第2話 辞めたんです!

「……どうされたんですか?」

「あ、いやあ、今日はお嬢さんひとりなのかな、と思ってね。」

「フィッフスさんとクラウスさんは奥にいらっしゃいます。リディアさんは買い付けに出ていますね。ご用があれば声をかけてみますが……?」

「ああ、いや、結構。そうか、そうなんですね……」


 露骨に残念そうな声を出した軍人の様子に、シホは確信を得た。実は、店の奥、居住スペースには、フィッフスはいるが、クラウスはいない。シホはちょっと釜をかけてみたのだ。、という状況で、軍人がどんな態度を取るのか。その結果は、あまりにも露骨で、明らかなものだった。


「軍人さん、リディアさんにご用がおありだったんですか?」


 この軍人は、リディアを辻斬りの犯人と疑っている。

 そもそも、この軍人と知り合った時もそうだった。ある事件の調査で、彼はこの店にやってきた。シホが偶然に事件の関係者と会っていて、その事情聴取に現れたのだが、そこへ仕入れを終えて帰宅したリディアを見た軍人は、強い興味を示していた。

 あの時の感覚を、シホは忘れられない。ざらりとした、肌が粟立つような不気味さがあった。一重の奥の黒い瞳が、好奇と、陰惨いんさんとすら感じる薄暗さ、そして不思議なことに、愛情のような気配も感じた。あれは、どのような感情によるものなのか。それからシホはしばらく考えもしたが、答えは出なかった。


「あ、いやあ、そうだね。何となく、彼ならこの辻斬り騒ぎについて、この前の事件の時のように、何か相談に乗ってくれるかなあ、と思ってね。」

「……リディアさんは、そんな物騒なことの相談になんて、乗りませんよ。先日は、偶々たまたまです。」

「そうかなあ。お嬢さん、彼、かなり剣の腕が立つんじゃない? 凄惨せいさんな戦場とかでも活躍していたような……」

「リディアさんは、そういうことは辞めたんです!」


 シホは思わず大きな声を出してしまった。棚に向かっていた身体を振り向けて、カウンターに、ばん、と両手を突いた。


「……確かに、わたしたちの住んでいた大陸では、傭兵をされていました。戦場に出ていたとも言っていました。でも、わたしたちと旅に出るときに、そんな物騒な類いの生業なりわいからは身を退いたんです。いまはこの『銀の短剣』の仕入れ担当で、先代オーナーの息子さんです。それ以外では、ないんです!」


 軍人の黒眼の奥に、リディアを品定めするような光があることが、シホの感情を逆撫さかなでした。自分でも珍しい、と感じるほどたかぶった気持ちで言葉を吐き出すと、それを受けた軍人の一重瞼ひとえまぶたが、すっ、と細められた。冷たい表情。シホが生まれ育った大陸でも、このフィン民主国でもない、異国の民を思わせる顔立ちが、その印象に拍車を掛ける。次の言葉が出るのか、それとも剣が抜かれるのか。一瞬抱いたそんな印象に、シホは身構えたが、軍人はすぐに笑みを作った。


「ははあ。申し訳ない。だからお嬢さん、そんなふくれっ面しないで。いや、本当に申し訳なかった。」

「……いえ、わたしも、ごめんなさい。急に大きな声を出して。」

「いやいや、いいんですよ。お嬢さんの大事な想い人を疑った、俺が悪い。」


 途端とたんに、耳が熱くなった。頬も、鏡を見ずとも、紅潮していることがわかる。それほど顔が、頭が熱い。お嬢さんの大事な想い人。その言葉が、何度も頭の中で廻った。


「い、いいいや、そんな、だ、大事とか、そういうことではなくて、リ、リディアさんは、リディアさんですから。えと、えーと、リディアさんは、リディアさんなんです。リディアさんは、あの、えと、そう、家族! 家族なんですよ、リディアさんは!」

「そりゃあいずれお嬢さんと結婚でもすればそうなるだろうからね。」


 次ぐ言葉が見つからない。いや、考えられない。


「け、けけけ、結婚!? いや、だって、リディアさんですよ、軍人さん、リディアさんですからね……」

「ははは、わかったよ。ありがとう。とにかく、お嬢さんも辻斬りには気を付けて。」


 そう言って、軍人は踵を返した。


「ああ、何かあれば、軍の十三剣士隊に連絡を。ミソギ・クレキ。俺の名前を伝えてくれれば話が速い。」

「わ、わかりましたね。ミソギさん、ですね。」

「俺はお嬢さんとこの店のことが好きだよ。だから、本当に気をつけて。それじゃ。」


 軍人……ミソギ・クレキは、最後は真摯な口調になってそう言い置くと店を出ていった。

 残されたシホは、ほっ、と胸を撫で下ろし、ミソギという軍人は苦手だが、悪い人ではないのだろう、と思い直した。思い直した理由は、言われなれていない『好き』という言葉のせいであることは間違いなかった。

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