天王寺会談

 

 ・天文十二年(1543年) 一月  摂津国欠郡 四天王寺  伴庄衛門



「ようこそお出で下さいました」


 出迎えの小僧に案内されて廊下を歩きまわると、小部屋の前で恰幅の良い僧形の男が一礼してくる。今回の亭主役である武野紹鴎殿だ。


「これはこれは。亭主殿自らお出迎えとは恐れ入りまする」

「何を仰る。亭主役など務めておりますが、手前はただの茶坊主と変わりませぬよ」


 柔らかな表情だが、口調には多少の警戒感が浮かんでいる。

 堺の重鎮として堺会合衆からも一目置かれていると聞く紹鴎殿だが、今回のことは場所を提供しただけで内容には一切関知しないと言外に念を押してきているのだろう。


 無理もない。

 堺には法華宗と深く繋がっている者も多い。油屋さん(伊達常言)辺りは紹鴎殿が斡旋したことにすら不満を漏らしていると聞いた。この上積極的に関与したりすれば、紹鴎殿と言えどもただでは済まないかもしれぬ。

 だが、紹鴎殿の口利きでもなければ堺会合衆と茶を飲む機会を作れたかどうかも怪しい。六角様の無茶ぶりも相変わらずだな。


 紹鴎殿の案内に続いて小部屋の中に入ると、既に四人の男達が端然と座っている。

 納屋今井宗久、魚屋千宗易、天王寺屋津田宗達。いずれも法華宗とは一定の距離を置いている者達だ。

 そしてもう一人は……。


「甚太郎……」

「お懐かしゅうございます」


 内池甚太郎がゆっくりと頭を下げる。

 事前に聞いていたとはいえ、この場に甚太郎が来ることは意外だった。


 六角様の指図で堺会合衆との談判を持つことになったが、法華宗と繋がりの深い者達はこの場に来ることすら拒否した。

 まあ、それはいい。堺衆がいきなり一丸となって降伏するとは六角様も最初から思っておられまい。

 今回の目的は、堺衆の中にも六角家の政を受け入れる意思のある者を見出すことだ。


 そして、この場に来ている者達は少なくとも六角家と対話する意思を持つ者達だ。彼らも堺衆の中では力を持つ会合衆の一員。会合衆が一枚岩で無くなれば、遊佐方の兵糧補給にも綻びが生じる。それは戦場では大きな隙となる。


 だが、まさかこの場に甚太郎が来るとは思いもよらなかった。もしかすると、故郷が懐かしくなって近江に戻りたいと思っているのだろうか。

 もはや商人として戻してやることは難しいだろうが、儂の屋敷で面倒を見るくらいはしてやれるだろう。六角様に助命嘆願を聞き届けて頂けるほどには儂も役に立てているはず。

 甚太郎が戻ってくるのならば、これほど嬉しいことはない。


「では、お揃いになりましたので一服差し上げましょうか」


 紹鴎殿の一声で皆の背筋が伸びる。

 有難いことに普段から煎茶を喫することが出来る程度には稼がせてもらっているが、茶の湯というものは中々馴染めぬ。近頃の流行りは侘茶とか言うらしいが、何がどう違うのか儂には全くわからん。


「ああ、そのように構えられずとも良いですよ。気軽に喫していただければよい」

「恐れ入ります」


 場慣れしていないことがばれてしまったな。亭主殿に気を使わせてしまったか。


 ……ほう。これは見覚えがある。信楽だな。

 だが、はっきり言って名物とは程遠い日常使いの茶碗だったはずだ。茶の湯と言えばやれ唐物の茶入れだ、やれ名物の茶碗だと何かとうるさいものだったが、これは確かに気楽で良いな。第一この茶碗ならばうっかり割ってしまっても気に病むことも無い。


「そうそう。器のことなど気にされずに気楽に茶を味わってくだされ」


 そう言えば茶の湯の席ではこれほど気楽に飲むことは無かったな。目ん玉が飛び出そうな値が付く器の方ばかりに気が行ってしまって、茶の味などさっぱりわからなかった。

 こうして飲むと、確かに茶の湯も美味い。


「結構なものですな」

「楽しんでいただければ幸いにございます」


 儂を含めて五人の客にそれぞれ茶を振舞った後、紹鴎殿が中座して本題に入る。


「扇屋さん(伴庄衛門)。此度の席をご用意頂いたのはやはり……」

「左様です。六角様と共に歩まれてはいかがかとご相談に参りました」

「会合衆を裏切れと申されるのか?」

「いやいや、そういう話ではありません。六角様はそうさせたいのが本音ではありましょうが、手前は少し違います」

「ほう。というと?」


 三人から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。どの顔も真剣そのもの。

 当然だな。商いも含め、命のかかった問題だ。


 一方で甚太郎は一言も発さずにじっと耳を傾けている。

 今更話すことは無いということか?


