二日後(金) 私服選びが至福だった件

「……………………よし! 行ってきます」


 髪型よし、目ヤニなし、鼻毛の処理もオーケー。

 玄関にある姿見鏡を前に最終確認をした俺は、靴に履き替えてから外に出た。


「よう」

「やあ」


 約束の時間である午前十時には五分早いが、既に家の前では幼馴染もとい彼女が待機中。交わす挨拶はいつもと変わらないものの、心の中ではウキウキのウッキッキーだ。

 久し振りに見る水無月の私服は、相変わらずボーイッシュなもの。しかし今日は長い髪を束ねており、以前に俺がプレゼントした白いシュシュで留めていた。


「運動する訳でもないのに縛ってるなんて珍しいな」

「少し気分転換したくてね。他におかしいところはないかい?」

「ん? 別にないけど、どうかしたのか?」

「いいや、何でもないよ。気にならないなら問題ないさ。行こうか」

「?」


 何やら意味深なことを言われつつも、一緒に駅に向かって歩き出す。今日の行き先は俺も水無月も行くのが初めてである、半年ほど前にできたショッピングモールだ。


「勉強ばかりしていたせいで、ここ数ヶ月の時間が止まっていたような気分だね」

「わかるわかる。高校受験の時も流行ってた曲とかギャグが、その期間だけ綺麗にすっぽり抜けてるんだよな」

「それだけキミが頑張っていた証拠だよ。ボクも見たい映画がいくつかあったけれど、テレビで放送されるまで待つことになりそうかな」


 気分転換と言うから何か嫌なことでもあったのかと思いきや、水無月は相変わらず淡々とした様子。自分から話を振ってくる辺り、普段より機嫌が良いくらいだ。


「とりあえずボクは洋服と鞄を見ておきたいけれど、櫻は何かないのかい?」

「俺も大体そんな感じだな。後は適当にぶらぶらっとする感じでいいんじゃないか?」

「そうだね。せっかくだし色々と回ってみようか」


 大学生になって一番大きく変わるもの……それは制服ではなく私服という点だろう。

 もっとも世の中には私服の高校もあり、中学時代の友人の一人が通っていたりする。昨日聞いた話では男子は全員私服だったが、女子は一人ひとりが詳細不明の制服を着ていたとのこと。わざわざ私服校を選んだというのに、全くもって不思議な話だ。


「そういえば、どんなスマホを買ったんだい?」

「おう! これこれ!」


 駅の改札を抜けてホームに着いたところで、水無月に尋ねられた俺はスマホを取り出す。

 スリープモードを解除してから親指でササッと点を繋いでロックを外し、まだアイコンが必要最低限しかないホーム画面を見せた。


「へえ。いいじゃないか」

「だろ? ただガラケーの時は何週間も使えたのに、スマホは電池消費がヤバくてさ。残量画面で予測を見たら、二日か三日で切れちゃうっぽいんだよな」

「寧ろ三日も長持ちすることに驚きだよ。ボクなんて家に帰った後は欠かさず充電しないと、翌日には数パーセントしか残っていないからね」

「毎日充電ってマジでか? それじゃあ緊急事態の時に役に立たないだろ?」

「予備のバッテリーを常に持ち歩いているから、その点は問題ないさ」

「便利なのか不便なのか、スマホってよくわからないな。そういえば水無月は何かオススメのアプリとかってあるのか?」

「ふむ。これからのことを考えると、乗換案内やニュースは入れておいて損はないだろうね。あとはボクの場合、暇な時に読む漫画アプリが入っているよ」

「乗換案内か。確かに必要…………あれ?」

「どうしたんだい?」

「いや、通信ができないって出てきて……何だこれ?」


 昨日は普通に見られた検索サイトが、どういう訳か今日は開けない。

 慣れない手つきで色々と試してみるも、通信ができないの一点張りだった。


「んー? ブルートゥースは関係ないんだよな?」

「それは関係ないね。単純にネットに繋がっていないんじゃないのかい?」

「おかしいな。家では普通に使えてたんだけど……」

「ふむ。試しにマップを開いてみればわかると思うよ」

「マップ、マップと」


 俺に寄り添って画面を覗く水無月の指示に従い、マップアプリを開いてみる。

 そこに表示されたのは自分の位置と、道が何一つ記されていない真っ白な世界だった。


「…………これはあれか。人生という道は、自由に進めってことだな」

「キミの携帯は家でしか使えないということだね」

「どうしてこうなった?」

「ボクに聞かれてもわからないよ。ちゃんと説明書を読んだのかい?」


 とりあえず今は何もできそうにないため、スマホの問題は帰ってから調べることに。家の前で待ち合わせだったから良かったけど、これが現地集合なら大慌てしてた気がする。携帯なしで集まれるとか、昔の人って凄過ぎだろ。

