第7話
「……君は、僕が好き?」
僕は、再びリィルの方に顔を戻して、今度はちょっぴりストレートに質問をぶつけてみることにした。
「うん、まあ……」彼女は曖昧に頷く。
「じゃあ、具体的にどこが?」
「具体性はない」リィルは言った。「全体的に、好き、という方向に傾いている、という意味」
「素晴らしい誤魔化し方だ」
太陽が地平線の彼方に沈もうとしている。もっとも、この街の果てには巨大な山脈が鎮座しているので、ここから地平線そのものを見ることはできない。山々は右にも左にも延々と連なり、どこまで続いているのか僕は知らなかった。きっとこの街に住む誰もが知らないに違いない。山の反対側には海があり、その海にもまた果てというものが存在しない。僕たちが住む街はこの山と海によって完全に隔離されているといえる。
それでは、その隔離を行ったのは誰だろう?
それは神だという回答が最も相応しいように思えるが、その回答はほかの命題に対しても通用するため、もう少しこの問いに特徴的な回答を導出する必要がある。
選択肢は主に三つある。
一つは僕。
もう一つは彼女。
そして、最後の一つは彼女の製造者。
どうしてその三者に限定することができるのか、これを説明するためには少々時間が必要になる。今はそれほど充分な時間には恵まれていないから、これに関する注釈は後々述べることにしようと思う(と考えている僕は、いったい誰に対してこの説明を行っているのだろう?)。
僕は隣に立つリィルの方に身体を寄せた。
彼女は瞳だけで僕を確認し、それから再び正面に視線を戻す。その動作は限りなくシームレスで、省エネルギーで、バイオロジカルだった。
「……どうかしたの?」
リィルは前を向いたまま僕に尋ねる。
僕はその質問に答えなかった。
僕と彼女の出会いは十三年前から規定されている。反対にいえば、僕と彼女の出会いは実に十三年もの間達成されることがなかった。その間のブランクがどのように生じたのか、また如何なる理由で生じたのかは、今のところ少しも分かっていない。推測することはできても、それを立証するだけの根拠に欠けている。もちろん推測も立証もする必要はない。原因や理由がどうであれ僕と彼女はすでに出会ったわけであるし、一度出会ったからには、これからも互いに一生添い遂げる運命にある。
そう……。僕と彼女は、形式上は婚約を済ませているのである。あくまで形式上はであるけれど……。
「寒くなってきたし、そろそろ、帰ろうか」
僕はなんとなく呟くようにそう言った。
リィルは答えない。
その代わりに、彼女は今度は自分の身体を僕の方に近づけ、それから小さくくしゃみをした。
「どうしたの? マイクロダストでも舞ってたかな?」
「誰かが、どこかで、私の噂話をしているのかもしれない」
「その可能性は限りなく低い」
「どうして?」
「君の存在を知っている人物がごく少数しかいないからだ」
僕がそう言うと、彼女は細部に至るまで動きを完全に止めた。
「……確かに、そうかも」
「君はどこから来たの?」僕は尋ねた。「早く帰らないとお家の人が心配しているんじゃない?」
「家はない」
「じゃあ、ご家族やご両親は?」
「それもいない」
「寂しくなかった?」
彼女は僕の方を向く。
「寂しかった。寂しかったから、君のもとに来た」
僕は笑った。
太陽が完全に姿を消す。本格的な夜の気配が潮風に乗ってここまで来た。星はまだ見えない。月もまだ僕たちに認知可能な範囲外だった。
この建物は町内唯一の図書館である。ちなみに、屋上への立ち入りは本来なら禁止されている。管理人に無理を言って、僕が半ば強引に許可を貰ったのである。
図書館というのはあくまで名目上の呼称にすぎず、この建物は、現在はそれとは別の用途で使用されている。つまり、昔は正真正銘の図書館として機能していた。僕たちの足もとには高度なデータを処理する計算機器が沢山あって、街で起こる出来事を逐一収拾し、一つ一つの事象をすべて合理的に処理するための演算を行っている。合理的な処理とは、人間同士の不均衡を未然に防ぐという意味である。その対象は、たとえば、殺人事件とか、窃盗事件とか、負の要素に纏わるものばかりではない。正の要素を含むものもすべて一律で処理されている。
それでは、どうしてそんなことをするのだろう?
僕はその答えを知らなかった。
おそらく、この建物の管理人は知っている。
そして、僕は、その管理人が何らかの情報を持っている、ということを知っていた。
さらには、僕の隣にいる彼女は、その管理人が何らかの情報を持っている、ということを僕が知っていることを知っている。
要するに、三重のメタ構造が形成されているのである。
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