六日後(火) スーツと焼き肉とSNSだった件
本日は春分の日。祝日だろうと仕事に行きがちな両親が、珍しく共に休みを迎える。
当初は何の予定もなかったが、昨日の一件によりスーツを買いに行くことが急遽決定し家族全員で紳士服量販店へ。制服がある梅にはまだまだ不要の筈だが、何かしら買ってもらえそうという浅はかな考えで付いてきたようだ。
「お兄ちゃん。一番下のボタン開いてるよ?」
「三つある場合はいいんだと」
「へ~」
いくつか試着しながら、スーツに関する知識も学んでいく。形が崩れるのを防ぐためポケットに入れる物も少ない方が良いらしいが、そういえば高校時代の学ランは色々と突っ込んでたせいで変なシワができてたっけ。
スーツが決まった後はワイシャツ、ネクタイ、革靴、ベルト、ネクタイピンと、次から次へと品定め。更には安くなるからと、コートも一緒に買うことになった。
「そうですね。お客様くらい若い方ですと、こういったショートコートがお似合いかと」
「うーん、こっちの方が暖かくて便利そうだけど……」
「櫻が良いなら構わないけど、多分それだとおじさん臭くなるわよ?」
「…………本当だ」
試しに目に留まったロングコートを着てみたものの、鏡に映った自分を見て納得。その後でショートコートを着てみると、確かにこちらの方が圧倒的に若々しい。
こんな調子で親や店員さんに奨められたものを試着しては、特に問題がなければ決定という感じが続き、ようやく社会人セット一式の買い物が完了する。
父さんも新しい物を一着買い、姉貴はバッグ、梅はアクセサリーをそれぞれ購入。スーツだけは丈の調整が入るため、後日受け取りに来る形になった。
「お昼はお肉がいい人~? は~い☆」
「はいは~いっ!」
昼御飯は姉貴の提案により焼き肉に決定。食べ放題の店に入ると電子パネルで注文し、少ししてから運ばれてきた肉を次から次へと焼き始める。
「美味い! これ何?」
「…………」
「………………」
「「さあ~?」」
店員さんは運んできた際どれが何の肉か示しつつ置いていってくれたにも拘わらず、米倉家は誰一人としてタンとレバーとホルモン以外の肉の区別がついていなかったりする。
この三種だけは見た目や食感が他の肉とは明らかに違うし、両親はレバー好きなのに対して兄妹三人はレバーが嫌いでタンが好きと見事に分かれていた。
そもそも仮に名前がわかったところで、これまたタンとレバー以外はどこの部位かも不明。タンは舌でレバーが肝臓というのは何となくイメージできるが、カルビとかロースとかハラミとかホルモンは何回食べても全くもって覚えられる気がしない。
「お待たせ致しました。こちらクリームコロッケと、たこ焼きでございます」
焼き肉と言い出しておきながら、フライドポテトやら唐揚げやらジャンクフードばかり頼む姉。まあ寿司屋に行っても変な物ばっかり食べてたし、気持ちは少しわかる。
「お待たせ致しました。こちら王様カルビでございます」
「んむっ! ごっくん! 梅が切りたい!」
そして人が焼いた肉を片っ端から盗んでいた妹が、分厚い肉と共に運ばれてきた肉切りバサミを見るなり興奮して名乗りを上げ、言うが早いか意気揚々と肉を切り始めた。
焼き肉慣れしていない俺も姉貴も母上も何一つ気付かずに眺めていたが、トイレから帰ってきた父上が楽しそうにカッティングしている梅を見て口を開く。
「それ、焼いた後で切るんだぞ」
「はえっ? そうなのっ?」
「美味しい肉汁をしっかり中に閉じ込めておきたいから、先に焼いてから切るんだ。そうじゃないなら他の肉と同じで、事前に切ってから出せば済む話だろう?」
「「確かに」」
「それじゃあもう一つ注文~☆」
せっかくなので焼いてから切ったものと、切ってから焼いたものを食べ比べ。その結果はと言えば、語った父親を含めた全員が正直よくわからないというオチだった。
それでも久々に美味しい肉をお腹一杯食べられて満足しつつ、最後はきっちりとアイスで締めると、食べ過ぎて気持ち悪いくらいに膨れ上がったお腹を擦りつつ店を出る。
「んー?」
帰宅後は親から借りたネクタイで結び方の練習。長さの調節が上手くいかなかったり、結んだ部分が斜めになったりと、中々納得のいく出来にならず失敗を繰り返す。
蝶々結びを教えてもらった時も苦戦したし、慣れるまではこんなものなのかもしれない。数回成功させたところで一旦切り上げると、部屋に戻り本棚の整理整頓を始めた。
