第2話 てのひら
朝いちばんの学校にて。
廊下の先を歩く能美ちゃんを見つけたわたしは、駆け足で近寄ってその肩を叩いた。
「おはよう、能美ちゃん!」
「ああ、木乃香。おはよう」
能美ちゃんはにこやかな笑顔を返してくれる。朝だからといって崩れることのない美人さに、目がくらくらする。
冷ややかながら潤いのある瞳、形の良い鼻に麗しい唇、落ち着き払ったその物腰。まさに大和なでしこと呼ぶにふさわしい貫禄を持つ、わたしの自慢の親友。おまけに背も高くて、子どもの頃から尊敬と憧れの的だった。
「どうした木乃香、そんなにじっと見つめて。私の顔に何かついているか?」
「ううん、何にも。能美ちゃんは朝から美人なんだなー、って思ってただけ」
「何だ、それは」
照れくさそうに笑う能美ちゃん。これだけ恵まれたものを持っているのにそれに驕らないのも、能美ちゃんの魅力のひとつだ。
それに引き換えわたしは……。
…………。
「ど、どうしたというんだ、木乃香。今にも消えてしまいそうな顔をして。何か心配事があるんなら聞くぞ?」
「大丈夫だよ……」
いつか成長するんだろうなって思ってたんだけど、ついぞ高校生になるまで、色々なところがちっこいままでした、はい。やろうと思えば、わたしは中学生になりきることだってできるでしょう。ああ、どうして能美ちゃんは同い年なのでしょうか。神様のいたずらはいつも手ひどい。
まあ、今更だから冗談以上にはヘコまないんだけど。
気を取り直して能美ちゃんの隣を歩く。入学したばかりだというのに颯爽と肩で風を切って歩く能美ちゃんに見とれていると、ふと、能美ちゃんが切り出した。
「そういえば木乃香。今日は、その、長谷寅は一緒じゃないのか?」
完璧美人な能美ちゃんだけど、ひとつだけ欠点がある。
いや、欠点と言い切ってしまうのはさすがにかわいそうかもしれない。ちょっと残念な部分と言い換えておいてあげよう。……一緒かな、まあいいや。
わたしはため息を吐いた。
「時間ずれちゃったみたいで、一緒じゃないよ。たぶん後から来るんじゃない?」
「そ、そうか」
「…………朝から顔を見れないのが残念だった?」
「うぇっ。い、いや、そんなことはないぞ! ただ、その、いつも一緒に来ているように思うから、木乃香が一人なのは珍しいなと思っただけだ! 他意はない。本当にだぞ」
「はいはい」
そこまでうろたえておいて他意はない、は通らないだろう。やれやれ、あんなののどこがいいんだか。
と、噂をすれば。
「お、栗花落に七瀬。はよーっす」
思ったより遅れてなかったらしい長谷寅君が、後ろから声をかけてきた。
瞬間、びくーんと体を硬直させる能美ちゃん。ギギギ、と油の切れた機械みたいな動きでぎこちなく振り向く。
「お、おお、おはよう。今日もいい天気だな、長谷寅!」
「いや、めっちゃ曇ってるぞ、今日」
うん、そうだね、どんよりしてる。落ち着きなさい、能美ちゃん。
目の中がぐるぐると渦を巻き、すごい勢いでパニックになっていくのが痛いほど分かるわたしは、助け船のつもりで長谷寅君と話題を広げた。
「なんで今日、ちょっと遅かったの?」
「寝坊だよ。ほんの少しだけど」
「珍しい」
「むしろ目覚まし忘れて致命的な時間に起きなかっただけ褒めてくれ。お前と七瀬はいつも通り元気そうだな」
「わ、私か!? 私は元気だぞ!」
「……本当か?」
落ち着きなさいって。長谷寅君、目が点になってるから。あと顔真っ赤。
能美ちゃんの様子がおかしい原因が体調不良にあると踏んだらしい長谷寅君は、ごく自然な動きで能美ちゃんのおでこに手を伸ばした。
「熱はなさそうな感じだけどな……」
トドメである。わたしは頭を抱えた。
長谷寅君のてのひらの熱で沸騰した能美ちゃんは、ビンタのような強さでその手を払いのけると、バビュンと教室のほうへ走り去っていってしまった。
「…………痛い」
それは悲痛な、呟きだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます