稙綱と定頼(2)

 

 ・大永五年(1525年) 九月  近江国犬上郡 高野瀬城  朽木稙綱



 高野瀬城には多くの兵馬がひしめき合っている。

 霜台め。美濃国境の後始末を俺に押し付けてさっさと観音寺城へ引き上げてしまいおった。おかげで軍勢の引き上げの指図までする破目になってしまった。

 まったく、あ奴は俺を何だと思っているのだ!俺は六角の被官ではないぞ!


「殿、香庄殿がお見えです」


 野尻六郎が広間に居る俺に声を掛けて来る。

 源左衛門殿(香庄貞信)が何の用か……まあ、どうせロクな用件ではあるまい。


「弥五郎殿、失礼いたしますぞ」


 おっと、もう来られたか。

 しかし、城内は甲冑を着込んだ武者でひしめき合っているというのに、源左衛門殿は直垂姿か……

 まあ、源左衛門殿は武人とは言え、その役目は文官に近いからな。無理もないか。


「これは源左衛門殿。一体どういったご用件ですかな?」

「我が主からの書状を持参致しました。こちらです」


 源左衛門殿が懐から分厚い奉書を差し出す。

 包みになっていて、外側の紙を外すと中から書状が出て来た。

 どれどれ……


 なんだと!丹後の紛争に援軍を出せと……

 出陣の準備をして武田の指示を待てだと?

 ふ、ふざけるな!あ奴は俺を一体何だと思っているのだ!


「げ、源左衛門殿。これは一体……」

「あ、いや、しばらく。もう一通の書状も合わせてご披見下さいませ」


 む?……ああ、これか。中にもう一通あったか。うっかり見落としていた。


 ……ふん。

 『武田から佐々木同苗に回覧してくれと言われたから朽木にも届けるが、出陣の準備だけして実際には出なくても構わない』か。援軍を出すふりだけしておけば良いということか。

 六角も今回は出陣せぬか。まあ、そういうことなら……


「ご覧頂いた通り、我が主も今回は出陣しないと申しております。朽木は若狭に近い故、形だけは整えて頂きたいが、実際に援軍に出て頂く必要はございません。

 正直な所、近江の外の事にまで朽木殿を振り回すは忍びないと主も申しておりました」

「左様ですか。まあ、委細承知いたしました」


「それと、これは主からの言伝ですが、帰陣の折りには観音寺城に立ち寄って頂きたいと申しております。

 前回の日野攻めの件と合わせて、朽木殿には何か報いねばならんと気にかけておりまして」

「いや、某はそのようなつもりで霜台殿に協力したわけでは……」

「そう仰らずに。働きがあれば報いねばならぬのは武家の習いでございます」

「源左衛門殿がそこまで仰るのであれば……」


 ふん。霜台がそこまで貰ってくれというのならば受け取ってやっても良いか。


 ……善積庄よしづみのしょう辺りなら有難いな。ふふっ。




 ・大永五年(1525年) 九月  近江国蒲生郡 永源寺近郷薬師温泉 朽木稙綱



 俺はここで何をしているんだ……


「弥五郎殿(朽木稙綱)。そう堅くならずに、共に湯を楽しもうではないか。

 このとおり、俺は身に寸鉄も帯びておらぬぞ」


 霜台が湯の中から立ち上がって両腕を広げる。

 やめろ。お主の汚いなど見たくない。


「では、失礼仕る」


 ああ……湯に入ると心地よい。体の芯から疲れが溶けていくようだ。


「先年の日野に続き、今回は残務処理まで押し付けてしまって申し訳なかったな。弥五郎殿が居てくれて本当に心強いと思っている」

「いや、何ほどのことは……」


 ……何の魂胆がある?こ奴が俺をこんな風に褒めて、一体何の得がある?


「ははは、そう警戒せんでくれ。

 そうだな。この堅っ苦しい言葉遣いもやめよう。もっとざっくばらんにアンタとは話したいんだ」


「某に一体何の話がございますので?」

「二人で居る時はそういう言葉遣いをやめてくれ」


 ふう……本当に変わった男だ。


「では、この際だから遠慮なく聞かせてもらおう。お主は俺をどうしたいと思っている?」


 気にした様子もなく、ニヤリと笑っておるな。確かに俺もこちらの方が話しやすいか。


「アンタが欲しいと思っている」

「……どういう意味だ?言っておくが、俺は衆道は好まんぞ?」


「いや、そうじゃなくて……

 なあ、弥五郎。アンタが高島郡を獲らないか?」

「……!!」


 こ奴、何を言っている……

 確かに今高島郡は佐々木氏から別れた七家が分割統治している。それ故に高島郡には北の京極や南の六角のような強い領主が出ないわけだが、だからこそ六角は高島の軍勢を己の命一つで自由に動かせているのではないか。

 高島郡を一つにまとめれば、六角と対等とはいかずともそれなりに対抗できる勢力になることが分からんわけではあるまい。


「アンタみたいな馬鹿正直な男が高島郡を治めてくれた方が、俺としてもありがたい。

 高島越中も田中も横山も山崎も、皆腹の底が見えん。アンタくらいにあけすけな男が治めていた方がいい」


 馬鹿正直だと?馬鹿にしおって!


