雷切
・貞吉三年(1546年) 六月 安芸国佐東郡 松笠山 蒲生定秀
……強い。
大友の軍勢は今まで出会ったどの軍よりも強い。この重圧は、あるいは朝倉宗滴に匹敵する。
「本陣より足軽二百を左翼の援護に回せ! 左翼が破られれば一気に戦線が崩壊するぞ!」
左翼を任せた三番組に疲れが見え始めている。初日で中央が堅いと観て取って左翼狙いに切り替えたか。
大友の将は戸次伯耆守(戸次鑑連)だったな。大友随一の猛将という噂は飾りではないというわけか。
出来れば左翼の備えをもう少し厚くしたいところだが……
中央の二番組はよく耐えているが、さすがの左近(小倉実綱)にももはや余裕は無い。やはり本陣から後詰を回すしかないか。
「弓隊を松笠山の左側に回せ! 右翼の援護を減らして左翼の三番組を支えろ!」
「し、しかし、これ以上右翼の備えを減らせば……」
「左翼が崩れれば元も子もない。やれ!」
「……ハッ!」
手元の予備兵は二百……だが、間もなく後続が呉浦に上陸するはずだ。北軍も明日にはこちらへ到着する。
今日一日、今日一日を凌げれば我らの勝ちだ。
「お奉行様! 一番組の磯野様より伝令でございます! 後続の組は昼前に呉浦に上陸! 急ぎ松笠山へ向かうとの由」
……よし。
「全軍に伝達! これより我ら本陣は右翼の後詰に向かう! これ以上は本陣からの後詰は出ぬ! 今日の日が暮れるまで、各々の持ち場を命懸けで守り抜け! 以上だ!」
使番が三方に駆けて行く。
同時に本陣の兵二百が北へ向かって動き出した。
右翼は中央・左翼からは山を隔てた場所になるから、後詰に入ればもはや他の戦場の状況は見えぬようになる。
左近や八郎(三雲孝持)を信じて任せるしかあるまい。
・貞吉三年(1546年) 六月 安芸国佐東郡 大友本陣 戸次鑑連
今藤太め。攻め口を変えても柔軟に合わせて来る。
攻めに強い将という印象だったが、なかなかどうして守りも堅い。噂に違わず良い戦ぶりだ。
とはいえ、これ以上グズグズしているわけにもいかんな。尾張守殿(陶隆房)の手前もある。早く蒲生を退けて銀山城を落とし、六角の背を討たねば奇襲の意味が無くなる。
大友家中でも未だ六角と事を構えることに消極的な者は居る。それらを力づくで納得させるためには、何としてもここで六角の本軍を撃退するという武功が要る。
ここまで厳重に我らの参戦を秘匿して来たのはひとえにこの奇襲を成功させるためだというのに……。
……ん?
「松笠山の旗が動いているか?」
「……左様ですな。川上に向かっているように見えます」
ふむ……。
目を左に転じると、山から降る矢が少し減っているようにも見える。中央と左翼に援護を集中させ、自身は右翼の援護に回る……か。
「紀伊介(安東家忠)にはちと荷が重いな……」
「何か仰せになりましたか?」
「これより儂自ら川上を攻める。左衛門丞(内田鎮次)、ついて参れ」
「ハッ!」
・貞吉三年(1546年) 六月 安芸国佐東郡 口田郷 蒲生定秀
一体何人の敵を突き殺しただろうか。
敵も味方も討ち取った相手の首を取っている余裕すら無い。
”蒲生! 覚悟!”
飛び出して来た敵兵に対して繰り出した槍先が胸板を貫いた。瞬間、槍を持つ手が血で滑る。
さすがに返り血を浴びすぎたか。
「一旦下がる!」
馬廻を連れて川の土手を上ると、右翼の全体が見て取れた。
……やはり敵の勢いが増している。川を渡って来る敵兵が増えている。
伯耆守め、矢が手薄になったと見てこちらに主力を移したか。
いや、それは最初から覚悟の上でのこと。開戦から既に二刻(四時間)は経っている。敵もそろそろ疲れが見えてくるはずだ。
「怯むな! ここを守り切れば勝てる! 何としても太田川で敵を食い止めろ!」
喚きながら槍の持ち手を布で拭う。白い綿布があっという間に赤く染まった。ついでに槍の柄に布を巻き付けた。これで持ち手が滑りにくくなるはずだ。
「お奉行! 味方です! 北より味方の援軍!」
「何!?」
鞍上で伸び上がると、確かに北軍の旗が見えた。予定よりも丸一日は早いが……。
あれは一番組! 赤尾孫三郎(赤尾清綱)か!
有難い! この戦勝ったぞ!
「大本所様の本軍が間もなく到着される! 今この時を凌げば我らの勝ちだ! 者共! 死力を尽くせ!」
よし! 士気も上がった。
これならばまだまだ戦える。
「方々に喚き回れ! この戦我らの勝ちだと!」
「ハッ!」
「お奉行! あれを!」
馬廻の声に再び視線を河原に転じると、金の旗を振りながら進軍してくる一団が目に入る。
あの一角だけ士気が異常に高い。
「物頭……ではないな」
「金の旗を掲げております。恐らくは……」
戸次伯耆守か。まさか大将自ら前線へ赴くとは、何たる無謀……いや、焦りなのか?
