次元斬一刀必殺

第1話 あり得ない代物

 錯覚ではない。クラウスは閉ざされた双眸そうぼうの闇の向こうに、陽光のように輝くシホの気配を感じた。それとは別にあとひとつ、白い毛並みを持つものの気配も感じた。シホよりも強く伝わる獣の気配は、明らかにただの獣のものではない。だがいま、それはいい。少なくとも獣は、シホと敵対してはいない。それどころか、さらに別にもうひとつ感じる、禍々しい気配からシホをかばい、護るようにそこにある。

 その獣の気配が、こちらに向いた。


『斬れ、騎士よ』


 獣が話し掛けてくる。人の言葉だが、クラウスの聞いたことのない言葉だった。だが、なぜか、その意味はわかった。音として聞こえている以上に、ひとつの観念として、獣の声はクラウスの耳朶を打ち、頭の中に響き渡る。


『あの胡散臭いのが渡したその剣ならば、斬ることができるはずだ。一刀必殺』


 懐かしい呼び名で呼ばれた。遠い彼方の大陸で呼ばれていた異名を、クラウスは噛み締めながら膝を曲げ、腰を落とした。

 白い獣の気配の、ある一点だけが強く感じられるようになる。明らかに意図的に、獣がそこを示している。ここを斬れ、と言っている。

 クラウスは片足を引き、右手の中にあるタチの柄をより強く握り締めた。はっきりと、クラウスはタチから流れ込む力……魔剣としての魔力を感じた。


『いまだ、斬れ!』


 クラウスは獣の声に導かれるように脚を踏み出した。圧縮したバネのように貯めた力を解放した身体が、常人を優に越える素早さを生み出し、その速さに裏打ちされたタチの抜き打ちは、クラウス自身が知っている自分の剣の中で、最も速い一刀となった。

 固い、石のような何かを斬った感触があり、次いで甲高い音で斬った何かが砕け散る音が聞こえた。同時にシホの輝きが突然近くに感じられるようになる。

 まだだ。誰に言われたわけでもなく、クラウスはそれを察した。振り抜いたタチの刃を返し、それを引き付けるように再度、タチを打ち抜いた。

 その刃に、禍々しい気配が絡み付き、確かな手応えが返る。紛れもなく、人を斬った感触だった。だが、この気配の禍々しさには、覚えがあった。これは……本当に人だったのか。それとも……


「クラウスさん!」


 すぐ間近で、シホの声がした。我に返ったクラウスに、シホの小さな身体が抱き付いて来る。


「よかった、ここ、移民街区ですよね! よかった、よかった……」

「……シホ様、いったい……」


 クラウスは泣き出してしまうシホを宥めながら、周囲の気配を探った。不思議なことに、あの白い獣の気配はどこにもなく、ただ、あの禍々しい気配の残滓ざんしのようなものを感じた。

 シホを伴ったまま、クラウスはその気配の側に歩み寄る。それは路地に落ちていた。


「……ばかな」

「やっぱり、クラウスさんも思いましたか」


  涙を拭いながら、シホが言う。


「このナイフ、やっぱり……」


 間違いようがなかった。


「魔剣です。……百魔剣」

「なんでフィン国に百魔剣が……」


 シホの言葉に返す答えを、勿論クラウスは持ち合わせていなかった。

 『銀の短剣』の勝手口に姿を現したフィッフスがシホの名を呼び、シホがフィッフスに抱き付いて行く。その気配を『見守り』ながら、クラウスは手にしたタチを鞘に納めた。


「……どういうことだ、死神」


 クラウスが知る限り、理由を知っていそうな男に向けた呟きは、タチが納められた鞘鳴りの音に掻き消された。

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