第2話 封じる指命

 歳の頃は自分より少し下か。十二、三歳の男の子が、通りの真ん中に立っていた。


「こっち!」

 

 浅黄色の上下の作業着に、同じ色の帽子を目深に被った男の子の格好から、倉庫作業の下働きをしている子どもだ、と瞬時に判断したシホは、男の子の手を掴んだ。このまま追ってくる男の前にこの子を晒してしまえば、この子も目撃者として命を狙われることになる。シホはどうにかして、それだけは避けようと思った。

 まるでシホの考えと直結しているかのように動いたのは、先を走っていた白い獣だった。軽やかに石畳を蹴って向きを変えると、再び迫る男に向かって飛び掛かっていく。足止めをしてくれるのか、とシホも獣の考えを理解して走り、男の子を次に飛び込んだ小径の倉庫の陰に押し込んだ。


「このまま、 わたしたちの後に男の人が通って暫くするまで、座っていて。いい?」


 自身も焦っていたが、男の子を動揺させないよう、極力優しく、シホは笑顔で男の子に伝えた。煉瓦作りの倉庫と倉庫の狭い隙間、そこに並ぶ木箱の陰に座り込んだ男の子は、うんうん、と二度頷いた。それを見届けたシホはまた走り出した。その背を、白い獣が追い越し、再び先導する。

 肩越しに視線だけを向けると、髭の男は少し遅れながらも、やはりシホを追ってくる。このままでは、事態は変わらない。

  堂々巡りの思考が、ふと、腰にある重さを感じさせた。護身用の短剣。一見、ただそれだけに見えるであろう刃渡りの得物の存在を、シホは思い出した。

 この短剣の力を使えば、暴漢程度であれば撃退できる。だが、この力を使。相手は異常な殺人犯で、自分はその手に掛かる危機にある。それでもシホは相手のことを考えてしまった。この短剣には、そうしたがある。

 躊躇していると、足取りが遅くなってしまっていた。はっ、と我に返った時には男の気配が一息に近付いて、シホの背のすぐ後ろまで迫っていた。

 いけない、と思った瞬間、シホは身に纏ったレース編みの大きな白いカーディガンの背を掴まれてしまった。


「お、んなあ……」


 一瞬、人かどうかも判断できない声で、殺人犯はそう言った。大きなナイフが振り上げられたのを見て、シホの右手は躊躇を超えて反射的に腰の短剣を掴んだ。次の瞬間には、引き抜かれた短剣が男のナイフを受け止める形で交錯する。


「……このナイフ……!」


 シホは男の様子と、男のナイフから短剣を通して流れ込んで来る力から、ある感覚を覚えた。その力は、男の膂力りょりょくによる物理的なものとは異なる。にわかには信じられなかったが、

 シホが男のナイフを弾き、身を引いた。男は姿勢を崩したが、すぐさま立て直し、再びシホに向かってくる。フィン民主国に来てから、長らくこうした荒事から遠ざかっていたが、シホは身を守る術を……受けて返す剣の使い方を知らないわけではなかった。まして相手が、シホがだと言うのであれば、その刃は受けなければならない。

 吠え声が煉瓦作りの建物に反響する。白い犬は覚悟を決めたシホと殺人者の間に割って入ると、首だけで後ろを向くあの仕草と意思ある瞳で、シホに退くように伝えてくる。だが、こうなってしまっては、退くわけにも行かない。相手が相手だとわかった以上、シホは封じる指命を果たさねばならない。それにこれ以上、退ける場所もない。


「わんちゃん、下がっていて。この人は……」

『いるな』


 あまりに突然、よく知った声を聞いた。シホは錯覚かと思ったが、その時、気付いた。声の主の気配が、すぐ近くにある。

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