第4章 過程と仮定

第16話

 月明かりに照らされた丘の上の公園で、少年と少女は秘密の出会いを果たした。「出会い」とか、「果たした」とか、それらの表現は明らかに誇張であるけれど、辺りに漂う霧や露がそういった雰囲気を作り出している感は否めない。ごくありふれた街に住む、ごくありふれた生活をしている少年の前に現れたのは、奇怪と呼ばれてもおかしくない一人の機械の少女だった。


 それが当然のことでもあるかのように、今は二人の周囲には誰もいない。ブランコとシーソー、ジャングルジムとローラーコースター。子どもたちが楽しめる沢山の遊具に囲まれた公園の敷地内は、しかし、今は完全に陰気な空気で溢れ返り、とても遊戯を行えるような状態ではない。それでも、少年は、少なくとも、彼だけは、目の前に座る少女の凛とした表情を見て、彼女と少しでも良いから遊びたいな、とずっと考えていた。


 少年は五歳の幼稚園児である。けれど、彼は普通の幼稚園児ではなかった。見た目は普通の幼稚園児だが、頭の構造が一般的なそれとは少し違っている。どう違っているのかと訊かれても、その違いを上手く言葉で説明することはできない。人間が有する言葉というものは、そんなふうに、いざというときに役に立たないことが多い、ということを少年は昔から知っていた。だから戦争が起こるし、だから人は人を殺す。そういったことを延々と考えた末に出た結論といえば、自分も人間だから、やはり誰かを殺すのだろう、といった悲壮感溢れる未来予想でしかない。もちろん、彼に殺しをしようという意思はない。けれど、彼は、やろうと思えば自分で自分を殺すことくらいはできるだろうとは思っていた。


 星。


 星。


 星。


 霧に包まれているのはこの公園がある一帯だけで、一歩外に出ればいつも通りの日常がそこに広がっている。しかし、少年には今すぐに公園から立ち去るつもりはなかった。多少は危険な未来が待ち構えているとしても、今は目の前の彼女の話を聞くしかない。聞くしかない、とそれをあたかも義務のように規定したのは彼自身である。世界も、他人も、すべて自分が規定したものでしかない。しかし、それでも、少年は世界も他人も自分と同様に愛していた。


 そして、もちろんその反対も……。


 世界や他人は、自分と同様に憎悪する対象にもなりえる。


 それに気づいたのはいつのことだろう?


 いつでも良かった。


 それがいつのことか思い出したとしても、今現在の自分の認識が変わるわけではない。


「意思決定を行うのは、人間の場合、頭脳と呼ばれる器官だと聞いています」少年の前に座る少女が、突如としてその小さな口を開いた。「えっと、私には頭脳がありません。頭脳に相当する器官を持ち合わせていますが、それは同時に呼吸器でもあり、また、記憶媒体でもあるようです」


 少年は彼女にばれないようにそっと唾を飲み込んだ。どうしてそんなことをしたのかは分からない。あまり考えたくないことだったけれど、おそらく自分は緊張しているのだろう、と彼は思った。


「その、最後の部分は、どうして伝聞なの?」精一杯の勇気を振り絞って、少年は少女に質問する。


「あ、それは……。うーんと、私にもよく分かりませんが、そうするように、とプログラムされているからだと思われます」


「君は、どこから来たの?」


「では、人間はどこから来たのですか?」


「僕は、知らない」


「貴方なら、きっと知っていると思いました」少女は言った。「私が持ち合わせているデータと照合すると、貴方は少し特殊な性質を帯びているようです。いえ、少しという程度ではないかもしれません。一万年に一度の才能、とでも言えばよいでしょうか」


「才能だなんて、僕はそんなふうには思っていない」


「謙遜ですか?」


「違うよ」少年は首を振る。「僕は、自分が嫌いなんだ」


 彼がそんなことを呟くと、それに呼応するように目の前の彼女はにっこりと笑った。


 少年はそんな彼女の顔を凝視する。


 彼女が美しいと思った。


 これも、また、どうしてこんな感情が自分に芽生えたのかは分からない。


 「美しい」という感情にも色々な種類が存在する。彼がたった今抱いたその感情は、どちらかというと、守りたい、保存したい、といった種類の願望によく似ていた。


「貴方は、今、私のことを保護したいと考えましたね?」


 少年が黙っていると、少女が徐ろにそんなことを尋ねてきた。


「え? あ、うん……」少年は答える。「でも、どうして分かったの?」


「私も、貴方に、守られたい、保存されたい、と望みます」少女は笑顔のまま説明した。「もしかすると、それが私が生み出された目的なのかもしれません。それはとても素晴らしいことだと私は考えますが、貴方はどのように感じますか?」


「僕?」


「そうです」


「うん、僕も、嬉しい、と思うよ」


「それを聞いて安心しました」


「安心? 君には、安心という概念が分かるの?」


「もちろん、分かります」


「人間みたいだね」


「そう……」少女は頷いた。「ウッドクロックは、人間をモデルに作られています」

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