試作品

 

 ・貞吉三年(1545年) 六月  安芸国佐東郡 川内郷 六角本陣  六角定頼



「申し上げます! 大友勢は総崩れの様子! 次々に陣所を引き払い、殿しんがりすらもままならぬ様子にて!」

「一人も逃すな。地の果てまでも追撃しろ」

「ハ……ハハッ!」


 使番が少しビビった顔をして出ていく。

 俺は相当怖い顔をしていたのかもな。だが、隠すつもりは無い。俺は腹の底から怒っている。

 大友が二度と俺に刃向かう気力を持てないように徹底的に叩く。

 でなければ、こちらの受けた被害と釣りあいが取れん。


「大本所様(六角定頼)がそこまでお怒りを露わにされるのは珍しゅうございますな」


 本陣内に控えていた海北綱親が少し渋い顔で直言する。

 近習や小姓はビビリ散らかしている中だが、さすがに海北綱親には半ば演技だとバレているか。


「近頃では感情を抑える方法ばかり上手くなってしまった。たまにはこうして思いっきり怒らねばな」

「確かに尼子とも決着がついているわけではありませんし、信濃の事もあります。これからさらに大友とも事を構える訳にはゆかぬ。

 となれば、今この場で大友に痛撃を与えておかねばなりませんからな」

「それだけではない」

「……と、言うと?」

「……」


 海北の質問にはすぐに答えず、前線に目を移す。

 俺の怒りが伝わったのか、一目散に西へ逃げる大友をどこまでも追撃して行くのが見える。

 半分は演技だが、半分は本気で腹を立てている。もっとも、怒りの矛先は俺自身だ。


 今回の事、事前に大友にまでしっかりと話をしておけば防げたはずだ。

 大友家中には六角と和戦両論があり、まだまだ家中が対六角で固まったわけでは無い。加えて、近衛稙家も近く大友義鑑と会う予定になっていた。

 そんな大友が今の時点で西国の戦に介入するとは、正直想定できていなかった。


 そして、俺の失策をカバーするために定秀は片腕を失った。

 定秀だけじゃない。正面で大友の猛攻を支えた小倉実綱も足に重傷を負った。

 幸い両名とも命に別条は無いとのことだが、その南軍の働きが無ければ総崩れになっていたのはこちらの方だったかもしれん。


 思えば、朝倉宗滴との対立もそうだった。

 当時は分からなかったが、あの戦のそもそもの原因は宗滴の俺に対する不信感が根底にあったように思う。

 俺が事前に宗滴の爺さんにしっかりと話をしておけば、朝倉と戦う必要も無かったかもしれない。

 朝倉の時といい、今回といい、同じミスを繰り返してしまった。自分の迂闊さに心底腹が立つ。


何歳いくつになっても、俺は周りに助けられてばかりだ。そのことが、少し腹立たしくなってな」

「命を懸けてお仕えする甲斐のあるお方と思えばこそ、我ら家臣も命を懸けるのです。蒲生殿も後悔はしておられますまい」

「……済まんな」


 俺の言葉を聞いて海北が心底面白そうに笑った。

 主君が怒りまくっている隣で笑える胆力があるのは、海北か進藤くらいのものだろうな。


「さて、では某も急ぎ陶を討ちに参るとしましょう」

「陶勢が崩れるのは時間の問題だ。それでもお主が自ら出るのか?」

「大本所様のお怒りは凄まじく、この海北善右衛門も本陣から前線に叩きだされたと言う方が真実味が増しましょう。

 それに……」


 そこで一旦言葉を切って海北が悪戯っぽく笑う。


「それに、ぐずぐずしていて高杉城の滝川に万一のことあらば、今度こそ大本所様のお怒りが天を衝きますからな。そうなるとお側に仕える小姓共が少し哀れにございまする」


 海北の言葉を聞いて俺の周囲に侍る小姓がビクっと身を震わせる。

 確かに、この上滝川一益にまで何かあれば誰かに八つ当たりしてしまうかもしれん。


 海北綱親が手綱を捌いて自陣に馬を駆けさせると、本陣に残ったのは俺と近習、小姓、それに使番のみとなった。

 周囲に軽く視線を回すと、誰も彼もがビクリと体を緊張させる。

 まあ、これだけ周囲がビビっていれば世間にも相当怒っていたと流布されるだろう。


 ……それにしても、定秀が片腕を失ったことは辛いな。軍事面だけでなく、精神面でもだ。定秀は、昔からの俺の親友だった。

 このことを新助(進藤貞治)が聞けばどう思うだろうか。


 新助と藤十郎(蒲生定秀)も若い頃から仲が良かった。俺が藤十郎を連れて遊び歩き、揃って新助に説教食らうのが若い頃の定番だった。


 新助は俺の迂闊さを叱ってくれるだろうか……。

 それとも、自分が気付いておくべきだったと己を責めるだろうか……。


 再び視線を遠くに移すと、乱戦になっている戦場を大きく迂回するように数騎の騎馬武者が駆けて来る。背に差しているのは菱紋だが……。いや、あれは陶の唐花菱ではなく大内菱か。

