帰りが遅い
第1話 少し、不思議です
「シホはまだ帰ってないのかい?」
顎を上げて、周囲の気配を探っていたクラウスは、後ろから近付いて来ていた『母』が話し掛けてくるだろうことも既に察していた。しかし、すぐには返事を返さなかったのは、探している気配がまるで見当たらないからだった。
あの胡散臭い商人が、タチという片刃の剣を預けて行ってから、漸くの時が経っている。盲目の身に正確な陽の傾きはわからないが、骨董屋『銀の短剣』を包む周囲の気配は、いつもの夕方、どことなく急ぎ足の喧騒 の気配に包まれている。
この店の主人にして『妹』であるシホ・リリシアは今日、 フィン国中央区の観光地、王城前公園に、骨董品の買い付けに行ったはずである。どこへ行くにしても『暗くなる前に帰る』のが、『母』と『兄』との約束であり、シホがそれを破ったことはこれまでない。どんなに遅くとも、いまぐらいの気配が漂い始めれば、その中に彼女の気配も感じるようになるのが常だった。輝く陽光のような気配は、他のものとは明らかに異なる。感じ分けることは、クラウスには難しくはなかった。
それが、今日は『見えて』こない。シホの身辺警護を目的とした騎士団の長であった、そして、『聖女の騎士』を自称し、彼女のためにこの世にあることを選んだクラウスにとって、この上ない不安が過る。
「ええ……少し……不思議です」
「『不安』って言えばいいのに。相変わらず不器用な子だねえ」
言いながら、クラウスが向かうカウンターに並び立った『母』……フィッフス・イフスは、五十代半ばの年齢相応の声と落ち着きでそう言うと、そこで何かに気付いた様子だった。
「おや、こんな剣、うちにあったかねえ?」
「先ほど、とある商人の方が置いていかれました。シホ様に見ていただいて、売りたい、と」
「へえ? ……でも、この剣……魔剣だね」
やはり、とクラウスは思う。自分たちの出身である大陸では『魔女』と呼ばれた魔法遺物研究者であるフィッフスには、説明も、その様な気配もなくとも、感じるところがあるのだろう。
「……商人の方も、そう仰っていました。アヴァロニアの魔剣とは異なる、とも」
「だろうねえ。これは違う魔力で作られているよ」
フィッフスがタチに手を伸ばしたようだった。鞘に触れ、その肌触りと、それ以上に、このタチが持つ『力』を感じている様子だった。
「確かに異なるけれど……魔剣には代わりない。この剣には、強い魔法の力と……人格があるね」
「……では『騎士』以上の魔剣だと?」
クラウスたちが暮らしていた彼の大陸では、伝説に語られる百振りの魔剣は、その魔力の強さで階級に分けていた。『騎士』は上から二番目の強さであることを示し、その段階には一部、剣であるにも関わらず、人格すら持ち得たものが存在する。クラウスが確認したのは、その事だった。
フィッフスは頷き、タチを手に取った。
「おそらくね。アヴァロニアの魔剣よりは、ずいぶんと大人しいから、はっきりとはわからないけどねえ……」
フィッフスが手にしたタチを、クラウスに差し出した。手に取れ、と言われているような気がしたが、なぜ自分に渡すのか、と疑問を持ちもした。躊躇っていると、フィッフスが言う。
「あんたが手にしてみれば、わかるよ」
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