45話




「うん、綺麗で広いですね。というか、よく空いてました」



「白雪さん、ここは?」



「ラブホテルです。まぁ、最近は家族で利用する人を含めて色々な使い方していますし、入り口もがばがばですから安心してください」



 言われるがままに白雪さんに連れてこられたのは、ラブホテルって言われる場所だった。



 あたしだって名前くらいは知ってるけど、中に入ったことなんて当然ない。



 だけど、白雪さんは何度も来ているみたいだった。



 確かに白雪さんの言うように中は明るくて広くて、落ち着ける感じの部屋だった。



 ラブホテルっていうと勝手にうす暗いを想像してったけど、全然違って本当にのんびりできそう。



 ベットは広くて、あたしの使ってるのの倍くらいはある。



 あたしの親には、白雪さんの家に泊まってくるからって嘘の連絡をしてある。



 両親は白雪さんの家って言う事で、何の疑いもなく了承してくれた。



 だけど、実際には二人きりでラブホテルに居る。



 この嘘をつくことに、あたしは全く罪悪感なんてなかった。



 だって親の言う事を聞くより、白雪さんがあたしにくれるプレゼントをもらう方が需要だったから、



 白雪さんは黒いケープっていうらしいのを脱いで、白のブラウスと深緑のロングスカートになっていた。



 あたしもさすがのそのままって訳には行かないから、コートを脱いで白雪さんの前に立っている。



「間森さん、いつまでも立ってないでください。ほら、こっちですよ。さっきの続きです」



「うん……」



 もういつものあたしじゃなくなったあたしは、白雪さんに誘われるままに一緒にベッドに横になった。



 横を向くと初めての距離で見る、白雪さんの顔があった。



「可愛いですね、間森さんって」



「え、何……いきなり?」



「こんなに近くで顔をゆっくり見るの、初めてですから」



 白雪さんも駅での言葉通り舞い上がってるのか、ちょっといつもと様子が違う。



 素直な感じの表情が、ちょっと子供っぽい。



「可愛いとか、いや」



「それは、大人じゃないからですか?」



「うん。だって、嫌だ。あたしは大人になりたいんだよ。可愛いとかこど……え?」



 言葉の途中、いきなり視界がなくなった。



 白雪さんが駅とは違う感じで、ギュッとあたしを抱きしめていた。



 ふわっとした香りと感覚から、あたしの顔が押し付けられているのは白雪さんの胸だってわかる。



「本当に一人で良く、頑張ってきましたね。一人でずーっ大人に近づける心の積み木を積んだなんて、間森さんはすごいんです。クラスの誰よりも、あたしなんかよりすごいんです。間森さんは、すごいんです」



「む、無理なんか!あ、え、ちょっとはしたけど、そんなに無理してなんて……」



 だけど、白雪さんはあたしの言葉を全く無視してぎゅっと抱きしめる。



 違う、無理もしてないし、すごくなんてない。



 いくら白雪さんが言ってくれても、あたしはすごくない。



「でも、間森さんはその代わりに、大切な時代を過ごさなかったんです。子供時代っていう、大人の基礎になるとっても大切な時代を」



 基礎?



 白雪さんが言っていた、積み木を積むための基礎の事なのかな。



「ずっとあたし、間森さんを大人にするために色々考えてやってきました。工夫をたくさんしてきました。積み木が積めるように準備も、積めるような方法も考えてやってきました。でも、基礎の積み直し方だけがどうしてもわからなかった。でも、最近それがやっとわかったんですよ。こうすれば、よかったんです」



 分かったって言っても、子供時代に今から時を戻すなんて、いくら白雪さんでも無理。



 だけど、白雪さんはできない事っていうのを絶対に言わない。



 じゃあ、何をって思ってると不意に頭を撫でられた。



「ひな、かわいいよ」



「なっ!やめ!ひなって、名前で呼ばないで!嫌いなの、知ってるよね!?」



 白雪さんは当然、あたしが名前呼びされるのを嫌いだってわかってる。



 なのに、わざとっていうくらい優しい声でしかも頭を撫でながら言ってくる。



「可愛いひな。誰よりもかわいいひな」



「違う!違うよ!止めて!」



 白雪さんの子供扱いするような言葉は、あたしの心の浸み込んでいくけどそれを必死で拒絶する。



 ひなって名前が、大嫌い。



 可愛いって言われるのが、大嫌い。



 だって、大人にならなきゃいけないあたしにはどっちも不要なものだから。



 それを、白雪さんは知ってるはずなのに、何でこんなことをするのか分からない。



「止めないよ?何度だっていうよ。ひな……ひな……」



 逃げ出そうとして暴れたあたしの事を、白雪さんはぎゅっとつかんで離さない。



 それも、どんどん声は優しく甘くなっていく。



「ずーっと求めてんだよね。可愛いひなを。本当は、みんなみたいに見てほしかった。一人の特別な力もない、羅針盤じゃない、ただの女の子って見てほしかった。ただの、一人の可愛い女の子になりたかった」



