第三次六角征伐(3) 因縁再び

 

 ・天文十一年(1542年) 二月 山城国 紀伊郡 淀城  六角定頼



 篠原長政が討ち死にした。三好頼長の本軍を逃がすため、たった五百の兵で一万の朝倉軍に立ち向かった。

 わずかな手勢を縦横に指揮し、朝倉と茨木から挟撃を受けながらも三日の間戦い続けたそうだ。まさに壮烈と言う他ない。


 思えば亡き三好元長の為に命懸けで俺に頭を下げに来たのも篠原長政だったな。断れば今にも腹を切りそうな顔をしていたのを覚えている。

 篠原長政の生はまさに三好家に尽くし抜いた人生だった。


 ……長政。お前は幸せだったか?

 頼長からの文にはお前が進んで殿軍を引き受けたとあった。頼長を守る為、自ら望んで死地に向かったのだろう。だが、そこまでの覚悟をさせてしまったのは俺の不手際だ。

 遊佐の動きを最初から把握していれば、男山城にそれなりの軍勢を配置しておけた。朝倉もその備えを無視して摂津に進軍することは出来なかったはずだ。


「……た様。御屋形様。いかが為されました」

「いや、篠原大和守(篠原長政)のことを考えていた。篠原は、俺が殺したようなものだ」

「……間もなく南軍も男山城に着陣致します。それに、勝竜寺城には朽木宮内少輔殿(朽木晴綱)が援軍に参ったとのこと。摂津の奪還は南軍と三好・朽木勢に任せ、我らは大和で孤立した磯野らの支援を第一に考えねばなりません」

「分かっている」


 気を取り直し、改めて絵図面に目を落とす。大和周辺は書き込みが煩雑すぎてぱっと見ただけでは判断が難しいな。


 大和では筒井順昭に呼応して興福寺衆徒も次々に決起し、そこに北畠の軍勢が宇陀郡を越えて進出してきたことで大和軍は進退窮まっている。

 磯野員宗は筒井城を牽制しつつ郡山城から代官衆と運べるだけの兵糧を信貴山城に入れると、軍勢を引っ込めて信貴山城で籠城の構えを取っている。


 遊佐の本軍も高屋城に集結しつつあるとの情報もある。高屋城に兵を集めているとなれば、狙いは大和軍の拠点である信貴山城だろう。


 だが、唯一の救いは大和の旧支配者である興福寺が割れていることだ。九条流と言われ、代々九条家や二条家と縁が深い大乗院は筒井らの蜂起を喜んでいるが、近衛家と縁が深い一乗院は六角との対決に消極的だ。

 大和で蜂起した国人衆の中核である筒井氏は一乗院の衆徒だが、今回の事で筒井は破門するつもりだと一乗院門主からは内々に使者が来ている。もっとも、文書無しの口頭だけだがな。


 一乗院としては、このまま大和を筒井が掌握するならば下手に敵対する訳にはいかないが、反面で六角にも気を使わねばならない状況だということになる。察するに、近衛稙家から六角を支援するようにという要請が出ているのだろう。近衛家はどうやらまだこちら側に味方してくれているようだな。


 摂津の三好軍は篠原長政のおかげで戦力を保ったまま退却できたが、大和の情勢は予断を許さない。進藤の言う通りまずは孤立した大和軍の救援に向かわねばならん。


「北軍は今どのあたりだ?」

「北軍は明日にでも木津川を越えて大和へ入る見込みです。後藤但馬殿(後藤定兼)も伊勢から北畠の大河内城へ攻め寄せる態勢を整えておりますれば、北畠は程なくして大和から撤退することになりましょう」


 まずは大和の北部を抑え、柳生との連絡を回復する。

 北畠は百地正永を中心とした名張郡の国人衆を掌握しているが、多羅尾光吉の説得で伊賀北部の藤林正保はこちらに寝返った。

 問題は大和と伊賀の国境付近に根を張る千賀地一党だが、頭領の服部保長は徳川清康に仕えていた男だ。徳川の崩壊後は出身地である伊賀に戻っているらしいが、果たして徳川を滅ぼした六角に協力してくれるかどうか……。


