時間稼ぎ
・天文十一年(1542年) 十二月 河内国茨田郡寝屋郷 蒲生定秀
空はどんよりと曇っている。ただでさえ寒い時期だというのに、日の光が差さねば寒さはひとしおだな。
もっとも軍備として綿の着込みと冬用の皮足袋は全員に支給されているから、寒さで動きが鈍る心配は無い。 海北殿の発案で始まった綿入りの皮足袋だが、これのおかげで足が凍傷を起こすことも無く、また寒さに震えながら行軍することも無い。
まったく、世の中何が役に立つかわからんものだな。
「お奉行!」
小倉左近(小倉実綱)の声に続いて遠くで早鐘の音が微かに聞こえて来る。
どうやら上様の申された通りか。
「うろたえるな。今は物見の報告を待て」
慌てて腰を浮かしかけた者達も儂の言葉で再び床几に着く。
上様はこのことあるを予期して我ら南軍をこの地に留め置かれた。我らの位置は本願寺からは死角になって見えぬはず。焦って動けば敵に我らの存在を悟られる。
「腕が鳴りますな。いよいよ出陣ですか」
「少し待て。上様のご本陣から進軍の合図が出る。それを確認してからだ。
上様は足利との決戦の前に一向宗を殲滅するおつもりだ。我らの仕掛けが早すぎれば一揆勢の後ろを突くことが出来んぞ」
「承知しました。では、某は隊に戻ってお下知を待ちまする。御免」
気合充分と言った顔で遠藤喜右衛門(遠藤直経)が隊に戻って行く。
朝倉に翻弄され、此度の枚方城攻めでもほとんど戦らしい戦が無かった。その分、南軍には暴れ足りぬ者達が大勢残っている。
さしずめ、喜右衛門などは下知を受ければ真っ先に飛び出してゆきそうだな。
……ふむ。早鐘の音をかき消すほどの鬨の声が聞こえて来たな。
一揆勢が近づいているということか。
「各員、そろそろ配置についておけ」
「ハッ!」
今度こそ儂の下知で本陣内の諸将が一斉に立ち上がる。
物見に出ている小次郎(高野瀬秀頼)の合図はまだか。
それにしても、飯盛山城を攻める上様の本陣がまさか後ろに向けて防御陣を構築しているとは夢にも思うまいな。石山に背を向ければ一向宗が何か仕掛けて来るだろうと上様は仰っていたが、まさにその通りになった。
上様のご本陣は滝川鉄砲隊と馬防柵によって防御を固め、我ら南軍が背後を突く。一揆勢は前後に敵を受けて進むも退くもままならぬことになろう。
万一の場合にも男山城に参られた若殿の軍勢が後詰となる。
まんまと釣り出された一揆勢がいっそ哀れに思えて来るな。
「お奉行!小次郎からの合図でござる!」
再び小倉左近の声が響く。丘の上に視線を移すと、黒い煙が三つ。小次郎の合図だ。
鉄砲の発射音も聞こえるな。どうやらご本陣では既に戦が始まっているか。
「出るぞ! 押し太鼓を鳴らせ! 全軍に出陣を触れろ!」
「ハッ!」
さて、一揆勢を追い散らしに行くとするか。
・天文十一年(1542年) 十二月 河内国讃良郡 六角定頼本陣 六角定頼
「放てー!」
滝川一益の溌剌とした声と共に鉄砲の轟音が響く。
背後から押し寄せた一揆勢が馬防柵に阻まれて立ち往生している中、柵の内側からは長柄隊が槍を突き出し、その後ろからは弓隊が矢の雨を降らせる。そして高い場所に設けた足場からは鉄砲隊が次々に撃ちまくっている。
今回は五十人の射手を選抜して二丁づつの鉄砲を持たせ、射手の後ろで二人の弾込め役を配置した。射手は撃ち終わった鉄砲を弾込め役に渡し、弾込め役は装填の終わった鉄砲を射手に渡す。三段とはいかないが、二段撃ちに近い効果が出るだろう。
「朝倉も共に動くかと期待したが、どうやら一向門徒だけの蜂起のようだな」
「左様ですな。朝倉宗哲は随分と慎重になっているようです」
出来れば邪魔な朝倉の主力も釣り出してしまいたかったが、そう上手くはいかないか。
まあいい。欠郡や河内の奥深くに進軍してから蜂起される前に一向一揆を叩いておけただけでも良しとしよう。
「どうやら藤十郎(蒲生定秀)も動き出したようですな」
進藤の言葉を受けて北に目を転じると、南軍の旗をはためかせた一軍が寝屋川を渡って一揆勢の後ろを閉じるように進軍している。
手筈通りだ。これで一向門徒は進むも退くも地獄となる。
……証如の馬鹿野郎が。
あれほど武士の戦に介入するなと言い続けて来たのに、何故動いたんだ……。
いや、理由は分かっている。
遊佐と朝倉が摂津・河内で苦戦している状況を見て辛抱たまらなくなったんだろう。だが、そこで焦ってしまうことそのものが本願寺が遊佐に協力していたことの証拠だ。
本当に無関係だったのなら、素知らぬ顔をしていればいいんだ。いや、例え裏で協力していたにしろ、全ての武装を解除して徹頭徹尾降る姿勢を見せれば無理に攻め落とす必要は無かった。
だが、現実に一向門徒が蜂起した今となっては石山御坊を攻め落とさないわけにはいかなくなった。
史実の信長は石山を包囲して兵糧攻めにするしかなかったそうだが、今の石山御坊はそこまで強固な防衛施設は整っていない。榎並城を奪取すれば、その時点で抵抗は無意味になる。
堅田本福寺のように領地を棄てて六角家の行政組織の一員になれば一向門徒の生活も向上するはずだ。
それに、今回の蜂起は遊佐や朝倉との連携も取れていない。いわば証如の暴走だ。
飯盛山城を包囲する三好元長の背を討ったことが成功体験になってしまったのかもしれんが、不意討ちならばいざ知らず今まで散々敵対してきた本願寺を俺が警戒しないとでも思ったのか。
何故そこまでして俺に逆らう?
