28話



 白雪さんの家はあたしの家から、歩いて5分くらいのとこだった。



 これなら、だいぶ遅くなっても平気で帰れそう。



 二階建てのどこにでもありそうな、特徴も何もない普通の家って外見だ。



 白雪さんが静かに戸を開けた後ろからそっと中を見ると、真っ暗な家の中から人の気配は一切ない。



「ただ今、帰りました」



 真っ暗の家の中に何の迷いもなく言った白雪さんに続いて玄関に入ると、先に上がってぱちりと電気をつけてくれた。



 廊下には何にもなくて、本当に白雪さんがいつも住んでるの? って、疑うほど。



「あたしの部屋は二階ですので、ついてきてくださいね」



「あ、うん」



 廊下の突き当りにあった階段から二階に上がって、案内されるままに白雪さんの部屋に入った。



「ゆっくり……できないと思いますが、楽にしていてくださいね。今、飲み物、取ってきますので」



 白雪さんが出ていったところで、部屋を見渡すとあたしの部屋と全然違う事に気が付いた。



 壁際にある本棚三つにはぎっちり本が埋まっていて、マンガっぽい本がたくさんあるみたいだけど、他はほとんどがなんか難しそうなタイトルの本でびっちり埋まっていた。



 左右に視線を走らせて眼に入るどれもが今のあたしには縁がなさそうなものばっかりで、それもどれも結構厚い。



 なんだか見てるだけで頭痛がしてきそうなので、あたしは別の方向に視線を移した。



 机の上には小さなテレビみたいなのと、黒い縦長の四角い箱があった。



 形とキーボードっていうのが見えるから、たぶんパソコンってやつだ。



 他に部屋にあるものは特に変わったものはないけれど、ともかくあたしの部屋とも今まで行ってきたどの友達とも違う変な感じの部屋。



 女の子を感じさせるのは、姿見と部屋に何着かかかっている白雪さんのお気に入りっぽい黒を基調とした変わった服くらい。



 誤解を構わないで言っちゃえば、あたしが知ってる『白雪澄乃』って女の子からイメージする部屋とはかなりズレていた。



 部屋に電気がついているはずなのに、重くて黒い。



 そんな感じがする、部屋だった。



「やっぱり落ち着かないですよね、ごめんなさい。って、あたし机出してなかったですね、ああ、何やってるんだろ」



「ああ、うん。ちょっとね。っていうか、焦らなくて良くていいから」



 白雪さんは、あたしに構わないでちょっとバタバタしながら部屋の隅から折り畳みの机を出してきた。



 なんというか、そんな様子に少し心が落ち着いちゃう。



「冬はこたつとしてなんですけど、こういう時には使えますね。脚は遠慮なく崩しちゃって、大丈夫ですから」



「ありがとう」



 白雪さんが麦茶の入ったボトルと二つのコップを置いて座るのを見てから、あたしは対面に座る。



「さて、今日もお願いします。でも、いつもよりちょっとゆっくりやっていきましょうね。今日も焦りからのケアレスミスが続いてしまったら、何のための勉強会か分からなくなりますから」



「うん、よろしくね」



 いつものようにあたしの前だけで見せる、いつもは降ろしている長い髪を後ろに縛った髪形になった白雪さんに頭を下げる。



 勉強会が始まってあたしに見せる一つ一つに仕草と口から出る言葉から、本当にあたしのことを大切に思ってくれてるんだって思う。



 あんな子供みたいな態度を見せたのにいつもと変わらない扱いしてくれる白雪さんに、あたしはすっかり安心感を覚えていた。




「うん!すっごい出来てますよ! よかった……」



 一度目の休憩の時、白雪さんは表情を緩めていた。



 白雪さんとの勉強は、いつも30分で一区切。



 何度かあたしと勉強会をした結果、白雪さんが導き出したあたしの集中が持続する最大時間らしい。



「今日はケアレスミスもないですし、前みたいに丁寧に向かっている感じがしました。本当に、安心しましたよ……今日もできなかったら、いろいろ考えなきゃいけないなって思ってましたから」



「ああ、うん、心配かけてごめん。でも、感覚は結構、戻ったかな。前もこんなだったかなって」



「これなら、中間も何とかなりますね。一緒に点数上げましょう。それでは、ちょっと甘いものを取ってきますね。すぐ、戻りますから」



 白雪さんは軽く言ってくれるけど、あたしだって一学期末でかなり上がってる。



 勉強は難しくなってるはずだし、この順位をキープするのでも十分いいはずなのにって思う。



 だけど白雪さんの真っ直ぐな視線を見るとそんな不安なんて言えないし、もしかしたら上がるかもしれないって思っちゃう。



 こうあたしに思わせてくれる白雪さんは、本当にすごいって思ってる。



「白雪さんて、本当にすごい。色々知ってて、大人だよ。もしかして、大人ってどうなればいいかも知ってのるかな。って、そんなの、白雪さんにも分からないよね」



 てっきり居なくなったと思って俯きながらの誰も聞こえないような小さなつぶやきだったはずなのに、白雪さんは部屋を出ていってなかった。



 そして、あたしに立ち上がった背中を向けたまま、こうはっきりと言った。



「分かります。あたしが思う大人は、自分でやるべき事を決め、それが正しいと信じて行う人です。間森さんは、違うんですか?」



 なんで?



 白雪さんの言葉を聞いて頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。



 あたしが迷って出せなかった答えを、なんで白雪さんは持っているんだろう。



 しかも、迷いなく言えたってことは、その答えずっと持ってたってこと?



「え、え、白雪さん……?」



「あたしは、ずっと思ってましたから。大人っていうのはそう言う人間だって。もちろん、色々な考えが世の中にはありますから絶対じゃないですし、他にもいろいろな要素があります。だけど、あたしが思う大人の一つの基準は先ほど言ったことです」



 戸惑うあたしを見下ろしながら言う白雪さんは『何か特別なことを言いました?』みたいな余裕の表情だ。



「間森さんは、違うんですか? 間森さんは、そんな大人では無いんですか? 大人なんですよね、間森さんは」



「分からない……」



 白雪さんの問いかけにあたしの口からは、ついにそんな言葉がこぼれてしまった。



「大人、なりたいだけ……なんだ。あたし、子供なんだ」



 もう、ダメだった。



 白雪さんにだったら、あたしの抱えていた迷いも、戸惑いも、気が付いちゃった事実も吐き出してしまいたくなっていた。



 それは白雪さんにならきっと言っても大丈夫っていうのと、言葉を受け入れちゃうしかあたしに選択肢が無くなっていた。



 その両方だ。



 それにきっと最近の出来事から白雪さんにはあたしが無理して大人で居ようといることも、まだ子供だって言う事ももう分かっちゃっている。



 そう思うと、隠すことなんてできるはずもなかった。



 嘘つきだから嫌われると思って、あたしは顔も上げられないでいた。



 だけど、怖くなるくらいの静かさの後に聞こえていたのは、小さな白雪さんの笑いだった。



「じゃあ、あたしが間森さんをなりたかった大人にしてあげますよ。あたしなりの大人になる方法、教えてあげます」

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