第4話 焦るな
言ったリディアは、今度は机の上に並べられた調理道具から、おたまを手に取る。同時に調理用の油が入った磁器製の容器も手に取り、器用な手つきで油を鉄板に広げた。
「この量なら、八枚は焼けるな。ひとり二枚だ。」
器から液状の生地をおたまに掬い、それを鉄板の上にゆっくりと注いでいく。ある程度の粘度を持った生地は、ゆっくりと注がれ、鉄板の上で小さな円形を描き出す。
同じ動作を後三回繰り返し、丸く黒く、熱く熱された鉄板の上には、小さな四枚の、淡い白色をした丸型が作られた。それひとつひとつが花びらのように見え、白い花がそこに現れたように見え、シホは楽しい気分に背中を押される。
「綺麗……」
「よし、見張っていろ。」
やはり何故か穏やかならざる言い回しで言ったリディアが、シホに木製のへらを手渡した。
「へ?」
「いい頃合いでひっくり返せ。裏面も焼かなければ食べられない。」
それはそうだが……
「……あの、リディアさん、いい頃合い、って、どうしたらわかるんですか?」
なにぶん、こういう焼き菓子を焼いたことがないシホには、その『頃合い』がわからない。そんなことを訊いては、リディアが面倒くさがるかと思ったが、意外にもリディアは一度頷いただけだった。
「気泡だ。表面がぷつぷつとしてくる。いま焼いている面に十分に火が通った合図だ。」
「はい、気泡ですね……」
シホは木へらを握りしめて、丸い生地に向き合う。食い入るように見つめ、表面がぷつぷつとしてくるのを待った。
「も、もうひっくり返していいですか……?」
「どう見てもまだだ。」
「火が弱いのではないか?」
店のカウンターに入り、買い物鞄を片付け、背面の棚の整理をしていたクラウスが来て言う。そうなのだろうか。火力が弱いのだろうか?
「やめろ、表面が焦げて、中まで焼けん。」
「そういうものなのか?」
「そういうものだ。焦るな。」
まるで戦いの場のような、ピリッ、と張り詰めた空気で言い合う二人をよそに、シホは手にした木へらを力強く握りしめ、微かな音を立てて焼けている生地を見つめる。やがて、細かな気泡が生地の表面に、均等に浮かぶようになる。
「あ、これ、いいですか?」
「そうだな。返せ。」
リディアが指し示した丸い生地の下に、木へらを差し込み、裏返す。片面がよく焼けていた生地は、型崩れすることなく、綺麗に裏返った。丸い生地の内側に、丸い焦げ茶色の焼き目が綺麗に浮かぶ。
「わあ……!」
「残りも大丈夫だ。返せ。」
言われるがまま、シホは木へらを動かす。残りの三枚が綺麗に焼き目を見せ、黒い鉄板の上に描かれた白い生地の花が、色を変えた。
「よし。後はおれがやっておく。お前はお茶を淹れて来てくれ。」
「え?」
シホは驚き、自分でも丸くなっていることがわかる目をリディアに向けた。お茶を淹れる、という大役を、初めてシホに頼んだリディアは至って普通で、シホの手から木へらを受け取ると、四枚の生地に向き直った。
「茶葉は任せる。」
「は、はい! お茶、淹れて来ます!」
シホは慌てて店の奥の居住区画にあるキッチンへと向かった。これまでフィッフスにしか頼んだところを見たことがない、なんだかすごいことをリディアに頼まれた気がして、それが嬉しく、顔がにやにやしてしまう。
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