第3話 観察
僕の趣味は人間観察である。
おっと失礼。この言い方は少し語弊があるから、変えておこう。僕は、僕の友人たちの様子を生暖かい目で見守るのが、とても好きである。
「はあ……! はあ……!」
目をかっぴらいたものすごい顔で教室に駆け込んできた七瀬さんが、入り口のところで息を切らせていた。何事かと騒然とするクラスメイトたちをよそに、僕は吹き出しそうになりながら七瀬さんに近寄る。
「やあ、おはよう、七瀬さん。なにやら美人が台無しになる一歩手前みたいな顔をしているけど、どうかしたの?」
「い、鵤か」
僕の顔を見とめると、七瀬さんは少し落ち着いたようだった。誰に言われずとも深呼吸をして、上がった息を整えにかかる。
七瀬さんは、くるりと廊下のほうへ振り返った。健康的なポニーテールの尾っぽが揺れて、走ったせいか汗ばんだうなじがちらりと僕の網膜を刺激する。うーん、こんなときでも美人極まりない。
「長谷寅のやつにな……。お、おでこを」
「え、朝からごっつんこ?」
「いや、違うんだ。普通に挨拶を交わしていただけのつもりだったんだが、なぜか、熱を測られた、というか」
何だろう。挨拶をしているところから熱を測られるに至る場面が全く繋がらない。僕たちはれっきとした日本人だから、ハグする習慣なんかないはずだけど。
ああ、いや、違うか。
僕は思いついたことを、すぐに七瀬さんに囁いた。
「大方、真也を勘違いさせるようなことをしたか言ったか、ってところでしょ?」
「うぐぅ……」
図星らしい。僕はけらけらと笑う。
七瀬さんは昔から、真也を前にすると少しおかしくなる。それは決してマイナスな意味ではなく、いわゆる恋心爆発というか恥ずかしさでテンションゲージ振り切れ暴走というか、そういう類のものなのだが、これがはたから見ていて、まあ面白いのなんのって。
だって七瀬さんは、誰もが目を引く美人さんである。僕は昔馴染みだからこうして普通に話ができているけど、男子の大半は話しかけるのに思わず尻込みしてしまうことだろうし、女子だったとしても気楽に声をかけられる雰囲気の人ではない。怖いとかそういうことではなく、恐れ多い。そういう感想を抱いてしまう人が、七瀬能美という女性だ。
そんな人が、どうだ。老舗和菓子屋の跡取り息子を相手にしたら、奇声を発しながら素っ頓狂なことをやり始めるのである。
これほど面白い見世物を、僕は他に知らない。
笑っている僕を咎めようと、七瀬さんが人差し指でおでこを突いてきた。甘んじて受けつつ、僕は追撃。
「いい加減、少しは慣れたらどう? 僕らはもう高校生だよ。一緒にいるようになってそろそろ10年も近いのに、いまだにそんな調子で大丈夫?」
「うるさい。やかましい。黙れ」
「栗花落さんも合流したのに」
「…………」
黙った。まことに面白い。
ただ、少し意地悪が過ぎた。栗花落さんと真也は、お互いの家同士が決めた許嫁だ。つまり七瀬さんからしてみれば、突破しなければならない分厚い壁。
「……入り口で何やってんだよ。邪魔だろ」
「あれ、真也。おはよう」
うめく七瀬さんの肩口から、ひょこっと真也が顔を出した。びっくりした七瀬さんは飛び上がるようにして僕の後ろに回り込む。真也の後ろには目を棒にした栗花落さんがいた。
「鵤君……朝から能美ちゃんで遊ばない」
「あはは、見抜かれてら。面目ない。それとおはよう」
「おはよー」
栗花落さんはそれとなく七瀬さんの手を引くと、流れるように教室の中に入っていった。
それを見送った真也は、僕の耳元までかがんで言った。
「七瀬のヤツ、体調大丈夫かな? なんか様子がおかしかったんだけど」
「ああ、それで熱を測ろうとしたわけだ」
「え? そうだけど、すごい勢いで手をはたかれてさ。今もジンジン痛いんだよ。オレ、もしかして七瀬に嫌われてんのかなぁ……」
真也はぼりぼりと頭を掻く。
栗花落さんのことより先に、この朴念仁をどうにかしないといけなさそうだね、七瀬さんは。
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