第2話

 僕と彼女はベンチから立ち上がり、黙って公園の外に出た。この公園は小高い丘の上に位置しているから、ここからだと街の全貌を見渡すことができる。橙色の人工的な明かりが丘の下に広がっていて、すぐ傍に幾人もの人間が存在することが分かった。どうしてなのかは分からないけれど、こういう光景を眺めていると、僕の中ではちょっとした安心感のようなものが芽生えてくる。比較的友達付き合いが少ない僕であるし、別に誰かと一緒にいたいわけでもないのに、どうしてそんなふうに感じるのかな、と自分でも不思議に思うことが度々あった。


 いや、誰かと一緒にいたいわけでもない、というのは少し違うかもしれない。


 そう……。


 僕は、自分でも知らない間に、自分にとって理想的な人物を探しているのである。


 それが正しい。


 そして、その理想的な人物というのが、彼女だったのかもしれない。


 もっとも、彼女は人間ではないけれど……。


 歩きながら、僕は隣を行く少女の横顔をそっと見た。彼女は目を伏せて歩いている。転んでしまわないかな、と僕はちょっとだけ心配になった。


 細い腕。


 脚。


 これが自然発生的なものであれば素晴らしいけれど、彼女は生き物ではないから、その素晴らしさは多少損なわれてしまう。


 けれど、全然許容範囲内。


 それくらいなら僕は許せる。


 いや、許せるなんて、いったい何様のつもりなんだろう……。


「夜の道は、暗くて、寂しくて、あまり好きではありません」歩行を続けながら、彼女は小さく呟いた。「可視光線が少なくなることで、人間は不安を覚えるのですか?」


「ああ、うん、どうだろう……」僕は考える。「でも、まあ、暗い所にいると怖く感じるわけだから、その考え方も間違ってはいないかもね」


「えっと、私は、暗い所は黒いので、好きではありません」


「黒い? 色に呼応して感情が引き起こされる、ということ?」


「全般的に、黒、という色が苦手です」


「へえ……。それは、どうして?」


「分かりません」


「そういうふうにプログラムされている、ということなのかな」


「おそらく、そうでしょう」


「じゃあ、どうしてそんなプログラムが必要なの?」


「分かりません」彼女は首を振った。「自分のことは、他人に関することより、分からない傾向にあります」


 その通りだ、と僕も思った。


 彼女は人間ではないけれど、人間が「人間」と呼ばれるのと同じように、彼女には種族としての名称が与えられている。彼女曰く、その種族はウッドクロックと呼ばれる人工生命体で、人間から姿を隠して密かに生活しているらしかった。しかし、僕はすでにその情報を十三年前から知っている。彼女が自分からそう説明したからである。人工的に作られた生命体なのに、人間から姿を隠しているというのは、いったいどういうことなのだろう、と考えたことがあるけれど、今のところ納得のいく結論に至ったことはない。それでは彼女に直接尋ねれば良いではないか、という話になるが、僕はそうした行為をできるだけ少なくするように心がけている。理由を説明することはできない。言ってみれば、それが僕のポリシーというものだからであり、そして、それと同時に、彼女に対する愛情のつもりだからでもある。


 ウッドクロックというのは、彼女を構成する一つのパーツの名称でもある。人間でいうと心臓にあたる器官のことで、これがないと彼女は自立的に動くことができない。心臓としての機能だけでなく、それは脳としての機能も担っている、といった点に動物とは異なる要素が含まれている。つまり、もしこのパーツが故障してしまったら、彼女という人格は二度と復元できなくなってしまう。動力源と同時に記憶媒体も機能を停止してしまうからだ。


「寒いです」僕がそんなことを考えていると、彼女が唐突に呟いた。


「そう?」僕は訊き返す。


「とても、寒いです」彼女は言った。「暖めて頂けませんか?」


「どうやって?」


「うーん、貴方の好きな方法で構いませんが、人工的な機器の使用は避けて頂けると助かります」


「君自身、人工的な存在じゃないか」


「だからこそ、そうして頂きたくないのです」


「どういう意味?」


「人工的なものは嫌いなんです」彼女は説明した。「人間も、動物よりは、機械を愛しているのではありませんか?」


 どうだろう、と僕は考える。


「うん……。まあ、言いたいことはなんとなく分かるけど……」


「なんとなく分かれば、充分です」


「では、どうやって暖める?」


「電子レンジを使う、というのはどうでしょう?」


 僕は思わず笑ってしまった。


「それは人工的な機器なんじゃないの?」


「あ、そうでした」彼女は言った。「忘れていました」


 丘を完全に下り切り、踏切を渡って十字路に辿り着く。そのまま直進し、ひっそりとした住宅街を十五分ほど歩き続けた。僕の家はこの街の中心に存在する。街は山と海に囲まれていて、北に海、南に山、という配置になっている。


 家に到着する。


 玄関のドアを開けて中に入った。

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