 まあ、北伊勢に配置した後藤定兼が背後を脅かせば、北畠もそうそう大和に出張ってばかりもいられなくなるはずだ。下手をすると遠征中に本拠地を落とされることになるからな。

 北畠が撤退すれば、百地や服部らの伊賀衆も意地を張っていられなくなるだろう。


 後は遊佐の本軍が大和に進出する前に筒井をへこませておかなければならないか。この一戦で大和を完全に鎮圧することは不可能だが、少なくとも一時的に大和の反乱が沈静化すれば大和軍は遊佐軍との戦いに全力で掛かれる。


 北軍の働き如何で大和軍の進退が決まるか……。



 打ち合わせをしていると、部屋の外で誰かが膝をついた気配がした。


「御屋形様。山科卿からの使いの方が参られました」

「分かった。直ぐに会おう」


 さて、朝廷に願っておいた件はどうなったか。




 ・天文十一年(1542年) 三月 山城国綴喜郡 男山城  蒲生定秀



 朝倉宗哲の強襲によって篠原大和守殿が討ち死にされた。その壮烈な死に様はすぐに各地を駆け巡り、京では篠原殿を真の忠臣と褒めそやす声が引きも切らずだと聞く。

 だが、儂にとっては痛恨というほかない。


 そもそも朝倉を抑えるのは我ら南軍が負っていた役目だ。儂が東三河の平定に手間取りさえしなければ、朝倉が動くよりも早く男山城に帰陣できていたはず。そうなれば朝倉宗哲も下手な動きは出来なかっただろう。

 今更後悔しても遅いが、篠原殿の無念は必ず晴らして見せる。


 広間に入ると既に各組の組頭が集合している。

 中央には絵図面が置かれ、二番組の三雲新左衛門(三雲定持)が様々に碁石を並べている所だ。


「待たせたな。戻って早々だが、早速に軍議を始める。朝倉の動きはどうか」

「ハッ!朝倉軍は茨木・伊丹らと合流した後、芥川山城・越水城を落として摂津各地の三好軍を撃破しております」

「三好軍の被害はどうか?」

「勝竜寺城に逃れた筑前守殿は態勢を建て直し、天王山砦を抑えて大山崎で朝倉を迎え撃つ構えを取っております。

 摂津各地の三好方の城も多くは戦わずに城を開き、朝倉に降っております。が、各地の城から逃れた者達は続々と勝竜寺城に馳せ参じておるとのこと。三好軍は現在六千ほどの兵力にまで回復しておると松永殿より報せが来ております」


 ……ふむ。

 朽木殿の後詰と合わせれば兵数は八千を超える。これならば大山崎方面は全て任せてしまえるか。


「よし。我らは枚方城に向けて進軍し、河内十七箇所を勢力下に収める。遊佐軍の兵糧を支える河内平野を抑えれば、敵にもかなりの動揺が生まれるはずだ。

 それに、枚方宿は摂津・河内・大和の各地へと通じる街道の起点だ。ここを抑えれば、敵方の動きは相当に制限される」


「飯盛山城の抑えはいかがいたしましょう。飯盛山城には安見美作守(安見宗房)が配されておりますが、今は河内守(遊佐長教)から増援の兵が派遣されているはず。その兵数は未知数です。

