20話

 あああ、なんで、どうして?


 あたしは一枚の紙を目の前にして、手が止まっている自分に呆れていた。


 頭と体を固めている紙の名前は、進路志望っていう名前の紙。


 先生に今日の朝渡されて、月末までに書いておくようにってこと……だったんだけどみんなに聞くともう結構書いちゃったっていう答えばっかり。


 いやいや、ちょっと待ってほしい。


 今は、高校一年生の夏休み明けの9月の頭。


 何でそんな時期なのに、みんな進路とか書けるわけ?


 当然、進学先の名前や学部や学科を細かくって指定はないけど、それだって書けないのが普通じゃないの?


 もやもやした結果、ホームルームは先生の話なんて一言も頭に入ってこないままいつの間にか終わっていた。


「白雪さーん」


 一学期と変わらない斜め前の席で、誰も居なくなったからか机の上に腰を下ろしてこっちを見ていた白雪さんに、あたしはもう全く抵抗もなく近づいた。


「どうしましたか?」


 白雪さんはあたしを、柔らかい表情で迎えてくれた。


 あの夜の一件以降、あたしと白雪さんの距離はぐっと近くなった。


 ほぼ毎日会って何かをするようになったし、学校でも授業の合間時間によく話すようになっていた。


 最初は話題が勉強ってことでしか話していなかったんだけど、今はいろいろ相談できるような友達って間柄になっていた。


 周りの子は最初、噂の事で心配してたけど、あたしが大丈夫ってところを見せたおかげか今は全然気にしていない。


 あの噂と白雪さんが郡司先輩に対して今までしてきたこと関しては、全く広まっていない。


 あたしだって今だって信じられないくらいくらいなんだから、噂で止まっちゃうのも当然っていえば、当然だけど。


 白雪さんとの勉強に関しては、ばっちり結果が出ていた。


 あれだけ不安だった期末テストだったんだけど、結果としては学年で20位アップっていう信じられない結果になっていた。


 白雪さんはいつも通りって言って順位を知らせてくれなかったけど、あたしより上ってことだけは教えてくれた。


 あたしが白雪さんに勉強で勝てるなんて思ってないからその結果は当たり前だし、気にはしてないんだけどともかく嬉しい。


「間森さん、書けてないんですか?」


「う、まぁ、そう……」


 察しがいいというか、なんというか何だけど白雪さんは結構あたしの言いたい事を先回りしてくる。


 どうやら、あたしの表情や態度で分かっちゃうみたいなんだけどその確率はかなりのもの。


 態度や顔に気持ちが出るなんてこどもみたいだから、気をつけてるつもりなんだけどな。


「いや、だってさ……」


「進学か就職かも決まってないから、進路なんて書けない」


「ち、ちが……」


「言い切れます?」


 そらした視線で白雪さんがどんなか顔してるかは分かんないけど、大体想像つく。


 名前通りの澄んだ瞳で、こちらを伺うように小首を傾げてるに違いない。


 あたしだって、白雪さんの一番の特別な友達を名乗ってる訳じゃない。


「当たり」


 観念したって感じでため息をついて白雪さんに向き直ると、やっぱりまっすぐな瞳があった


 早く大人になるのが、あたしの大切な目標。


 その為には進学と就職、どっちがいいか分かんない。


 早く社会に出るなら就職の方がいい気もするし、でも大学に進んだ方がなんとなくいい気もしちゃう。


「白雪さんは、早かったよね」


「そうですね、もう決まってましたから。まだ、具体的ではないですけどね」


 白雪さんは配られるとすぐにさらさらと書いて、いつもの様にスマホをいじってた。


 一番の特別な友達なこともあるし、斜め前の席って条件付きも重なって目に入っちゃった。


「ねぇ、どっちにしたの?」


「進学ですよ」


 進学っていう進路志望にあたしは驚きもなんともないけど、何で?いうのは気になる。


 白雪さんくらい勉強できれば進学するのは当然かもしれない。


 だけど、この頭の良さならすぐに社会に出て大人としてやっていけそうな気もする。


「理由ですか? 別に大したことではないですが……」


 また表情で分かったのか理由を話してくれるみたいだけど、最後の歯切れが悪い。


 こういう時の白雪さんは、分からないんじゃない。


 あたしに『聞きたいですか?』って、選択肢をくれてるっていうのは夏休みに覚えたこと。


 白雪さんはほんと優しくて、無理にお話を聞かせることはない。


 聞きたいかどうかっていうのを、相手に合わせてくれる優しい人だった。


「うん、聞かせて」


「あたし、誰かの特別になりたかったんです。だから、しっかりと勉強とか経験とかしてその誰かの隣に立っても、迷惑にならないようにって思ってました。今は間森さんの特別になれましたけど、あたしの中ではまだまだです。だから、進学して勉強をして、あたしのできることできないことを見極めて、隣に立っても恥ずかしくないようにしたいんです」


「え?」


 理由を話し終わった後、白雪さんがあたしだけの前で見せる少し柔らかな表情を見てあたしはきょとんとしてしまった。


「あたしの隣って、別に進学しなくたって……。今だって、恥ずかしいって思ったことないよ」


 今だって白雪さんは、あたしより頭がいい。


 あたしが引っ張っていかないといけない立場なのに、たまに白雪さんに引っ張られることもある。


 やっぱり先輩のためにあんな大人とデートしてお金を貰うなんてことをしていたからかもしれないけど、考えがしっかりしてて今だって隣に居て恥ずかしいと思ったことなんてない。


 だけど、白雪さんははっきりと首を振った。


「そんなことはないと思います。あの、確認です。間森さんは、早く大人になりたいんですよね」


「うん。それだけは間違いないよ」


 夏休みに白雪さんに、どういう人になりたいんですかって聞かれたときあたしは迷わず『大人になる』って答えた。


 今もみんなより大人だとは思ってるけど、まだまだ周囲やあたしの思ってる大人と比べると子供だって思うところもある。


 年齢的には高一だから、成人式までまだあるとは思うけどそれじゃ遅い。


 みんなが大人になったって頃には、あたしは大人が当たり前になってなきゃいけないって思うからだ。


 でも、それがどうしたんだろうと思ってると、白雪さんはまたあのやわらかい表情になった。


「じゃあ、まだまだです。間森さんの隣に立つためには、あたしにはすべてが足りません。知識も経験も、実力も全部全部足りません。だから、高校で基礎を作って大学でしっかりと知識を深めていきたいんです。卒業する頃にはあたしは堂々と間森さんの隣に立てるような人間になりたいんです」


 全く淀みもなく、迷いもなく白雪さんはあたしの言葉に応えてくれた。


 何でだろう、って思う。


 こんなにしっかりしてるのに、まだまだ学び足りないって思ってる理由があたしには分かんない。


 白雪さんはしっかり未来を見てて、なりたい自分がしっかり見えてる。


 それに比べて、あたしはどうなんだろう。


 大人になりたいなりたい。


 そう思ってるけど、実は具体的にどういう大人かっていうのはそこまではっきりしてない。


 同じ年齢であたしの方が大人のはずなのになんであたしはぼんやりで、白雪さんはこんなにはっきり未来が見えてるんだろう。


 そう思うと、焦りと恥ずかしさがごちゃ混ぜになっている。


「そ、そうなんだ……」


「はい。だから、今度の中間は今まで以上に頑張りたいですね」


 迷いない白雪さんを見ているあたしの顔は、きっとその真逆の顔をしていたんだと思う。


 それを、白雪さんはどんな風に思ってたか。


 そう考えると、あたしの心は静かな教室の雰囲気とは真逆の物になっていった。

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