次代の大器

 

 ・天文八年(1539年) 二月  山城国乙訓郡 物集女城  篠原長政



 殿の後に続いて座敷牢へと足を運ぶ。儂が手に持つ式台には焼いた餅を二つ。

 殿は昔から餅がお好きであったからな。


 座敷牢の前に座ると、格子を隔てた向こうに彦次郎様が端座しておられる。


「一体何の用だ?」

「なに、餅を一緒に食わぬかと思ってな」


 儂が後ろから歩み寄り、式台をちょうど殿と彦次郎様の手が届く位置に置く。殿はためらわずに餅を取り上げて頬ばるが、彦次郎様はそんな殿をじっと見つめたままだ。


「……食わぬのなら儂がもらうぞ?」

「いい加減なぶるのはやめたらどうだ。さっさとこの首を刎ねるがいい」


 未だ彦次郎様は固く心を閉ざしておられる。やむを得ぬこととはいえ、何とかお二人が再びを手を取り合う未来はないのか……。

 殿……。冥土におわす我が殿。何卒二人の御子息が手を携えられるよう、力をお貸し下され。


「一つ、申し聞かせておこう。この度儂は筑前守に任じられることと相成った。これよりは父上と同じ、三好筑前守を名乗ることになる」


 ピクリと彦次郎様が表情を動かす。恐らく悔しさが心を支配しておられるのだろう。


「……ふん。三好を裏切り、阿波を捨てたお主が筑前守とは、片腹痛い話だな」

「これを見よ」


 殿が愛用の太刀を差し出す。不審な顔をしながら彦次郎様が受け取ると、格子の向こうで太刀を引き抜いて怪訝な顔をしておられる。


「……取り立てて何ということも無い太刀だが、これが何だ?」

「三好郷と名付けた。父上が……三好元長公が最期の時にいておられた太刀だ」

「……何が言いたい」

「儂は阿波を捨てたつもりはない。確かにお主らから見れば近江に逃げていたと取られても致し方ないとは思う。だが、儂は近江でかけがえのない物を学んだ」


 太刀を鞘に仕舞うと、そのまま鞘ごと殿に返してくる。そのまま太刀を奪って暴れることも出来たであろうに、彦次郎様もまだ殿と話したいことがあるという証なのかもしれぬ。


「かけがえのない物? 父上の仇を討ち、再び三好が天下を掴む以上にかけがえのない物があるのか?」

「……父上は、三好元長公は、六角定頼公にはついに勝てなかった」

「それがどうした。勝敗は武家の常。ただ一時の武運に恵まれなかっただけだ。父上が生きておられれば、今頃は六角を討ち払っておいでであったろう」

「違うのだ、彦次郎。……父上は、天下を掴む器では無かった」


 突然彦次郎様が立ち上がり、格子を掴む。怒りの表情か。こういうお顔は亡き殿にそっくりだな。


「貴様! 三好を裏切っただけでは飽き足らず、我が父三好元長を愚弄するか!」

「天下とは!」


 孫次郎様も立ち上がって声を張り上げる。お留めするべきだろうか……。いや……。


「天下とは、そこに住まう人々のことだ」

「いきなり何を言っている!」

「父上と定頼公が密かに会談された時、定頼公が父上に対して申された言葉だそうだ」

「……」


「定頼公はこう申されたそうだ。『公家も武家も、商人も農民も、あらゆる者が天下である』と。そして『天下の人々がどのようにすれば幸せに暮らせるか。それを考え、それを脅かす者を討ち平らげるのが天下人の役目である』と。

 父上は最期まで『忠義』という武家の理屈の中だけで生きておられた。武家に生まれた者としてそれは当然のことと思う。だが、六角定頼公は違う。どうすれば人々が豊かに幸せに暮らせるか。それを第一に考えておられる。儂とて父上が天下人の器でなかったと認めたくはない。だが、定頼公と引き比べれば志の高さが違うと認めざるを得ぬのだ」