「……我ら商人は武士の戦とは全く違った所で協力し合えるはずと信じております。

 堺は良港を抱え、四国や鎮西とも交流が深い。一方で我らとしても木綿や皮製品などはもっともっと売り出したいのが本音でしてな。ここは一つ、我らの荷を扱って頂ければ堺会合衆にとっても利があるのではないかと」

「それは例えば、米や武具なども含めて……と考えてよろしいので?」

「無論です。米や武具は近江で生産が盛んです。ほれ、先ほど頂いたこの茶の木なども栽培が盛んですぞ」


「茶化さないで頂きたい。仮にお手前が兵糧や武具を我らに商うとなれば、それこそ六角様が黙っておられますまい。明確に六角領から戦支度の物資が横流しされることになりましょう」

「ははは。大げさですな。もちろん取引については六角様の承諾を得ております。手前一存の判断で行えば、万一の場合にはお手前方にも累が及びますからな。

 六角様は商は商とご理解下さいました。六角家の指定する兵糧を確保することを条件に、それとは別で商いをするのは自由だと仰せになっておられます」


「……」


 ふむ。どうやら食いついたか。

 武具・兵糧。当然それらが話の大きな部分になるとは分かっていた。それゆえ、六角様とも事前に打ち合わせておいた。

 我らの物資を受け入れるということは、戦の中で我らの提供する物資の比重が重くなることを意味する。


 六角から得た兵糧で六角と戦うのだ。

 六角が糧道を止めればたちまち六角と戦うことすら出来ぬようになるだろうさ。


 ……ま、甚太郎ならばこの絡繰りにはすぐに気が付くだろうがな。


「今一つ、お伺いしたいことがございます」

「何なりと」




 ・天文十二年(1543年) 一月  摂津国欠郡 四天王寺  六角定頼



 茶会が終わった後、内池甚太郎が別室で伴庄衛門と会うという。


 甚太郎が来ると聞いて、庄衛門の従者に化けて俺も四天王寺に足を運んだ。暗殺の危険もあるにはあるが、他の従者五名は武芸に秀でた者を選抜してある。それにそもそも遊佐や朝倉はこのことを知らないはずだ。