 どうやら大内もようやく動いたようだな。




 ・貞吉三年(1545年) 六月  出雲国島根郡 美保関沖海上  松田誠保



 船の舳先に立つと、潮風に混じって鬨の声が聞こえる。

 美保関の沖合には唐船が三隻、その周囲に大小の関船や小早が集まり、一つの船団を形成していた。


「おのれ、明の海賊どもが……」


 思わず悪態が口をついて出る。

 今まで散々美保関で商いをしておきながら、我らが六角と事を構えたと知るや、いとも簡単に裏切りおって。

 そもそも我ら日ノ本の戦に何故奴らが関わって来る。今まで我らがどれだけ戦をしていても素知らぬ顔で商いに精を出しておったはずが、此度ばかりは六角の旗を掲げて六角の兵を載せて戦を仕掛けて来た。


 明の海賊が六角に恩義を感じる訳も無し。

 しかも、仮に美保関を失ったとしても尼子の水軍にはさほどの痛手は無い。水軍の主力は掛戸にあり、宇龍にも水軍衆が居る。ここで船戦をすることにさほどの意味があるとは思えん。

 ……分からん。一体奴らの狙いは何なのだ?


「間もなく先頭の小早が矢戦の距離に入ります」

「よし、陣太鼓を鳴らせ。明の海賊など蹴散らしてやれ」


 ともあれ、今は目の前の戦に集中しよう。

 父上は備後に出陣してしまったし、留守を預かる儂がしっかりせねば。

 先陣の小早が下がり、こちらの関船と敵の唐船が近づく。もうすぐこちらも矢の応酬になるだろう。


「敵の火矢が来ます!」

「慌てるな! 刺さった矢は海水を浴びせて……」


 ……!!

 敵の火矢が轟音を上げて火をまき散らした!?


「何だ! 六角は一体何を撃ち込んできている!?」

「分かりません! 突然矢が弾けて周囲に火が……」

「ええい! 水を掛けろ! すぐに火を消して……」


 再び次の矢が轟音を上げて火をまき散らす。

 これは……これは一体何だ!?

 火矢でこんな炎が出せるはずがない。六角は一体何を撃ち込んできている!?




 ・貞吉三年(1545年) 六月  出雲国 美保関沖合  王直



「ほぅ。あれが定頼公の考案した新しい火矢か」

「そうだ。まだ試作している途中だからさほど数は無い。その上、見た目に派手な火が飛ぶだけだ。

 ま、こけおどしだな」

「それでも船の上であれだけの火が撒かれれば、慌てるだろうなぁ」


 徐碧渓が思わず苦笑する。同じ船乗りとして敵に同情しているのだろう。


「それにしても、まだ二隻しか出来てないのによく船を出す気になったな。折よく俺が戻って来たから良かったものの、下手をすれば虎の子の新造船を失うかもしれなかったのだぞ」

「仕方あるまい」


 碧渓がそう言って舳先の方を顎でしゃくった。碧渓が指した先には進藤ヤマシロ(進藤貞治)がじっと戦況を見つめている。

 船戦はほとんど知らぬはずだが、なかなか堂々とした姿だな。


「進藤殿が敦賀に来て、何としても美保関を攻めると言われたのだ。六角様からの正式な文もある。出さぬわけにはいくまい」

「臣下となれば否とは言えぬか。やはり誰かに仕えるというのは不自由なものだな」

「……まあ、思っていたより悪くは無い。敦賀での生活の一切は六角様が面倒見てくれるし、こちらとしても自由にさせてもらっている。時々自分が人質であることを忘れそうになるほどには、な」