 今度は泣きそうなお顔をされている。そういえば、幼い頃の千満丸様はよくこうして泣きそうな顔をする童子であったな。心の底では千満丸様も千熊丸様と共に在りたいと思っておられるのかもしれん。


「彦次郎。儂はそれ故に喜んで六角家の一門となった。天下を豊かにし、戦の無い世の中を招くために。幼き日の我らのように、腹を空かせる子供らを出さぬために。その為ならば、例え大恩ある讃岐守様(細川持隆)と言えども討たねばならぬと心に定めている」


「……儂にどうさせたいのだ」

「どうもせぬ。儂の覚悟と思いを知ってもらいたかっただけだ。三月にはお主を堺へ送り届けることが決まった」

「堺へ……?」

「阿波へ戻った左馬頭様(足利義維)から近江宰相様へ嘆願があった。左馬頭の官位を返上する故、彦次郎を返してもらいたいと。近江宰相様はその申し出を受けられた」

「そんな……」


 左馬頭の官位を返上するということは、足利将軍家の家督はすっぱり諦めるということだ。阿波足利家は以後義晴公の将軍位に一切の文句を言わぬという意志表明と言える。それほどまでに左馬頭様は彦次郎様を大切に思っておられるということでもあろう。


「左馬頭様の意をないがしろにし、阿波から再び畿内を窺うと言うのならば今度こそ儂の手でお主を潰す。それだけは覚えておけ」

「……待ってくれ!」


 踵を返して戻ろうとした孫次郎様の背中へ、彦次郎様の声が響いた。

 何故かの。涙が溢れて来る。


「あ……兄上は、これからどうするのだ」

「知れたこと。定頼公の覇業をお助けし、儂自身の意思で『海内豊楽』を実現する。見ておれ、儂はいずれ父上や定頼公をも超える大きな男となって見せるぞ」


 彦次郎様が……『兄上』と……。


 殿、ご覧になっておられますか。千熊丸様は、立派な御大将へと成長なされておりまするぞ。




 ・天文八年(1539年) 三月  尾張国丹羽郡 犬山城  六角義賢



 犬山城の城門が開き、泥だらけの軍勢が門内に入って来るのが見える。権六(柴田勝家)の五番組が戻って来たか。相変わらず五番組の戦は仕事が早いな。

 今回も多くの野盗と思しき者達を捕縛してきたようだ。


 しばらく待っていると、居室に権六が現れて具足姿のまま両手を突く。


「若殿、飯田党と名乗る野盗団の首魁しゅかいを降して参りました」

「ご苦労だったな。これで犬山周辺に巣くう野盗は大方目途がついたか」

「ハッ!今のところ付近を荒らしまわる野盗の話は他に聞き及びません」


 早い物だな。あれからもうひと冬が過ぎてしまった。

 儂が不甲斐無いばかりに北河又五郎を討たれてしまったが、代わりにこの柴田や森らの若い組頭が活躍してくれている。頼もしいことだ。


「では、捕らえた者達はいつも通り清州城に送り、池田三郎左衛門(池田高雄)に引き渡してそれぞれに仕事を与えさせよ」

「ハッ! しかし、よろしいのでしょうか? 尾張では先だっての徳川の侵攻以来、糧食の備えが日々目減りしていると聞き及びます。これ以上米を分け与えるようなことをすれば……」

「何、米は随分とやられたが、豆はある程度収穫できた。それにあと三か月もすれば麦の収穫が見込める。山城に送っていた兵糧米からもこちらに戻してもらえる分もあるしな」

「左様ですか。いや、さすがは若殿。流民崩れの野盗にすら食を分け与えるとは慈悲深い行いにございますな」


 こやつ。見え透いた世辞を言いおって。


「慈悲ではない。全ては尾張の為だ」

「尾張の……?」

「そうだ。野盗とは言え、元は食うに困った流民達だ。彼らの多くは食うためにやむにやまれず野盗に身をやつしている。真っ当に職を与え、真っ当な働きによって食を得ることが出来るのならば、あえて人から奪い取ろうとはせぬものだ」

