[外伝の外伝]

死神の災難

第1話 辻斬りの噂

「つ、つじぎり、ですか?」


 その言葉が、巡回だと言って『銀の短剣』に立ち寄った軍人の口から出たので、シホ・リリシアは緩く波打った金色の髪を大きく揺らして振り返った。

 ちょうど、会計のやり取りをするカウンターの後ろの棚に、商品の陳列をしているところだった。フィン国の軍人、といっても、見知った顔であったことと、相手がお構い無く、と言ってくれた言葉に甘えて、シホは品出しの作業を続行していたのだが、軍人が発した『今日立ち寄った理由』である言葉には、反応せずにいられなかった。


「……つじぎり、って、なんですか……?」


『ぎり』は『斬り』だろうか。その辺りから察するに、あまり平和的ではない言葉だろうとは思った。だが、聞き慣れない言葉を知った風に話すことに、シホは抵抗があった。

 一瞬、呆気に取られたように、切れ長の一重瞼ひとえまぶたを開いてシホを見た軍人は、長い黒髪を揺らし、心底愉快だ、というような笑い声を発した。


「相変わらず面白いお嬢さんだ。……最近、この辺りで、誰かが刃物で斬り付けられて怪我をした、とか、そういう話がなかったかい?」

「あ、ありました。夜、帰宅を急いでいた商人の男性が、この街区の路地で斬り付けられて、いまも重体とかって。」

「そう、その話。それがその一件だけで終われば、ただの傷害事件だったんだけどね。」

「……終わらなかったんですか?」

「それから二件増えてね。被害者の一人が昨夜、亡くなった。三人の被害者に関係性や共通点はなし。金品も取られていないから、物取り目的じゃあないらしい。この街区辺りで、無差別に人を斬り付けている輩がいるんじゃあないか、という話が出てきてね。」

「それが、辻斬り、と……?」

「言うんだよ。お嬢さんの生まれた国では、そういう言葉はなかったかな?」


 もちろん、神聖王国カレリアにも、そうした事件はあった。もっと物騒な事件もあった。それにあの大国は、大陸を二分する王国と戦争状態にあった。二大国の争いは中小国家の代理紛争を引き起こしていたし、権力ある立場にいたシホは、そうした大陸中で起こる人の生き死にに関わる報告を、毎日のように受けていた。平和で、人が人を傷付けないような、夢のような世界から来たわけではない。単に『辻斬り』という言葉の問題だ。そういう表現が、彼の大陸にはなかったのかもしれない。


「ええ。初めて聞きましたー。」


 とりあえず、それだけを伝えることにして、シホは棚に向き直り、作業を再開した。


「それで、軍人さんは警備に駆り出されたんですか?」

「まあ、そんなところだね。場所を聞いたらお嬢さんのお店がある街区だからね。とりあえず注意を促そうと思って、立ち寄ってみたんだけど……」


 中途半端なところで言葉が途切れ、軍人が店の中を見回す気配をシホは背中越しに感じた。

 辻斬りの話があり、この軍人が店に訪ねて来た。そこまで聞いて、もしや、と思ったシホの予感は、どうやら的中したようだった。

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