「……楽しそうで何よりだ」


 俺の皮肉が伝わったのかどうか、碧渓は顔色一つ変えずに頷く。

 まあ、倭国と上手くやれているならそれでいいか。


 視線を前に転じると、敵味方の小船同士がお互いに接近して斬り合いが始まっていた。

 やはり倭国人は斬り合いになると無類の強さだな。

 だが、敵の関船は先ほどの火矢の混乱から抜け出せていない。対してこちらの唐船は敵方の頭上に援護の矢を降らせている。


 ……一方的な展開になったな。




 ・貞吉三年(1545年)  六月  山城国 京 織田屋敷  近衛前久



 侍従(織田頼信)に招かれて来てみれば、当人は出迎えもせず庭で何やら作業をしているという。

 家宰の平手は恐縮しておったが、まあこちらも勝手知ったるなんとやらだ。

 案内を断り、侍従の居るという庭へ一人で向かった。


 縁側に立つと、侍従が何やら地面に向かっている背中が見えた。


「人を呼びつけておいて出迎えも無しか?」

「おお、内府様(近衛前久)。良いところにおいで下さりました。ちょうどたった今支度が出来た所にございまする」


 麿の皮肉に何も反応せず、ひたすら楽しそうに笑みを浮かべている。

 こやつと話しておると、朝廷で日々気を張っている麿が馬鹿に見えて来ていかんな。


 一つため息を吐くと、そのまま軒先に座った。もう夕方だというのに風に暖かさが残っている。

 いつの間にか、夏になったな。


「……それで、見せたい物とは何じゃ?」

「こちらでおじゃりまする」


 侍従が何やら羽根の付いた細長い竹を取り出し、先ほど地面に埋めていた筒に差し込んだ。

 これは……矢か? しかし、それにしては先端に矢じりもついておらぬし、上端に近い辺りがぷくっと膨れている。そして、羽根の辺りには何やら火縄が付いている。

 一体何を見せようというのか。


「変わった矢でおじゃるな」

「では、点火致しますぞ」

「点火?」


 麿の疑問には答えず、侍従が火縄に火を近付けた。

 少しすると、地面に立った矢が突然勢いよく空に向かって飛ぶ。そして、上空で『ポン』という音を立てて弾けた。


「いかがでおじゃりますか? 面白うはおじゃりませぬか?」

「ふむ……確かに今まで見た事の無い矢でおじゃるな」

「親父様(六角定頼)が火薬造りの者共に試作させていた物を頂戴しました。何でも『飛ぶための火薬』と『弾けるための火薬』で調合が異なるとか。

 親父様はこれを『ろけっと花火』と仰せでおじゃりました」

「ろけっと花火……」

「面白うはおじゃりませぬか?」


 侍従が目をキラキラさせながら満面の笑みで聞いて来る。

 ……やれやれ、こんなことの為に坂本に入り浸っておったのか。


「侍従よ。こんなことは言いたくないが、少々坂本遊びが過ぎるのではないか?」

「お気に召しませんでしたか?」

「そう言う事ではない。そなたは侍従だ。主上のお側にあって御身をお守りするのが役目でおじゃろう。そのお役目をないがしろにしてまで坂本に通うのはいかがな物かと麿は思うぞ」

「……」


 途端に侍従の顔が強張る。


「今まで遠回しに言っていたが、どうもお主には響いておらぬようだ。よい機会故はっきりと言う。敦賀や坂本へ行くのを少し控えよ」

「京を離れるな、と?」

「そうは言わぬ。お主には六角と朝廷の間を取り持つことを期待されている。その意味では、坂本へ通うことも決して役目を外れているわけでは無い」

「では……」

「度が過ぎていると申しておるのじゃ。主上は大目に見てやれと仰せ遊ばすが、口さがない廷臣の中には『織田侍従は朝廷の臣か六角の臣か分からぬ』などと申す者も居やる。

 此度の除目でお主にも昇進の話があったが、結局立ち消えたのはそういう所が問題視されたからでおじゃるぞ」


 侍従が頬を膨らませ、いささか拗ねた顔になる。

 やれやれ、悪い癖だ。


「麿は昇進など、したいと思ってはおりませぬ」

「それでは、親父殿が困ろう。それにお袋様(お花)もだ。それに、事は昇進だけの問題ではないぞ」

「……」

「主上は近頃、御譲位を口にされるようになった」

「御譲位を……?」

「左様。先帝の崩御後、しばらく即位礼を行えなかったことが余程に御悔しかったのでおじゃろうな。『朕の目の黒いうちに方仁(後の正親町天皇)に位を譲りたい』と仰せ遊ばされている。

 山科卿はまだ時期尚早とお留めしておられるが、いつまでもお留めできるものでもあるまい」


「しかし、それと麿が坂本へ行くのと何の関係が……」

「お主の行状はひたすらに主上の御目こぼしによって大目に見られている。だが、仮に御譲位となり、方仁様が新たな帝となられれば、早晩お主の行状も問題となろう。

 昇進どころか、悪くすれば御役御免ということもあり得るのだぞ」


 ようやく事の重大さが理解できたのか、侍従が悄然と肩を落とした。

 少し薬が効きすぎたかな? いや、これぐらい言わねばなるまい。


「出来れば、麿はそなたと二人で新しき朝廷の姿を描きたいと思っておる。麿が内大臣になったのならば、そなたは中将・中納言となり、共に朝議に当たりたいと思っておる。

 皆、織田頼信に期待しておるのだ」


「……」


「今一度、よく考えておくれ」


 それだけ言い置くと、そのまま立ち上がって背を向けた。

 これで少しはお役目に精を出してくれれば良いが……。


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