「そういうものでございますか」


 儂とて父上のなさり様を真似ているだけだがな。

 父上は百姓から人手を募って普請組や交易に従事する者を集められた。それらの者の働きによって近江は益々富み、暮らしやすくなっていった。


 尾張でも同じことをする。食い詰めた流民達に普請や交易、馬借の仕事を与えて相応の銭を払う。働きによって得た銭は食を得るための糧となる。実際、捕らえた野盗共も仕事を与えれば大部分は大人しく仕事に精を出している。一部にはそれでも逃げ出して野盗に戻ろうとする者も居るが、各組頭には領内の警備を強化させているから、そう言った者達の居場所はだんだんと無くなって行くはずだ。


 それに、浜田湊の角屋からは水夫としていくらでも人手は欲しいと言ってきているし、伴庄衛門達も馬借の手はいくらでも引き受けると申している。尾張領内の治水普請や荒れ地の開墾もあるから、与えるべき仕事はいくらでもある。


「ただし、それはお主らが尾張領内の治安維持をしっかりと行っていればこそだ。野盗が跋扈ばっこし、真っ当に働いても奪われるだけとなれば人は奪う側に回ろうとする。誰だって損をしたくはないからな。旗本衆の仕事も軽くはないぞ」


「ハッ!肝に銘じまする。五番組には早速に調練を……」

「待て待て、昨夜から今まで飯田党とやらと戦っておったのだろう。せめて今日くらいは配下に休息を取らせてやれ」

「ハッ! 若殿がそう仰せであれば」


 まったく、こやつも熱心なのは良いが、配下に無茶をさせるところがある。権六の体力を基準にすればほとんどの者は潰されてしまうわ。



 権六と入れ替わりに二番組の多羅尾四郎兵衛(多羅尾光俊)が入って来る。二番組には徳川の動向を探らせているから、何か動きがあったのかもしれん。


「若殿、失礼します」

「徳川に動きがあったか」

「ハッ! 浜松城に拠点を移した徳川は、遠江各地の国人衆を次々に吸収して今は掛川城に攻めかかる構えを見せております」

「……我らが徳川の背を押してやる結果となったか」

「はい」


 悔しいが今はどうにもならぬか。


 父上と和議を結んだ三河守(徳川清康)は、岡崎城を元服したばかりの息子の次郎三郎(広忠)に任せて自身は曳馬城に本拠を移し、浜松城と改名して天竜川の東を窺う態勢を整えた。

 それまでは浜松周辺の制圧に手間取っていた徳川だが、畿内最強と謳われる六角軍を事実上破ったことで徳川の武威は一気に高まり、天竜川以西の国人衆は雪崩を打って徳川の旗の元に走った。こうなれば遠江全域が徳川に制圧されるのも時間の問題か。


「仮に掛川城が落ちれば、次は駿河か」

「そうなりましょう。今や徳川の勢いは旭日の如しとの評判です。世上では『東海の暴れ馬』とあだ名されているとか。今の今川家にこれを押しとどめる力があるかどうか……」


 左馬助殿(今川氏豊)にも今一度お会いしよう。

 朝廷を介した和議がある以上、今は表立って徳川と事を構える訳にはいかぬ。だが、角屋七郎次郎(角屋元秀)が何とかして遠州灘を渡る航路を作ろうと頑張っている。尾張から駿河まで船で繋がれば、武具兵糧などの援助を行うことは出来る。何とかしてこの危難を耐え忍んでくれと申し送っておこう。


 儂が迂闊に徳川と戦って敗れたりしなければ徳川がこれほどの勢いを得ることも無かったはず。返す返すも、戦とは恐ろしいものだ。戦の勝敗によっては一気に形勢が変わることもあり得る。

 此度の敗戦、儂自身の戒めとして肝に銘じなければならんな。




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