 やめて、やめて。



 そんなことない、そんなことない。



 そんな子供じゃない、あたしはみんなとは違う大人に早くなりたいから、そんなことは――。



「甘いものおいしいって言いたかった、かわいいのがたくさん欲しかった、わがままをたくさん言いたかった、無邪気に遊びたかった、ひなはそんな事ずっとずっとできなかったんだね。あたし、知ってるよ?」



 違う、そんなことあたしは一度だって望んでない。



 違うよ、白雪さん。



 本当に、違うんだから、勘違いしないで!



「初めてのあたしとのデートの時、ちらちら他の子が食べてるイチゴのクレープ見てたのも、かわいいハートのイヤリングに目を奪われてたのも、ゲームセンター誘った時の一瞬嬉しそうな顔したことも。あたし、全部覚えてる」



 違う、そんな、そんな事ないよ!



 だけど聞こえてくるのが、急に甘い優しい声から悲しそうな声になった。



「かわいそう。ずっとずっとできなかったなんて、あたし、考えるだけで辛くなって泣いちゃいそう」



「え……?」



「でも、あたしは知ってるよ。本当のひなは、誰よりもかわいいって。あたしにとっては可愛くて魅力的で、ずーっと側に居てほしい女の子だよ」



 白雪さん、本当にそう思ってる?



 じゃあ、今まで聞こえてきたことは、本当は本当?



 だって、あの一番の特別であたしのことを本当に考えてる白雪さんの言う事だから、本当にあたしはそうなってたってことだよね。



「だから、なっちゃおう。ひなのなりたかったひなに。あたしは受け止めるよ。どんなひなだったって」



 そうだ、白雪さんはどんなあたしだって受け止めてくれるはず。



 じゃあ、まさかこれが……?



「これが、あたしの一人で頑張ってきたひなへの誕生日プレゼント。あたしの前なら、いつだってひなのなりたいひなになっちゃえる権利」



「だめ……あたしは……あたしは……」



 だけど、受け取るなんてできない。



 そんなことしたら、あたしがどうなっちゃうか怖い。



「あはは、かわいい。そんな震え声出しながら抵抗しちゃうなんて強情だなぁ。それがひならしいよ。でも、これは絶対に受け取ってもらうからね」



 耳元から聞こえる白雪さんの声は、同じ人とは思えないくらいコロコロと変わる。



 優しい陽だまりのような声、甘いとろけそうな声、冷たい氷のような声。



 その全部があたしの心を包んでいたなんかを、一つ一つ壊していくの分かっちゃう。



「やだ……ダメ…子供……嫌われる……」



「うんん。ひなの事、嫌いになったことあった? ないよね?だから、今回も大丈夫だよ」



「だ、だって」



「それとも、あたしを信じられない? それ、あたし悲しいな……ひながあたしを信じてくれないなんて、悲しいよ。一番の特別なのに、信じてくれないなんて悲しいよ」



 え?それは嫌だ!



 白雪さんを悲しませたら、もしかしてあたしからいなくなっちゃうの?



 また一人になって、一人だけで頑張るなんてもう絶対に嫌なんだから!



「違うよ、あたしは白雪さんを信じてる……。でも……」



「ひな、これプレゼントでもあるんだけど大人になるために必要なこと。だから、怖くなんてないよ。それに、いつか、ひなはしなきゃいけないんだから」



 あ、そうなんだ……大人になるために必要なんだ。



 なりたいあたし、あたしがずっとしたかったことを今はしていいんだ。



 白雪さんはどんなあたしでも捨てないし、これは大人になるために必要なんだ。



 あは、そうなら、もういいや。



 心を包んでいた全てとあたし『間森ひな』を作って支えていた大きな何かをゴミのようにぽいって捨てると、次の瞬間にはあたしの口はためらいなんて全くなく自然に動いちゃった。

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