 仮に朝倉と安見に挟撃された場合、我が南軍だけでは手に余ることも考えられます」


 小倉左近(小倉実綱)が懸念を口にする。確かに飯盛山城の抑えは必要だな。


「よし、南軍を二手に分ける。一番・三番の兵四千は津田城を奪取し、そのまま飯盛山城攻めに掛かれ。総大将は一番組頭の小倉左近が務めよ」

「ハッ!」

「残りの組は儂と共に枚方城に向けて進軍する。良いな!」

「ハハッ!」




 ・天文十一年(1542年) 三月  摂津国島上郡 高槻城  朝倉宗哲



 篠原大和守か……。

 良き武士もののふであった。僅か五百で一万の兵と戦い抜くのは並みの大将ではない。そもそも配下の者が討ち死にを覚悟で最期まで従ったのは大和守の徳の為せる業であろう。

 普通ならば劣勢に立った時点で兵は士気を失うものだが、篠原の兵は一兵卒に至るまで果敢に戦い抜いた。


 惜しい者を亡くしたな。


 翻って、我が方の軍勢は寄せ集めと言っていい。

 我が朝倉軍三千が中核となっているが、多くの兵は堺から借り受けた法華門徒だ。統率も低く、禁制を破る者も目立つ。やはり鍛え抜かれた兵とは練度が違うか。


 嘆いていても始まらん。

 儂の使命はこの兵を率いて河内守様(遊佐長教)が各地の兵を糾合するまで摂津・河内の六角軍を足止めすることだ。

 敢えて大山崎を越える必要も無い。ここを堅守し、三好と蒲生の進軍を防ぎ止めている間に波多野や一色の軍勢が京を窺う態勢を整えるだろう。


 これで本当に良かったのか……。

 朝倉家の再興が成ったのは河内守様のおかげであることは間違いない。だが、そのために我が朝倉は多くの誇りを失った。

 義父上(朝倉宗滴)が大切にされていた『九十九髪茄子』まで献上させられ、その上長夜叉様(朝倉義景)は人質同然に高屋城に留め置かれている。表面上はあくまでも河内守様に出仕する為という事になっているが、儂が裏切らぬようにという措置であることは明白だ。


 ここまでされて、それでも尚遊佐家に従わねばならぬのか……。


 高槻城の物見櫓に立つと、夕陽を受けながら淀川を行き交う川船が見える。きっと越前でも同様なのだろう。

 例え朝倉家が滅んだとしても、人々の暮らしは何一つ不自由なく営まれていく。越前では斯波家が再興したと聞くが、その斯波家も我ら朝倉と同じく一向一揆との葛藤を抱え、他方で国人衆は以前と変わらず旧領を安堵されている。

 朝倉が越前を支配し、そして滅びたことなどまるで無かったかのようではないか。


 このような世の中で、敢えて宿命に逆らって朝倉家を保つ意味とは何なのか……。


 茨木・伊丹・池田。

 彼らも今は儂に従っているが、それは摂津の本領を保つ為に過ぎぬ。旗色が悪ければ容易に裏切るだろう。

 勝つことでしか保てぬ信頼か。



 ……ふっ。

 儂としたことが夕焼けの空に少し感傷的になってしまったか。


 意味などどうでも良い。今は目の前に敵がいる。その敵と戦い、勝つ為に最善を尽くす。それが儂に出来る唯一の生き方だ。



 ……いや、違うな。

 六角と敵対すると聞いた時、本当は少し心が躍った。

 再び奴らと戦場でまみえることが出来る。その事実だけで抜け殻のようだった儂の体に生気が戻った。


 蒲生定秀、朽木稙綱、そして六角定頼。

 貴様らを倒す為だけに今の儂は生きているのかもしれぬ。朝倉の再興なども本当はどうでも良いのかもしれぬ。


 このような事を考えていると知られれば、右兵衛殿(朝倉景隆)には怒られるかもしれんがな。


「宗哲様! 男山城の蒲生軍が動き出したと報せがありました!」

「分かった。軍議の用意をしろ」

「ハッ!」


 まずは蒲生か。


 河内守様からの下知は、三好を摂津から追い出した後は各地の城を堅守しろというものだ。だが、それは即ち戦ってはいかぬという事ではない。


 今度こそ儂の軍略で必ずや蒲生定秀を討ち取ってくれるわ。


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