第19話
テュナはブランコから降り、シーソーがある方へと歩いていった。
今度は、リィルが彼のあとをついてくることはない。
当然のことながら、一人でシーソーに腰をかけると、座った側は低くなり、誰も乗っていないもう一方は高く持ち上がる。
きっと、その上がった方にリィルが今座れば、確実に自分の方が高くなるだろう、とテュナは考えた。幼稚園児と成長した女性とでは体重の差がありすぎる。ウッドクロックがどれくらいの重さなのかは分からないけれど、構造や動きが完全に人間のそれと一致しているのを見ると、人間と大差はないのかもしれないと彼は考えた。
「でも、私は、その目的を今達成するわけにはいかないのです」
シーソーに座ったままテュナが一人で考え事をしていると、ブランコを漕ぎながら不意にリィルが先ほどの話を再開した。
「その目的とは、どの目的のこと?」彼女の姿を捉えて、テュナは質問する。
「もちろん、貴方と一緒になる、という目的のことです」
「そんなこと、言ったっけ?」
「少なくとも、私は言ったつもりでした」リィルは言った。「その、なんていうのか、説明が下手で申し訳ありません」
「いや、冗談だよ。うん……。なんとなくは、伝わっていたと思う」テュナは話す。「でも、今は達成できないというのは、どういう意味?」
テュナがそう尋ねると、リィルはブランコの前後運動を止めた。そのまま下を向いて固まってしまう。フリーズしているのかもしれない。それほど高度な演算が求められるような話ではないが、もしかすると、論理とは別の何かが彼女をそうさせているのかもしれなかった。
人間の場合、それは感情と呼ばれる。
ウッドクロックに感情が存在するのか、それは彼には分からない。
けれど、きっと彼女にも感情があるだろうと、彼にしては珍しく、テュナは少しだけ前向きに考えることにした。
リィルが口を開く。
「今夜は、貴方と約束をするために来たのです」
「約束?」テュナは首を傾げた。「どんな?」
リィルは顔を上げ、シーソーに座るテュナを真っ直ぐに見つめる。
「私との未来を、約束して頂けませんか?」
テュナも彼女の瞳を見つめ返した。
冷徹。
いや、そうではない。
そこには確かな暖かさがあった。
「僕は、いつでもいいんだ」テュナは言った。「……でも、こんなことを訊いて申し訳ないけど、どうして今じゃ駄目なの? あ、もしかして、僕がまだ幼いから?」
「違います」
「じゃあ、なんで?」
「私が、幼いからです」
「君が?」
「そうです」
「……どういう意味?」
空は徐々に明るみを帯び始め、東の空から昇る太陽が地平線を紫色に染めていく。まるで絵の具が布に染みていくように、その光景は見ているだけで充分なもので、特別な注釈を加える必要はまったくないように思えた。
「私は、人間ではないのです」リィルは話す。
「うん、さっき、そう聞いたけど」
「ですから、えっと、まだ、もう少し、人間について学ぶ必要があるのです」
「どうして?」
「そうでないと、人間と仲良く暮らすことはできないからです」
彼女の言葉を聞いて、テュナは笑った。
「それはおかしいよ。だって、人間と一緒に暮らすから、段々と人間と仲良くできるようになるんじゃないか」
リィルは、じっとテュナの顔を見つめたまま動かない。
テュナは自分の顔から微笑みを消去し、真剣な眼差しで彼女の視線を受け留めた。
「……何?」
「貴方は、生きていますか?」
「……もちろん、生きているとは思うけど……」
「では、それは、何を根拠に言えるのですか?」
「僕が人間という生き物だから」
「そうなんですか?」
「そうだよ。知らなかったの?」テュナは説明する。「僕は人間なんだ。人間は生き物で、生き物は皆生きている。だから、僕も生きている。すごく簡単な理論だと思うんだけど……」
「私には、その理論を上手く解釈することができません」
「それは、どうして?」
「分からないんです」リィルは首を振った。「しかし、だからこそ、その理論を理解できないからこそ、私にはまだ学習を重ねる必要があるのです」
リィルの言葉を聞いて、テュナは何も言えなくなる。彼女が話す内容は全然論理的ではないが、それ以上の反論をできなくさせる力を持っている。どうしてかは分からないけれど、テュナにはそんなふうに思えてならなかった。
彼女は、リィルは、いったい何をしようとしているのだろう?
そんな問いが、不意にテュナの中に湧き上がってくる。
自分は生きているのか? 人間なのか? 生き物なのか?
どうしてそんなことを考えなくてはならないのだろう?
それは、自分が生きているからか?
確かに、そんなふうに考えることもできなくはない。けれど、それでは質問の答えになっていない。上手い具合に言葉を繋いで誤魔化しているだけである。
そう、まるで小説のように……。
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