 やれやれと水無月に呆れられながらも、電車で移動すること十数分。駅に着いた後はバスに乗り、少しすると目的地であるショッピングモールに到着した。


「小学生の時は全然気にしなかったけど、大学生になると毎日私服って結構辛いよな」

「お洒落好きな友人は喜んでいたけれど、ボクも制服の方が正直楽だね」

「七着をローテーションで着るってのはどうだ?」

「上下七着ずつ用意するなら、組み合わせで49通りにした方がいいんじゃないかい?」

「それなら十着くらいあれば、最初の学期は越せそうだな」

「まあ着合わせを考えたら、そう簡単にはいかないだろうけれどね」


 理系っぽいがくだらない話をしながら、まずは洋服売り場へと向かう。

 高校時代は親友が私服に無頓着だったし、そもそも金銭面に余裕がなかったため友人と買いに来ることもなく、親が買ってきた物を適当に着る感じだった。

 それ故にコーディネートの類は一切わからないが、とりあえず目についた洋服を手に取ってみる。自分の前に掲げつつ鏡を見たが、着ている姿は全くもってイメージできない。


「どう思う?」

「ボクのセンスは当てにならないし、櫻が着たい物を買えばいいじゃないか」

「うーん…………じゃああれだ。俺がこれ着てても、嫌だったりしないか?」

「ふむ。そういうことなら問題ないかな」


 普通なら似合ってるかを聞くのは女性のイメージだが、変に恰好はつけず正直に尋ねる。少なくとも水無月の隣にいても恥ずかしくない彼氏になるのが目標だ。

 勿論聞くのは俺だけじゃない。いつもならファッションに詳しい友人と一緒に買い物している水無月も、今日は頼る相手がいないためか悩みに悩んだ後で二着の上着を指差しつつ俺に質問する。


「そっちとこっち、櫻はどっちの色が好きだい?」

「どっちかって言われたら、俺的にはそっちの方が良いと思うけど…………ちょっと着てもらってもいいか?」

「お安い御用さ」


 試着室の前に移動すると、水無月の荷物を受け取りつつ待機。布一枚を隔てた向こう側で彼女が着替えていると考えると良からぬ妄想が膨らみそうだが、実際には店内の音楽や店員の声によって衣擦れの音が聞こえてくることはなくボーっとしていた。

 やがてカーテンが開かれると下はジーンズのまま、上着を腰の位置まで丈のあるワンピース状の衣服――チュニックへと着替えた水無月が姿を現す。


「おお、似合ってるな」

「そうかい?」


 嬉しそうに答えた少女は、その場でくるりと回ってみせた。

 今着ているチュニックは無地の紺色。個人的にはこれで問題ない気がするものの、先程提示されたネズミ色の方も気になった俺は水無月に待つよう伝えてから持ってくる。


「一応こっちも着てもらってもいいか?」

「構わないよ」


 新たなチュニックを少女に手渡すと再び待機。着る前のイメージと実際の雰囲気が結構違ったため、もしかしたらこっちの方が似合っているかもしれない。


「どうだい?」

「うん。どっちも似合ってるな」

「真面目に答えてくれないかい?」

「いや本当だって!」


 やれやれと溜息を吐きながらも小さく笑う水無月だが、冗談抜きで何を着ても絵になっていると思う。呆れられそうだから口には出さないけど、俺の彼女マジで可愛いな。

 こんな調子でお互いに試着しながら、大学生活に備えて私服をチョイスしていく。トップスが終わった後はボトムスだが、あれやこれやと選ぶ中でふと疑問が生じた。


「そういや、スカートは見なくていいのか?」

「動くのに制限が掛かるし、ボクには似合わないからね。以前に友達から奨められて買ったことがあるけれど、結局履かないまま洋服ダンスの中に眠っているよ」

「へー。別に似合わないってことはないと思うんだけどな」


 どうもコイツは、自分にはボーイッシュな服しか合わないと考えている節がある。単にスカートが嫌いというのもあるかもしれないが、その容姿と髪の長さなら女子っぽい服の方が断然似合うだろう。

 合宿の私服でもジーンズを履いており、スカート姿は一度も見たことがない。制服という束縛が消えたことで拝める機会が減るのは、中々に寂しいものがある。


「ほら、こういうのとかなら良いんじゃないか?」


 マネキンに着せられていたロングスカートを指差しつつ尋ねると、水無月はジーっと眺めた後で悩むように口元に手を当てつつ答えた。


「…………まあ、キミがそう言うなら少し見てみようか」


 並べられているロングスカートの中から、水無月に合いそうな物を探す。

 センス等は関係なく単純に着てほしいと思った一枚を選ぶと、少女は再び試着室へ。そして少しした後で、シャっという音と共にカーテンが開いた。


「ど、どうだろう?」


 白のロングスカートを履いた水無月に、思わずボーっと見惚れてしまう。

 全体的な印象が大きく変化し、固い雰囲気が柔らかい感じになった気がした。


「良い! 滅茶苦茶に良い! 良いんだけど……」

「だけど、何だい?」

「…………いや、この可愛い姿を大学で他の男には見せたくないなーって」

「全く……キミはよくもまあ恥ずかしげもなくそういうことを言えるね」


 照れているのか、ぷいっと視線を逸らしつつ答えた水無月は「一つくらい買ってみるのもありかな」と、鏡に映る自分を眺めながら小さく呟くのだった。

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