いずれにせよ、ここまで来てやらせるわけにはいかん!
もう一度槍を持ちなおし、再び河原へ馬を乗りいれた。
儂自ら前線で戦えば、士気の差で押し切れるはずだ。
一つ、二つ、敵を突く。
再び返り血が腕にかかるが、巻きつけた布のおかげでしっかりと握れる。
……む! 敵が手強くなってきた。本陣馬廻の精鋭共か!
「者共! ここを押し切れば我らの勝ちだ! 命を惜しむな!」
喚きながら胸元に迫った槍を払いのけた。
さすがに周囲を気にしながら戦える状況ではないか。
「その鯰尾兜、その大身の槍! 蒲生左兵衛大夫殿とお見受け致す!」
「いかにも! 貴様は何者だ!」
「大友家臣、戸次伯耆守鑑連! いざ参る!」
くっ! 鋭い!
馬上だというのに何という鋭い斬撃だ。儂の槍よりも早い。
だが、所詮は太刀。間合いを取って戦えば我が槍が勝つ。
二合目の斬撃を払いのけ、一旦馬を駆けさせる。
「待て! 逃がさぬ!」
「誰が逃げるか!」
素早く馬首を返し、正面から相対した。
馬腹を蹴ると戸次の馬が正面からグングンと近づいて来る。
「せい!」
「そりゃあ!」
槍の柄と太刀の刃がぶつかり、お互いの腕にかすり傷を付けた。
そのまま再び馬を駆けさせ、もう一度馬首を返す。
今度は戸次も馬を駆けさせ、お互いに距離が離れる。
「面白い! どちらの攻撃が鋭いか腕比べというわけか!」
「……」
再び馬腹を蹴り、今度はお互いに速度が乗った状態ですれ違う。
ギィン!
甲高い音と共に今度はお互いの得物が弾かれる。
技は互角……いや、儂の方が少し分が悪いか。
「まだまだぁ!」
「……」
再び戸次の馬と距離が詰まる。
だが、此度は今までとは違うぞ!
「うぬ!
「得物の差を活かすまでだ!」
お互い得物は
貴様は太刀を振れぬが、儂の槍は弓手でも貴様に届く!
すれ違いざまに力一杯槍を振り回す。
貴様の太刀捌きならば突いても弾かれるだろう。ならば、馬から振り落とす!
「せい!」
「くぬっ!」
ぬう。思い切り太刀を上に振り上げ、儂の槍を逸らしおったか。
強い! だが!
「次は決める!」
もう一度相対し、お互いに馬を駆けさせる。
「弓手に回られれば貴様は為す術があるまい!」
「甘いぞ! 今藤太!」
何!
いつの間にか太刀が左手に握られている。これでは奴の刃も届く。
「せぁぁぁぁぁ!」
「ぐあっ!」
う……腕が……左腕が……!
・貞吉三年(1546年) 六月 安芸国佐東郡 口田郷 赤尾清綱
あれは……蒲生殿と馬廻衆か。その後ろからは敵の騎馬が追いすがってきている
もしや、こちらに逃げて来ているのか?
「鉄砲の弾込め急げ!」
大本所様より預かった鉄砲は二十挺。こんな数では敵を追い払うくらいしか出来ぬと思っていたが、まさか早速その使い道が来ようとは。
「発射準部出来ました!」
「よし! 蒲生殿の後ろの騎馬武者を狙え!」
砲雷が響き、同時に煙が立ち込める。
ギィン!
何! 敵の騎馬武者が太刀を振るうと、甲高い音が響いた。
その後には何食わぬ顔で追走を続けている。
まさか、鉄砲の弾を太刀で弾いたのか!? 馬鹿な……。
……いや、敵も落馬した。
そうだ。太刀で鉄砲の弾を防ぐなど出来てたまるか。
敵勢が将を担いで慌てて後退に移った。どうやら無事に追い払えたようだな。
待つほども無く蒲生殿の一団がこちらに近づいて来た。
馬廻に抱きかかえられるようにして馬から降りると、そのままその場で蒲生殿が座り込む。
深手を負っておられるか、蒲生殿の顔が苦悶に歪んでいる。
「赤尾……済まぬ。助かった」
「が、蒲生殿……その腕は……」
蒲生殿の左腕から夥しい血が流れている。
それも当然だ。蒲生殿が抑えている左腕は肘から下が無くなっている。
いかに激戦であったとはいえ、まさか蒲生定秀殿が片腕を失うほどとは……。
「と、ともかくすぐに手当てを!」
「つ、追撃を頼む……。今の男は大友勢の総大将、戸次伯耆守だ。大将が手傷を負って大友は混乱するはず。今が、好機だ」
「し、しかし、大本所様からは本軍の到着まではみだりに戦うなと」
「今が好機なのだ……頼む……」
顔が完全に血の気を失っている。既に随分と血を流されたのだろう。
それでも尚、己の身よりも戦の勝利を考えているとは……。
「承知致しました。後は某にお任せいただき、蒲生殿は一刻も早く手当てを受けて下され」
「済まぬ。恩に着る」
安心したのか、意識を失われた。
何としてもここで死なせるわけにはいかんな。
「戸板を用意しろ! 蒲生殿を後方へ!
足軽と騎馬は集合せよ! 大友勢に追撃をかける!」
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