 まあ、まず間違いは起こらないだろう。


 会合衆と庄衛門のやり取りは隣の部屋でじっくりと聞かせてもらった。

 さすがは庄衛門だな。あの語り口では、まるで俺を騙して商いをしようとしている強欲な男に見える。だが、これはあの三人にとっても決して不利なことでは無い。


 彼らは六角領から得た物資を持って堺衆の負担すべき物資を賄える。どこから仕入れて来ようと米は米だ。それを確保できるとなれば、遊佐も彼らを重宝し始めるだろう。

 支払いには一合銀を使わせる。そうすれば、少なくともこの三人が関係する取引では一合銭が力を持つことになる。やがて堺全体に一合銀が出回ることにもなるだろう。

 銭と共に敵の兵糧すらも握れば、この戦は完全に俺が制御できる。


 後は、あの三人が承諾するかどうかだな。さすがに即断即決とはいかなかった。こればかりは相手の同意が無ければどうしようもない。


「お頭。本当にお懐かしゅうございます」

「お主もな。甚太郎」


 おっと。甚太郎と庄衛門の話が始まったか。

 そろそろ俺も姿を見せるとしようか。


「改めて、心からお詫びいたします。申し訳ありません」

「……詫びるならば儂にではない」


 庄衛門がそう言うのと同時に襖を開けて姿を晒す。身なりは従者の物だが、甚太郎とは何度か顔を合わせた。見間違えることは無いだろう。


「……これはこれは。お久しゅうございますな。六角様」

「おお。元気にしていたか?甚太郎」


 俺に詫びを入れる……という訳ではなさそうか。

 甚太郎の顔は死を覚悟した男の顔だ。命惜しさに頭を下げに来た男の顔じゃない。


「俺に降りたい、というような話では無さそうだな」

「無論です」


 庄衛門がふーっと太い息を吐く。

 庄衛門は甚太郎が来ると聞いて俺に降るつもりではないかと言っていた。その為、俺に甚太郎を許してやって欲しいと頭を下げていた。

 親の心子知らずとはよく言ったものだ。庄衛門の胸の内も知らずに……。


「手前は最期まで六角家と戦う所存でございます。此度のお招きに応じた理由はただ一つ。

 今生の未練に、一目お頭にお会いしたかっただけのこと。お会いして、一言詫びを申し上げたかった。それだけのことにございます」


 無言で続きを促す。

 庄衛門と会って何を話すという事じゃなかったんだな。ただ庄衛門に会いたかったということか。


「お頭。儂はこの度の戦を起こしたことを悔やんではいない。やっぱり六角様のやり方は認められない。これは儂の意地の問題だ。

 だが……だが、意地の為に儂は『山越衆掟』を破った。『理非に寄らず争いを起こしてはならない』という保内衆の誇りを棄てた。

 そのことだけは、申し訳ないと思っている。不出来な部下で、済まなかった」


「甚太郎……」


 今の一瞬。頭を下げる一瞬だけは昔の甚太郎に戻っていた。

 意地か……。


「甚太郎。話のついでに俺からも一つ聞きたいことがある」

「……何でしょう?」

「その意地とやらを聞かせてもらいたい。お前は俺が宮座を廃し、各地の市を直轄化したことに反発して近江を出奔したはずだ。それが何故そこまで戦う理由になる?

 教えてくれ。俺は何故お前を敵に回した?」


 甚太郎の顔が哀しさを含んだ物に変わる。


「それはただのきっかけです。近江を飛び出して堺に流れた儂は、その後の六角様の治世を堺の地から見つめて参りました。

 そして、儂がこの目で見た物は、六角様の治世がもたらす闇でした」


「闇……とは?」


「かつて、郷村は皆で助け合っていました。

 確かに隣村との争いは絶えなかった。強大な軍事力を持ってその争いを止めさせた六角様の手腕に、かつでの儂も素直に感動したものです。

 ですが、反面で郷村の中では持ちたる者と持たざる者が生まれてしまった。今の堺には、大きな借銭を作り、身動き取れなくなって逃げて来た者も居ります。今や彼らが頼れるのは法華宗だけなのです」


「……どういうことだ?」


「お分かりになりませんか?

 以前であれば、大きな借銭も徳政によって無効になった。確かに儂ら商人からすれば徳政などと迷惑な代物でしたが、反面で民衆からは必要な物であったのも事実です。

 だが、あなたは徳政を全て廃止された。彼らには、逃げるしか道が無い」


「やむを得ぬことだ。皆の暮らしを豊かにするためには……」


「まだ分かりませぬか! あなたの治世には『許し』が無いのです!」


 許し?

 馬鹿な。俺は多くの者を許して来た。俺の治世を受け入れ、俺に従う者には寛容に振舞って来たつもりだ。

 許しが無いだと? ふざけるな!


「かつて、現世で逃れられぬ業を背負った者は神仏を頼りました。抱えきれぬ借銭を抱え、あるいは許されぬ罪を背負った者は『縁切り』を行うことで生きなおすことが出来ました。逃れられぬ業から逃れ、かつての縁を断ち切って新たな人間ひととして生きなおすことが出来た。


 ですが、それすらも今は出来ません。


 あなたが神仏を奪ったから!

 神仏から縁切りを受けることを禁じたから!

 だから、あなたの治世からはみ出した者は、二度とあなたの治世で生きていくことが出来ないのです!」


 ……


「今の戦を支えている者達をご存知か?

 法華門徒であり、朝倉・木沢・徳川の旧臣達であり、あなたの政によって土地や財産を失った近江近国の者達です。

 あなたに敗れ、あなたの治世から虐げられ、はみ出した者達です。

 我らは六角様の治世を受け入れることは出来ない。あなたの治世の元では、我らは永遠に弱者のままで居続けさせられる。だからこそ、は河内守様と共に戦うのです」


「……例え死んでもか?」

「例え死んでもです」


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