに近くなるからいりませんとか、それくらいの誤魔化し方なら君でも思いつくだろう?」


「まあ、そうか。確かに、そういう方法もあるかも」


「もしかして、全然考えていなかったとか、そういうのじゃないよね?」


「いや、そういうの」彼女は普通に肯定する。「なんかさ、生まれつき頭があまり回らなくて」


「どこか錆びついているんじゃないの?」僕は笑った。「毎日油を差した方がいいね」


「え、どこに?」


「だから、君の頭に」


「シャンプーで洗ったあと、リンスを付けているけど、あれは油なのかな?」


「さあ」僕は言った。「知らないよ」


 僕と彼女は並んで椅子に座っている。部屋は比較的整理整頓されていて、僕たちが席に着いているテーブルのほかに目立ったものは何もない。壁はコンクリートが打ちっぱなしになっていて、所々に円形の窪みと細いスリットのようなものが入っていた。照明は天井に一つだけ。白色の明かりで、エネルギー効率はほどほどに良さそうである。もっとも、僕は他人と比べてエネルギー消費が激しい人間なので、僕の言うほどほどが一般的なものと同等である保証はない。


 反対に、エネルギー効率が極端に良い存在といえば、まさに今僕の隣に座っている彼女である。彼女は人間ではない。ウッドクロックと呼ばれる人工生命体で、心臓と肺と脳の機能を備えたスペシャル極まりない装置をもとに動いている。機器が分散されていない分エネルギーの消費が抑えられ、人間よりも非常に効率良く動くことができるらしい(その装置にかかる負担もそれほど大きくないため、三つの機能を一つの装置に纏めることによって、逆にエネルギー効率が下がるということはない)。彼女は人間ではないが、外見は限りなく人間に似せて作られている。それなのに、人間と同じように栄養の摂取をしたりすることはない。彼女が食事をしないと言った理由はそこにある。


「君はさ、もう少し融通を利かせた方がいいよね」特に目ぼしい話題がなかったので、僕はたった今思いついたことを口にした。「融通といっても色々な種類があるけど、うん、まあ、なんていうのか、たとえば、口にする前に考える習慣をつける、というのもその内の一つだと思う」


「融通って、何? 運送会社?」


「国語の授業って受けたことあるの?」


「ないけど……。でもさ、日本語ってほかの言語に比べると難しいって、前にどこかで聞いたことがあるよ」


「それはまやかしなんじゃないかな」


「そうなの?」


「さあ、詳しいことは知らないけど……」僕は話す。「言語としては、普通に一般的だと思うよ。あ、今みたいに、普通と一般的では同じ意味だけど、そういうふうに似た意味の言葉を重複させても良いというのも、日本語の特徴だよね」


「どういう意味?」


「人の話を聞いていなかったの?」僕は軽く彼女を睨みつけた。


「いや、聞いていたけど、理解が追いつかなかったような気が……」


 僕は小さく溜息を吐く。


 目の前にあるカップを持ち上げて、ホットミルクを食道に流し込んだ。


 普通に美味しい。


 一般的にも美味しかった。


 しかし、僕は一般的な人物ではないらしい。非常に困ったことである。


 さて……。


 僕たちがそんなくだらないやり取りをしていると、ドアが開いて男性が一人部屋に入ってきた。ホットミルクをここまで運んだのも彼である。ドアの向こう側にはキッチンがあって、彼はそこまで茶菓子なるものを取りに行って帰ってきたところだった。


「いやあ、茶菓子なんていっても、やっぱりうちには何もないな」そう言いながら、彼は僕の対面に腰かける。「普段から茶菓子なんて食べないからさ、ちゃちゃちゃのちゃ、という感じで誤魔化そうと思ったんだけど、生憎と淹れたのは茶ではないし、そもそも何も淹れてないから、ちゃちゃっと話して帰ってもらおうと思ってさ」


 訳の分からない台詞を吐きながら、彼はテーブルの上に皿に入った何かを置く。僕が身を乗り出して中を見ると、幾つのも金平糖がかなりの密度で犇めき合っているのが分かった。

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