第3話 仕事中の男
薄暮の街路を、街灯が照らしている。その元は明るく、他は薄闇の中だ。その灯りの元にそれはいた。
「……わんちゃん……?」
まるでスポットライトを浴びるかのように、街灯に頭から照らし出された白い毛並みが美しかった。明かりを乱反射させ、輝きを増す体躯は大きく、後ろの足二本で立てば、シホの背など簡単に越えてしまうだろう。長く突き出した鼻口部と、その上にある瞳。その特徴はどう見ても犬で、獣にそういって良ければ、非常に端正な顔立ちをしている。そんな巨躯の犬が、そこに座っていた。
「キレイ……」
頭も体も足も尾も、全身全てが白い毛並みの美しさは、息を呑むもので、シホは気が付けばその獣に向かって歩き出していた。獣は身動ぎひとつせずに座ったままで、シホを見ている。その瞳には獣とは違う、不思議な色があり、シホは導かれるようにその身体に触れてみたくなって手を伸ばしたが、途中で慌てて手を引っ込めた。思慮深いシホが顔を出す。
冷静に考えてみれば、これは変だ。こんな
ところが、シホが身を引くと、白い犬が立ち上がり、歩み寄った。大きな身体を擦り寄せ、シホに甘えるような様子を見せる。
「か……可愛い……それにもふもふ……」
白い犬の毛は、普通の獣のそれよりも、遥かに手触りがよかった。警戒はしていたが、こんな可愛い、そして柔らかい獣が、何か悪いことをするとは思えない、とシホが感想を改めそうになった時である。もう一度、物音がした。
先ほど聞こえた音は、この獣が立てたものではなかったのだ。戦慄がシホに顔を上げさせ、獣のその後ろ、街灯の光の奥を見せた。
街灯の明かりが強く、ここまで近付かなければわからなかったが、白い犬の後ろには、 倉庫と倉庫の間に小径があった。そこに、人影が見えた。大きな影は、男性、それも大人のそれの知れた。
このおかしな街角に迷い混んで、初めて見掛けた人影だった。シホは一瞬躊躇したが、とにかく、この状況を打開しなければいけない、と、勇気を出して声を掛けることにした。
「あ、あのー、すいません、この辺りの方ですか?」
小径の奥で、大きな人影がびくり、と跳ねた。突然シホに話し掛けられたことに、驚いたのかもしれない。
「あ、えと、お、お仕事中でしたでしょうか。す、すいません。わたし、道に迷ってしまったみたいで……」
シホは獣から離れて数歩、小径に近づいた。そこから小径の奥を覗き込む。大きな人影は屈み込み、手元で何かを探るような動作をしていて、シホはこの倉庫の作業員だと思った。
「この辺りに、わたしの家があるはずなんです……骨董屋ですが、ご存知……」
シホは、先の言葉を失くした。人影の手元が見えたからだ。
大きな人影は、やはり大人の男性のものだった。背が高く、いつも見上げて話すクラウスと同程度はあるだろうか。そして、そのクラウスよりも筋肉質で、太い腕が丸太のようであった。その腕の先で、何かが湿った音を立てていた。髭に覆われた四角い顔がシホの方を向く。その顔には、薄暗がりの中でもはっきりとわかる、斑な模様が付いていた。
あの倉庫街で、若い女性ばかりが身体をバラバラに切り裂かれた遺体で見つかる事件があったんですよ。
シホの脳裏を、リコリーの声が行き過ぎる。
遺体からは内臓の一部が持ち去られていて、それは当時にすれば非常に高度な外科的手法だったから、医師が犯人ではないか、って何人も容疑者はいたんですけど、結局犯人にはたどり着かなかったんです。
男は、笑ったようだった。シホの方を向いた毛むくじゃらの顔に、薄汚れた黄色い歯が剥き出す。顔に付いた斑な模様が歪み、幾筋かの流れを作って垂れ下がる。それは全て、紅い色をしていた。
笑ったまま、男が立ち上がり、シホに向き直った。その片手には大きなナイフのような刃物が、そしてもう片方の手には真紅の塊が握られていた。塊からはいまなお紅い液体がどぼどぼと滴り落ちていた。滴る先には人が倒れている。 古ぼけて見える衣装を身に付けた、女性が……
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