俺がそれほどまでに憎いのか?
武士の戦ならばある程度戦って手打ちにするというのはよくある話だが、こと一向一揆には落としどころという物がない。このままいけば、結局は一人残らず殺戮するしか打つ手が無くなる。
いや、一向宗だけじゃない。堺衆もだ。
確かに堺は遊佐の勢力圏内にあり、かつ六角の一合銀による経済圏とは対立している。だが、堺も商業都市である限り銭不足という事態に焦りは持っていたはずだ。堺が一合銀を受け入れれば、畿内の経済は全て六角家の金融政策を基に展開していくことになる。
京、そして近江という巨大な経済圏と繋がることは、堺衆にとっても決して利の無い話じゃない。
……そうだな。
堺とは妥協の道があるかもしれん。一度堺会合衆と繋ぎを付けてみるか。義晴方の兵站を支える堺が降れば、この戦は一気にケリが付く。遊佐も堺が離脱すればこれ以上戦を継続することは出来ないだろう。
後は朝倉の残党を始末すれば畿内の制圧は完了だ。
「一揆勢が崩れ始めましたな」
「そのようだな」
馬防柵が多少崩された所はあるが、こちらの損害は軽微だ。それに、南軍が背後を突いてからはまともに対応しきれなくなっている。
装備の差もあるが、やはり本願寺がまともに戦術を組み立てていないことが大きかったな。
「追撃は門真庄までとさせよ。下手に深追いすると朝倉が動くぞ」
「ハッ!」
さて、この惨劇を目の前で見て飯盛山城の将兵の心が折れてくれればありがたいんだが……。
・天文十一年(1542年) 十二月 河内国高安郡 生駒山中 遊佐長教
「凄まじい音だな。これほど離れているのにここまで音が響いてくる。半蔵(服部保長)、あれが六角の新兵器というわけか?」
「そのようです。三河守様(徳川清康)が敗走された時もあのような音が響いておりました」
……ふむ。
どうやらあれが北畠が申していた妖術とやらの正体だな。轟音が響くと同時に木の杖のような物の先が火を噴き、それに合わせて一揆勢が見る見る討ち倒されていく。
あのような武器は今まで見たことも無い。
「あれは何という武器か分かるか?」
「残念ながら……手前が近江を離れた後で手に入れた物かと思われます。どこから手に入れた物なのか……」
内池甚太郎にも分からぬか。
「ですが、六角家は敦賀や小浜を通じて西国、さらには朝鮮や南蛮(東南アジア)の荷も取り寄せておりました。あの武器ももしかするとそういった伝手から手に入れた物かもしれません」
「南蛮か……そう言えば鎮西(九州)には琉球の船も来ていると申していたな」
「はい。一度その伝手からあの武器のことを調べてみましょう」
あの武器の秘密が分からぬ以上は迂闊に六角と決戦するわけにはいかぬか。本願寺には悪いが、良い物見となってくれた。
「恐れながら、以前に尼子との戦で我ら伊賀衆は『焙烙玉』という武器を六角から預けられていたと聞き及びます。尼子との戦に参陣した手の者の話では、縄に火を点けて投げるとやがて轟音と共に巨大な火を噴いたとのこと。
恐らくあの武器も焙烙玉の延長線上の物ではないかと思われますが」
「ほう。縄に火を点けてか……」
ということは、水には弱いのかもしれん。雨の中では使えぬ武器ということなのか?
そうであればまだやり様はあるが……。
いや、不確かな情報で戦をするのは危険すぎる。朝倉が時間を稼いでいる今のうちに何としても六角の新兵器の秘密を暴かねばならん。
信貴山城を攻める海北の軍にはあのような武器は配備されていないはずだ。信貴山城を守る走井からは特に変わった報せは無い。あのような攻め手があったのならば真っ先に報せが来ているはず。
察するに、どうやら六角も大量に保有しているというわけでは無いようだな。北畠がやられた状況から見てもあの武器を扱えるのは六角定頼の本軍のみといったところか。
「半蔵。済まぬが六角の新兵器について詳しく調べてみてくれぬか。出来れば現物を手に入れてもらいたい」
「畏まりました」
とはいえ、今や兵力でも六角が優勢になっている。
何とか時間を稼ぐ方策を考えねばならんな。
……一度和睦交渉を仕掛けて見るか。六角が乗って来るとは思えんが、少なくとも一月や二月の時は稼げるはず。
その交渉の決裂を持って公方様にはご出馬頂くこととしよう。
見苦しい悪あがきだが、年が明ければ波多野も動く。あとは阿波の細川讃岐守が動けば、西摂津から三好筑前守を圧迫することができるだろう。
何にせよ、今は決戦を避けて時を稼ぐことだ。
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