炬燵でアイス編

第1話 ぬくぬく、あったか

 寒い。

 寒すぎる。


「紅茶屋さんが、遠い……」


 それは骨董屋『銀の短剣』に炬燵こたつという超常の魔力を秘めたアイテムがもたらされる数日前のことだった。シホは馴染みとなった紅茶専門店『鳥籠の花』へ向かって、自分の店の前の道を歩いていた。『鳥籠の花』は『銀の短剣』と同じ通りにある。冬でなければ、遠いなどと感じることもない、ほんの数件先までの道のりだったが、その日も夜半に降った雪が積もり、底冷えの寒さだった。シホの動きは鈍く、突然年老いたかのような身の縮こまりっぷりで、なんとかかんとか歩を進め、ようやく『鳥籠の花』へとたどり着いた。

 寒いのを我慢しても、美味しいお茶は飲みたい。強い覚悟と決意を持って、ぼろぼろになりながらたどり着いた店には、しかし、誰もいなかった。


「えっ、まさか……」


 お休み……?

 絶望がシホを押し潰そうとする。店の前で膝を折りかけ、力なく伸ばした手が店の入口に触れると、入口の戸はあっさりと開いた。誰かいることは間違いない。しかし、いつもは店番をしているマリアとケイカの姿は店の中にない。普段なら、店の奥へと通じる小上がりに腰掛け、並んで戯れているはずなのに……


「こ……こんにちはー……」


 寒さのあまり、喉も動かない。掠れ、しわがれた声が、どうにか音になったが、これでは誰も出てきてはくれないだろう。どうしようか、とシホが途方に暮れたときだ。店の奥から、どたどたと走る足音が聞こえてきたのは。


「シホちゃんだ! シホちゃんだ! シホちゃん、こんにちはー!」

「こんにちはー。ケイちゃんさんは寒くても元気ですね……」


 店の奥から猛然と走り出して来たのは、十歳くらいの女の子。ケイカだ。相変わらず、雪のように白く、ふわふわもこもことした衣服に身を包んでいる。確かに、あれなら寒くはないのかもしれない。


「シホちゃんは寒いの苦手? わたしもあんまり得意じゃないなー」

「え、あ、えっと、そうなんですか? そうは見えませんけど……」

「ぬくぬくあったかがあるからね!」

「ぬ、ぬくぬく、あったか……?」


 それはいま、シホが最も必要とする言葉の羅列だ。


「そう! シホちゃんも入るー?」

「……入る?」

「こっち!」


 そう言うと、ケイカはシホを店の奥へと誘い、またどたどたと足音を響かせて去っていく。シホは言われるがまま、そして、ぬくぬくあったか、という言葉の響きに引き寄せられるまま、『鳥籠の花』の奥へと靴を脱いで上がった。

 シホの知っている店の奥は、タタミと呼ばれる植物でできた床板が貼られた部屋が広くあり、そこにシチリンと呼ばれる、炭火を焚く道具を置いて、この店の店主シュロが、センベイやモチと呼ばれる穀物の菓子を焼いては、楽しげに食べている、というような場所だった。

 だが、足を踏み入れて見ると、何やら様子が違うものがひとつ、部屋の中心に置かれていた。シュロの姿はなかったが、ちょうどシュロのシチリンの手前だ。そこに背の低いテーブルが置かれていた。そのテーブルには、不思議なことに、天板の下に厚手の布団のような布が挟み込まれており、その布がテーブルの四本足を包み隠すようにタタミの上へと落ちている。


「し、シホさん!?」


 そのテーブルに向かって、黒髪の女性が座っていた。マリアだ。やや慌てた様子なのは、恥ずかしい姿を見られたからだと、シホにはすぐわかった。事実、シホが憧れるその髪の美しさや肌のきめの細かさこそ変わらないものの、纏っているのはずいぶん分厚い羽織もので、髪型も店先に立っているときよりは乱れている。


「マリーちゃん、シホちゃんも入っていーい!?」

「え、あ、こ、炬燵に、ですか?」

「……コタツ……?」


 シホは恥ずかしがるマリアを、やはりどんなときでも可愛い、と思いながら視界に納めていたが、それ以上に、目の前の布団付きのテーブルのことが気にかかって仕方がなかった。これがケイカの言う、ぬくぬくあったか、なのだろうか。なんといえばいいのか。そこはかとなく、見ているだけで不思議と、妙な温もりを感じる。


「シホちゃん、こっちこっち! ここ空いてるよ!」

「……ぬくぬく、あったか……」


 自分で考えることもなく漏れ出る言葉を止めることは出来ず、シホはふらふらと、ケイカに言われた通り、テーブルの一画に近づいて、腰を降ろす。ケイカが布団を持ち上げてくれていて、シホは両の足をそのテーブルの下に入れた。

 ケイカが布団を降ろす。

 シホの両足から腰回りまでが布団に包まれる。

 その瞬間、シホは感じたことのない幸福感に包まれて、意識が遠退く体験をした。

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