第17話

 最初にそれを聞いたとき、彼は大変驚いたが、この少女は自分が人間ではないことを五分前に説明していた。


 彼女曰く、自分はウッドクロックという人工生命体で、人間から正体を隠して今まで生活してきたとのことである。どのように隠れてきたのか、どのような生活を送ってきたのか、その詳細については明らかではない。そして、そんな秘密の情報を何の躊躇いもなく彼に伝えてきたのである。


 少年は彼女がそんなことをする意味が分からなかった。そもそもの話、この少女の説明をすべて信じているわけではない。嘘という可能性も充分にありえる。けれど、疑おうと思えばなんでも疑えるわけだし、反対に、信じようと思えばどんなことでも信じられるというのが、人間が持ち合わせる特性の一つでもある。


 少年は、特に否定する必要のないことについては、できるだけ信じようとする性格の持ち主だった。いや、本当はそれを性格と呼ぶことはできないかもしれない。どちらかというと、後天的に取得した処世術といった方が正しい。他人にできるだけ干渉することなく、穏健にことを済ますというのが彼の抱えるポリシーである。如何なる理由があっても争い事は少ない方が良い。可能であればゼロなのがパーフェクトである。


 だから、どれだけ信じられないことであったとしても、少年は少女が語る内容を信じることにした。


「君の名前は何?」


 ちょっとした沈黙が生まれたから、少年は社交辞令のつもりで少女に質問した。


「私には、まだ名前がありません」彼女は答える。「しかし、リィル、というのが私を識別する記号です」


「リィル? あの、魚を釣る、竿についているやつのこと?」


「うん、発音としては、それと同じですね」


「そう……」


「では、貴方のお名前はなんですか?」


「僕の?」少女にそう尋ねられて、少年は少しだけ戸惑った。今まで誰かから名前を訊かれたことがなかったからである。「僕は、テュナという」


「テュナ? それでは、鮪と同じですね」


「鮪? 君は以外と博識なんだね、リィル」


「ええ、そうなんです、テュナ」


 リィルと名乗る少女は、今は彼の前で小首を傾げて笑っている。対面するように設置されたベンチの向こう側で、朝日がチェーンで巻き上げられるように持ち上がり、背後から彼女を照らしてその存在を浮き彫りにした。とても幻想的だな、と少年は思う。もっとも、幻想的といっても、それは現実だから、文字通りあくまで幻想「的」でしかない。幻想そのものはどこに行っても見つからないのである。


 古代の人間は、その幻想を桃源郷と呼んだらしい。


「えっと、では、ちょっと真剣な話をしようと思いますが……。私の目的についてお話させて頂いてもよろしいですか?」リィルが背筋を伸ばし、顔から笑みを消して尋ねた。


「君の目的は、まだ不明なんじゃなかったの?」


「そんなことを、言いましたか?」


「僕に保護されることが、自分の目的かもしれないって、さっき、君はそう言ったじゃないか」


「それは、建前です」


「なるほど。じゃあ、本音があるわけだ」


「ええ、そうです」リィルは簡単に頷く。「私の目的は、人間と仲良く暮らすことです」


 リィルが話す内容を理解して、テュナはなんだか吹き出しそうになった。そんな言葉を真面目な顔で言える者が存在するなんて、どうにも漫画じみていて具合が悪い。いや、別に具合が悪いというわけではなかった。むしろ漫画じみていて面白いと彼は考える。


 少年は、自分の前に腰かける少女の姿を今一度観察した。


 その外見を眺める限り、リィルは完全に人間のように見える。テュナよりも遥かに背が高くて、中学校や高校に通うお姉さんと言われても特に違和感はない。彼はまだ幼稚園児だから、血の繋がった正真正銘の親としてもぎりぎり通すことができるだろう。


 そんな少女が、そんな機械の少女が、人間と仲良く暮らしたい、と言っている。


 こんなユーモラスな事象が、かつてこの街で発生したことがあっただろうか?


「その目的は、いったいどんな目的によって支えられているの?」


 面白くなってきて、テュナはさらに彼女に質問してみた。


「えっと……、それについては、まだ、お伝えすることができないのですが……」


「へえ……。それは、どうして? ああ、こんな質問をしても大丈夫?」


「ええ、大丈夫です」リィルは頷き、軽く辺りを逡巡する。それから、若干頬を赤らめて、なんだか恥ずかしがるような素振りをみせた。「……もちろん、目的を支える目的は別にあります。ですが、その真の目的については、貴方との信頼関係がある程度構築されたあとでないと、私の口からお伝えすることはできないのです」


「なるほど。本音と言っておきながら、それは建前パートツーにすぎない、ということだね」


「うん、まあ、そうです」


 そう言ったきり、リィルは何も話さなくなった。機能が停止しているわけではない。意識的に自分の言動を謹んでいるように見える。

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