「梅ー。これいるかー?」
「何々~? 欲しい欲し……ヴェエエエッ!」
バイトで使うかもしれないと残しておいた参考書類だが、教える教科は理数だけになりそうなので、不要な文系科目は嫌そうな顔を浮かべた妹に押しつけておく。
これにて今日のやるべきことは大体終了。残り時間はスマホで動画を眺めつつダラダラと過ごしていると、スーツを買う際に水無月へ送っていたメッセージに返事が届いた。
『ネクタイの結び方はちゃんと覚えたのかい?』
『当たり前だろ?』
『靴紐をボクに結ばせていたキミに言われてもね』
『よくそんなことまで覚えてるな』
小学校中学年くらいの頃に初めてマジックテープじゃない紐靴を買ってもらったが、物覚えが悪かった俺は蝶々結びのやり方を習得できないまま履いていた。
そのため靴紐が解ける度に見栄を張り「結べるけど結んで」なんて意味不明な言い訳をしつつ水無月に結んでもらっていたという、今となっては懐かしい思い出だ。
『そういや水無月って、月見野のグループとかには入ってるのか?』
『あるのは知っているけれど、入ってはいないよ』
入学してから友達作りという常識も、情報社会となった今の時代では変わりつつある。
SNSによっては『春から月見野』といったタグで新入生が集まり、ネット上で友達になってから実際に顔を合わせるなんてケースも増えてきた。
友達ができるか心配という不安は減るかもしれないが、やはり直接会ってみないとわからないことも多いだろう。SNS初心者である俺にとっては知らないことだらけだし、今回は屋代の時同様に入学してから探すことにしておくか。
『了解。じゃあ俺もやめとくわ。ちなみにそっちは今、何してるんだ?』
『キミに倣ってアルバイトを探しているけれど、中々良いのは見つからないかな』
『塾講師が募集中だったぞ。友達紹介キャンペーンで一万円だ!』
『丁重にお断りさせてもらうよ。ボクの教え方に文句を言わないのはキミくらいさ』
『そんなことないと思うけどな。探してる職種とかあるのか?』
『できれば動物病院だね』
『成程な。でもそういう場所で働くとなると、資格とか必要だろ?』
『受付や事務なら不要だよ』
動物を診ることはできなくても、動物病院で働くことで現場を知ることはできる。俺が子供とのコミュニケーションを鍛えるために塾を選んだのと同じような理由か。
愛想は無いかもしれないが水無月の容姿なら受付は問題ないだろうし、事務に関しても指示された仕事をきっちりこなす姿が容易に想像できた。寧ろ俺に見せる笑顔よりも、動物に見せる笑顔の方が優しいんじゃないかと思ったくらいである。
『ただ後のことを考えて、先に車の免許を取っておくか悩み中かな』
『免許なー。アキトが三十万くらい掛かるって言ってたぞ』
『そこは流石に親から前借りさせてもらうさ』
そんな調子で雑談をしていると、何だか無性に水無月の声が聞きたくなってきた。
やろうと思えばSNSで無料通話できるようになったものの、こんな雑談のために掛けるのもどうかと思うし、話したら話したで今度は顔が見たくなる気がする。
家はすぐそこなんだし会いに行けば済む話だが、既にこの一週間で二回も顔を合わせているという事実。二度あることは三度あると言うが、流石に誘い過ぎだろうか。
「…………」
いやいや、恋人ってのはそういうもんだろ。
少し悩んだ後で、話の流れを上手い具合に誘う方向へと持っていった。
『もう少ししたら世間も春休みだし、空いてるうちにどこか出掛けないか?』
果たして伸るか反るか、水無月の返答を待つ。
向こうも悩んだのか、今までの返事より長めの間隔を空けた後でメッセージが届いた。
『それなら丁度見てみたい映画があるんだけれど、一緒に行かないかい?』
『おう! いつでもオーケーだ!』
案ずるより産むが易し。断られるどころか向こうから思わぬ提案を返された俺は、当然の如くテンションが上がり口元をニヤけさせながら即座に答えた。
『いつでもと言うなら、明日でも大丈夫なのかい?』
『勿論! 今からでもいいぞ!!』
『今からは流石に厳しいかな。それなら明日の午後一時に、家の前で宜しく頼むよ』
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