第3話 もう出ないかも

「……お前たちか……」


 クラウスではない男の声がして、シホはまた慌てて顔を上げた。今度も恥ずかしい姿を見られた、と取り繕ったが、今度の相手も特に何も言わない。


「リディアか……何を抱えている?」


 クラウスが入室して来た男性に問う。目の見えないクラウスは、相手の僅かな気配や挙動、音や香りで、見ているよりも正確にその様子を把握する。事実、シホは部屋の出入口に立った黒ずくめの優男が、小脇に何かを抱えていることに、クラウスが言うまで気が付かなかった。


「リ、リディアさん、それって……まさか……」


 シホは、クラウスと同じくこの骨董屋では『兄』になる男……リディア・クレイが小脇に抱えているものを確認し、おののく。伸ばした手が、少し震えている。

 リディアはシホの言葉には特に応えることはなく、シホの左手の椅子に腰掛けると、膝の上にテーブルの布をかけ、足をテーブルの下へと入れた。その途端、普段、無表情を貫くリディアが、何かを噛み締めるような、非常に感慨深い顔をした。


「……食うか?」


 噛み締める間を置いて、リディアが小脇に抱えていたもの……乾いた植物の蔓を編んで作った籠と、その中に入った、鮮やかな橙色をした果実をテーブルの上に置いた。柑橘類特有の、清涼な香りが鼻孔を擽る。


「……貰おうか」

「こっちのは皮が硬いな。ナイフでいいか」


 シホが飛び付きあぐねていると、先に動いたのはクラウスだった。甘酸っぱい果汁を持つ果物は、この『魔法陣を備えたあったかテーブル』を持ってきた、二人の男女が「これに入って食べるといいらしいよー」と一緒に持ってきたものだ。シホはその味がとても好きなのだが、あまりがっつくのはリディアとクラウスの前では躊躇われた。


「……お切りしますよ、シホさま」


 ……という気持ちを読み取られていたらしい。クラウスは慣れた手つきでリディアから預かった小さなナイフを使い、橙色の果実を剥いていく。シホは顔を紅潮させながらも、クラウスの手元をじっと見つめながら、果実が切り分けられるのを見守った。程無くして、数切れが食べることのできる状態になると、クラウスがそれを切った皮を器代わりにして器用に並べ、シホに差し出した。

 シホはひとつを摘まんで口に運ぶ。甘酸っぱい果汁が口の中いっぱいに広がり、香りもより強く、満たされる。果汁は喉を潤し、それが引く前に、シホは二切れ目を口に運ぶ。一切れ目と全く同じ感動を覚え、手足をじたばたとさせ、シホはそこで緑茶を飲む。果汁の甘味、酸味と、緑茶の渋みが混ざり合い、これもまた美味しい。

 三切れ目を口に運ぶ頃には、冷えていた足先がしっかりと温まってきた。緑茶の温もりと、柑橘類の果実の効果もあるのだろう。そして何より、このテーブルだ。


「……なんて顔してる」


 リディアに言われて、はっ、となった。だが、もう遅い。鏡を見るまでもなく、いまの自分の顔は、寒さから解き放たれて、融解する寸前まで行っているに違いない。それもこれも、この『魔法陣を備えたあったかテーブル』のせいだ。だが、幸せだ。


「いいじゃないですか。リディアさんだって、いい顔してましたよ」


 珍しく反論して、頬を膨らませつつ、果実もう一切れ。

 あ、これが最後だ……


「……もう少し、切りましょう。この世の終わりのような気配を感じます」


 クラウスがシホから発生する負の感情を読み取り、手元を動かす。シホはその手元を、やはりじっと見つめる。


「……シュロさんのお店にも、同じようなものがあったんですよ。テーブルじゃなかったんですけどね。あれ、何て言ったかな……」

「コタツ、だな」

「コタツですね」

「……なんで二人とも知ってるんですか……?」

「おれは蛇の奴から一時、匿ってもらった時にだな……」

「わたしは先日、紅茶屋に買い出しに行ったときですね。シュロ殿のお知り合いに、わたしと同じ名前の方がいるそうで、そこから煎餅を頂きながら、少し米の話をしたときに」

「……意外と二人とも、仲良くしてるんですね……」


 シホは自分の知らないリディアとクラウスの姿を思いながら、テーブルの下、温かな布に覆われた足をぴんっ、と伸ばした。

 このテーブル、天板の下に熱を発する魔法陣が施されているそうで、中はじんわりと温かい。熱すぎず、ずっと入っていられる仕様で、しかも魔法陣で調節しているので、火の心配もない、という優れものだった。


「コタツ、ですよね、これも。コタツ。わたし、この冬は、ここから出ないかも……」


 そう言って突っ伏したシホに、リディアもクラウスも、何も言わなかった。ちょっと上目遣いで見てみると、二人の顔にも同意するような表情が浮かんでいて、シホは思わず笑ってしまった。



ー炬燵で蜜柑ー END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る