第2話 嗄れた声

「わー、パイだ! 梨のパイって初めてかも!!」


 シホと同じ年頃の女の子が、満面の笑みを浮かべて、梨のパイが乗った皿を受け取った。

 髪はシホより短く、どことなくシホと同じような、東方地域の生まれを思わせる優しい顔立ちをしていた。話し方も、ひとつひとつの動きも機敏で、気持ちがいいほど快活で、年齢としては同じくらいなのに、可愛い子だなあ、とシホは思って見ていた。


「ありがとう、フィッフスさん!」

「ああ、礼ならあの子にも言っておくれよ。」


 どう見ても知り合い、というより、旧知の仲、近所の気のいいおばさんが、赤ん坊の頃から知っている子どもと話しているかのように、フィッフスと女の子のやり取りは見えた。だが、女の子が身に付けている衣服は、シホが生まれた大陸でも、このフィン国でも、見たことがない格好だった。一見すると男性にも見えるような服装で、この子が着ているから似合うのであって、自分では絶対に着こなせない、とシホは思う。


「あ、えっと、ありがとう! わたしはアイラ、マキノアイラって言います!」

「え、あ、えっと、シホです。シホ・リリシア。シホでいいです。」


 やはり、名前はシホの出身と思われる地方の響きと似ていた。シホは自分の生まれの記憶が曖昧なため、顔立ちと名前から東方地域の出身ではないか、と言われ、育っていきたが、彼女のように、似た印象を持つ人に出会うと、おそらくその通りなのだろう、と思う。


「嬉しいー、お腹すいてたんだ。いただきます!」


 にこにこしながら皿に添えたフォークを手に取ったアイラを見て、シホは漸く彼女に対する警戒を解いた。唐突に、本当に唐突に、目の前に現れた存在に、どんな風に応じていいか、わからなかったのだ。


『まったく、食い意地ばかり張っておるな。だから太るのだと……』


 ほっ、としたのもつかの間、しわがれた老人を思わせる声を、シホは確かに聞いた。だが、ここにいるのはシホとフィッフス、それにアイラと名乗った女の子だけだ。

 シホは周囲を見回す。いま、シホが立っているのは、地下にあると想像することが難しいほど、巨大な空間だった。フィッフスと二人、下りてきた階段と同じ石組で作られた床と壁。天井も当然あるはずだが、その天井が高すぎて見えない。壁には等間隔で篝火かがりびが設置されているので、光源は十分なはずだが、それでも目にすることができなかった。見上げる天井は、その殆んどが闇に沈んでいる。

 一方で篝火が灯る壁の方は、シホがいま立つ場所から、シホの足で二十歩で壁までたどり着くことができるかどうか、といった程度の距離にある。殆んど中心に立っているようで、同じような距離に見える他の壁の位置から、この部屋と呼ぶにはあまりにも巨大な空間の広さは理解できた。ただ、シホが下りてきた階段とは反対側に当たる部屋の奥の壁には灯りが灯っておらず……いや、もしかしたらそこには壁などないのかも知れなかった。ただ、薄暗い闇が、先まで続いている。ここはもしかしたら、そもそも『部屋』ではなく、何処かへ繋がる巨大な『通路』なのかも知れなかった。アイラは、その闇の向こうから歩いて現れた。


「うるっさいわねー、太ってなんかないよ!」

『そうか? ワシを握る腕、最近、妙に肉付きが……』

「わー、うるさいうるさい、じーさんは黙ってて!」


 言葉ほどの棘はない感情で、アイラが嗄れた老人の声と戯れている。ということは、アイラはこの声の主を知っているということだ。どう見回してもここには声の主に当たる人物はいない。

 いや、とシホは老人の声を反芻する。ワシを握る腕、と老人は確かに言った。それは、いったいどういう意味だ?

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