第2話 覚醒
「……どういう意味です?」
自分にそんな知識はないし、シホのように魔剣を媒介にして魔法を使う力もない。フィッフスが何を意図しているのか、クラウスにはわからなかった。
そんなこちらの様子に、『母』が朗らかに笑う。
「わたしの研究が正しければ、ね。まあ、握ってみな」
「それは、剣を帯びろ、という意味ですか?」
フィッフスが頷く気配があった。
盲目となり、騎士を辞した。それでもシホを守る役割だけは捨てられず、シホの身辺の面倒を見る役割をもらった。日常生活には支障がなくとも、争い事には支障がある。その日以来、如何なる刃も帯びたことがない。剣は戦士の魂である。戦士であることを辞した自分には、重すぎる代物だった。
「そうさねえ。その方がいいかもしれないねえ。いま触って何も起きないなら、そういうことかも知れないねえ」
誰かに訊くような、考えながら話す気配のフィッフスの言葉には疑問があった。だが、少なくともフィッフスは、他人を騙して貶めるような人間ではないことは、クラウスもよく知っている。
クラウスは無言のまま、フィッフスの手からタチを受け取った。手探りにズボンのベルトに差し込んで、帯刀の真似事をしてみる。
「どうだい?」
興味津々といった調子のフィッフスの声。だが、どうだ、と言われて、なんと応えるべきなのか。
「どうだ、と言われましても……」
これといって変化はない。ただ、腰に剣の重みを感じる。
いったい、フィッフスの言った『研究』 とは、何のことだったのか。考えながらクラウスが、何ともなしにタチの柄に右手を置き、ちょうど、いままさにタチを鞘から抜く直前のような姿勢になった、その時である。まるで稲妻の光のように、一瞬、クラウスの頭の中に、ある映像が映った。
石畳と煉瓦作りの街を、シホが走っている。その表情は
と、シホの背後、建物の陰から男が現れる。大柄な男。毛量の多い髭面に穿たれた双眸の輝きに、異常な光を感じる。その手には、大型のナイフのような刃が握られており……
映像はそこで途切れた。 あまりにも不穏な、一瞬の白昼夢。シホの身に迫る危険。何だ、とクラウスは慌てて周囲の気配を探ったが、最前までと変化はない。
「どうしたんだい?」
非常に険しい表情になっているのだろう。訊ねるフィッフスの言葉にも、こちらと同等の緊張感があった。
ただの白昼夢と呼ぶには、あまりにも鮮明だった。煉瓦の街角を包む薄暮の空気。匂い。温度。恐怖に震えながら逃げるシホの息遣い。そして迫り来る男の異様。全てが、さも現実に、目の前で起きているかのように、五感に訴えかけて来る。しかもそれが、すぐ近くで起きている、とクラウスにはわかった。あの煉瓦作りの街角がどこなのか、それはわからない。見たこともない。シホの気配は相変わらず感じ取れない。それなのに、シホはこの『銀の短剣』のすぐそばにいる、と感じるのだ。
「……シホ様が危険だ」
それだけを言い置いて、クラウスはカウンターに背を向けて、店先から奥の、居住スペースへと駆け込んだ。驚いたフィッフスが何かを叫んでいたが、応じている余裕はなかった。
居住スペースを奥へと抜けると、勝手口の扉に行き当たる。クラウスは迷いなくその扉を開いて外へと駆け出した。
勝手口の向こうは『移民街区』の特徴でもある、 入り組んだ小径であった。正確に言えばそこは道ではなく、建物と建物の間にできた境界地という位置付けだが、『移民街区』の人々は、互いに生活通路として利用していた。多くの移民の、様々な文化、風土よって作られた建物が並び合う『移民街区』では、ひとつひとつの建物の形状が複雑であり、こうした小径は、この街区の住人たち以外が迷い込めば、たちどころに迷ってしまう。
そんな狭い生活通路に立ち、クラウスは意識を集中した。夕方、既に陽は建物の陰に落ち、小径に人の気配はない。店先にいたときよりも、往来から感じた気配も遠い。なぜ自分がここに来たのか。なぜここだと思ったのか。それは説明できなかった。ただ、クラウスは確信していた。ここだ。シホは、ここにいる。
強い意思を宿したクラウスの右手が、腰に帯びたタチの柄を握り締めた。
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