第5話
ところで、随分と悠長なやり取りをしているが、実際はこんなことをしている場合ではなかった。というのも、あともう少ししたら夜が明けてしまう。その前になんとしてでも布団に入らなければならない。しかし、僕は今までずっと一人暮らしだったから、当然家にはベッドが一つしかない。したがって、このどうにも厄介な気配のする問題について、なんとか頭をはたらかせて結論を出さなくてはならなかった。
さて、どうしたものか……。
「なんだか、眠くなってきちゃった」僕がそんなことを考えていると、彼女が図星を指すようなことを言った。「私、ここで寝てもいいかな?」
「ウッドクロックも眠ったりするの?」
「するよ、そりゃあ」彼女は頷く。「人間は眠らないの?」
「いや、眠るけど……」
「じゃあ、早く寝たら?」
「うん……」
僕は彼女の顔をじっと見つめる。
視線。
交差。
数秒間そのままの状態を維持した末に、僕は一つの結論を導出するに至った。
ここは、やはり、彼女に布団を譲るべきだろう。
種族が異なるとはいえ、どんな文化でも女性を大切にする心構えは欠かせない。
うん、そう……。
そうに違いない。
「あ、そうそう、えっとさ、まだ言ってなかったんだけど」僕は言った。「実は、僕の家にはベッドが一つしかないんだ」
僕がそう言うと、彼女はきょとんとした顔のまま固まった。
いちいちフリーズしないでもらいたい。
「そうなの?」彼女は首を傾げる。「それが、どうかしたの?」
「いや、だからね……、そのベッドは、君に譲ろう、ということなんだ」
「え、なんで?」
「だって、ほかに寝る所なんて、どこにもないだろう?」
「うーん、このソファでも充分眠れそうだけど」彼女は自分が座っているソファの表面に触れ、感触を確かめる。
「いやいや、まさか、そんな、来賓に対して失礼じゃないか」
「じゃあ、君はどうするの?」
「だから、僕がこのソファで寝る」僕は言った。「言ってなかったけど、僕はね、ずっとベッド以外の場所で眠るのが夢だったんだ。でも、目の前にベッドがあると、ついついそちらの方に身体が向かってしまって……。だから、その、なんていうのか、こんな絶好のチャンスはそうそうあるものじゃない、と思ってさ」
「ふーん……。……変なの」
「そう、変なんだ、僕って」僕は自分の頭に触れる。
「あ、じゃあ」彼女はぱっと表情を明るくし、人差し指を立てた。「一緒に眠ればいいんじゃない? その、ベッドで」
僕は絶句する。
自分の耳を取り外して、耳介の奥の方まで検査したい衝動に駆られたが、生憎と僕は人間なので、そんな器用なことはできない。
「え、何か、言った?」
とりあえず、惚けておく。
「いや、だから、一つのベッドを二人で使えばいいんじゃないかな、と思ったんだけど」
「君は、一度、お医者さんに診てもらった方がいい」
「そんなことしたら、人間じゃないって、すぐにばれるよ」
「全然構わない」僕はゆらゆらと首を振る。「常識を外れた行動をとられるよりは、よっぽどましだ」
「うーん、よく分からないけど……」彼女は言った。「でもさ、二人で眠った方が、きっと暖かいと思うし……」
僕は小さく溜息を吐く。
この生命体を作った開発者は、いったいどんな神経をしていたのだろう、と僕はさらなる好奇心を募らせた。
確かに、面白い。
彼女と一緒にいれば、退屈しないだろう。
「とにかく、僕は何がなんでもソファで寝る」最終的に、僕は自論を押し通すことにした。「君に断る権利はない。それは、僕がこの家の主で、君はあくまでも来賓にすぎないからだ」
「え?」
「何か文句でも?」
彼女はまたまたフリーズする。頭から湯気が出てきそうだった。
「君さ、約束、覚えてないの?」
暫くしてから、彼女は怪訝そうな顔をして言った。
……約束?
そうだった……。
そこで、僕はその内容を思い出した。
完全に忘れていた。
どうしてだろう?
自分に都合の悪いことは、自動的に排除する性質を持っているのだろうか?
「えっと……、約束とは、何かな?」
冷や汗。
しかし、僕の誤魔化しは通用しなかった。
彼女は僕を睨む。
「君さ、私と結婚してくれるって、言わなかったっけ?」
……。
ええ、確かに。
十三年前の僕は、そう言いましたとも。
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