第2話 人は、こんなにも幸せになれるものなのですね

 キッチンを出て、骨董屋の奥の居住スペースへ入る。まだ日中なので、店には来客があるかも知れないが、寒すぎる店先に居続けることは、シホにはできなかったので、先日『いいもの』を持って来てくれた来客に頼んで、ドアベルの音が室内まで聞こえるように、ドアベルをちょっとした魔法陣の施されたものに換えてもらったのだった。至れり尽くせりで、申し訳ない気がしたが、何故かあの二人はニコニコしながらやっていた。

 居住スペースで、骨董屋の住人皆で食事を取るときに利用している部屋に入る。キッチンのすぐ隣である。その部屋の中央に、件の『いいもの』はあった。

 シホの足が速くなる。普段でもこれほど機敏には動かないのではないか、と自分で思う速さで、シホは『いいもの』に備え付けられた椅子に腰掛け、天板の下に挟み込んだ布で下肢を包んだ。


「ああぁ……」


 キュウスを天板に置くと、シホもその天板に突っ伏した。感嘆の息がつい漏れる。

 見た目には大きな木製テーブルであった。ちょうど骨董屋の住人四人が各々の面に腰掛けられるように、椅子も付いていた。ただ、シホがこれまで目にしたものと異なったのは、天板と足との間に布が挟み込まれていたことだ。その布は二枚あり、一枚は薄手の起毛のもの。もう一枚はシホが着るドテラのように、綿を入れた厚手の布であった。

 そして、もうひとつ、このテーブルには、他のものとは根本的に異なる、ある素晴らしい機能が備わっていたのである。それは……


「ああ、シホ様、申し訳ありません。お茶でしたら、お入れしましたのに」

「……いえ、これくらいは…… それより、クラウスさんも、どうですか? シュロさんお勧めの緑茶です」


 テーブルに突っ伏したシホが、入ってきた男の声に慌てて跳ね起きて答えた。恥ずかしい姿を見られた、と取り繕ったシホの動揺を、男は気づいているはずだが、なにも言わない。


「ありがとうございます。いただきます」

「あの……クラウスさんは、寒くはないんですか?」


 男……この骨董屋ではシホの『兄』の一人であるクラウス・タジティは、店番としてずっと店の方にいたはずである。シホには寒くて居られない場所から、いつもと変わらぬ涼しい顔で戻ってきた。閉ざされた双眸からは寒さに動揺する様子は読み取れず、微塵も乱れぬ几帳面な短髪にも、その挙動にも、やはり見えない。


「いえ、寒いですね。カレリアより、遥かに寒い。なので、わたしも温まりに来ました」


 そう言いながら、クラウスはシホの向かいに座った。シホと同じ様に、テーブルに挟み込まれた布を膝の上にかけ、その足をテーブル下へと突っ込む。


「……これは、本当に素晴らしいものですね」

「……ですよね……わかります……あ、お茶、どうぞ」


 シホはキッチンから持ってきた新しい湯飲みにキュウスから緑茶を注ぎ、自分の分は元々テーブルにあった自分の湯飲みに注いだ。飲みさしの渋みが底に薄く残っているので、本当は新しいものに入れるつもりだったが、この寒さでは、もう一度キッチンまで行く気にはならない。


「……ありがとう……ございます……」

「足の先が……温まると……人はこんなにも……幸せになれるものなのですね……ああ……」


 シホは湯飲みのお茶の温もりで掌の暖を取るように握り混む。クラウスを見ると、シホと同じ姿勢で動きを止めていた。よく見ると、眉間の皺が緩んでいる。クラウスは常に眉間に皺を寄せているような人なので、これは大きな違いだ。

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