「俺を見くびるのか!俺はお主の家臣ではないぞ!」

「わかってるさ。あくまでも高島郡は独立した朽木家で居てもらって構わない。家臣のように俺に従わなくてもいい」

「しかし、それでお主に何の得がある?お主は今でも充分高島郡の佐々木七頭を支配下に置いているではないか」

「確かに、俺の一声で高島郡の軍勢は参じてくれる。だが、それは俺が有利に戦えているから味方しているに過ぎない。

 アンタを含め、皆本心では家臣のように俺に従う義理は無いと思っている。違うか?」


「それは……確かにそうだが……」


「要するに、俺にとっては高島郡は後背常ならぬ土地というわけだ。それなら、アンタの領地であった方がまだいい」

「随分と信じてもらっているようだが、俺がお主を裏切るとは思わんのか?」


「可能性はあると思っている。だが、アンタは裏でコソコソ工作するような真似はしないよ。

 坊主として多くの人に会ったから、これでも人を見る目はあるつもりだ。アンタはそんなに器用な男じゃない」

「何度も言うが、俺を見くびるのか?」

「そうじゃない。本当に信用ならないヤツなら、この場では二つ返事で引き受けるさ。喜んで俺の家臣にでもなると言うかもしれん。そして、俺の協力の元で高島郡を手中に収めたら、その後は裏で独立工作を始める。本当に腹の読めない奴というのはそういう奴だ。

 この場で思わず本音が漏れる所が、俺がアンタを見込んだ所だ。今ここでこうやって『見くびるな』と言うアンタだからこそ、高島郡を任せたいと思ったんだ」


 ふん……

 それで言いくるめたつもりか。人のことをまるで嘘が吐けない馬鹿のように言いおって。


 ……そう言えば今回の戦でも言っておったな。

『後ろを任せられるのは信じられる者だけ』か。


「いいだろう。お主の為ではなく俺自身の為に、高島郡をまとめよう」


「よろしく頼む。差し当たり、アンタには善積庄の代官職を安堵する奉書を出す。先年の河上庄の代官職と合わせれば、朽木の勢力は高島でも頭一つ抜けるだろう。

 それと、必要な物資は届けさせる。だが、先に断っておくが今後高島郡内の戦には俺は関知しない。あくまでも独力でまとめてくれ」

「よかろう。だが、忘れるな。俺はいつでもお主の背中を討てる位置に居ることになるのだからな」

「その時は、仕方ない。諦めるさ。俺の人を見る目が無かったということだ」


 ふん。勝手を言いおって。


 ……だが、悪い気はせんな。




 ・大永五年(1525年) 十月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



 朽木も安堵状を受け取って高島に帰って行った。

 朽木にとってはこれからが本番だな。頑張ってくれよ、弥五郎。


 しかし、ああは言ったが本当に朽木が裏切ったらどうしよう……

 弥五郎はそういう器用な人間じゃないと思うが、家臣はわからんしなぁ。まあ、最悪の場合は俺が朽木を潰す。高島郡が朽木でまとまったら、あとは朽木を討てば六角領に編入できるしな。

 やりたくはないが、覚悟だけはしておこう。


 さて、戦で開けた分こっちはこっちで内政が溜まっている。領内の仕置に関する書類が山積みだ。


 まず、伊勢山越衆は……

 干鰯の値段が最近上がっているか。まあ、こんだけ大量に消費すればそうなってもおかしくはない。伊勢の漁師もイワシが大きな需要のある商品になると分かってきただろうしな。

 北近江の今浜商人は敦賀に伝手があると思うから、北からもイワシを仕入れてみてはどうかと庄衛門に言ってみるか。

 他には、綿織物が桑名で需要が大きいか。まあ、太平洋沿岸ではまだ珍しい商品であることは確かだ。

 ……ほう。海路で堺にも出荷しているのか。


 鉄砲の伝来っていつだっけかな?

 まだ当分先だろうが、情報だけは聞き込んでおくように頼んでおこう。


 北近江の農村開発はまだ始まったばかりだから、成果が出るまでに三年くらいは必要になるかな。

 だが、生産した綿花が売れて行けば、北近江も多少は豊かになるはずだ。こっちはもう保内衆に任せておけばいいか。連中なら上手くやるだろう。


 次はそろそろ琵琶湖の水運を自由にできるようにしたいな。常楽寺湊や長命寺湊にも海賊衆は居るが、やはり琵琶湖水運の元締めは堅田衆だ。

 最大消費地の京への流通は堅田衆と大津商人が握っている。特に米はやはり最大の需要物資だ。


 この時代は銭が広く流通しているが、粗悪な鐚銭びたせんも多く、市場では未だに米が通貨として機能する。京での段銭なんかは銭で納めさせられるが、民間の取引では銭の代わりに米や布で決済することもまだ珍しくない。

 つまり、米は食糧であると同時に通貨でもあるという特性を持っている。実際の生産高があっても農民が滅多に米を食わないのは、いざという時にはカネとして使うから残しておきたいという心理が働くからだ。

 江戸時代に米の石高が豊かさの基準になったのは、この頃の風習が根強く残っていたからだろうな。


 堅田衆は一向門徒も多いが、主に水軍を握っているのは殿原衆とのばらしゅうと呼ばれる地侍だ。

 そして、殿原衆は禅宗が多い。俺も元は臨済宗の僧だったんだから、同じ宗派として一つ腹を割って話してみるか。


 次は……日野の軍勢は回復するのにもう少し時間がかかるかな。何せ、俺の日野攻めで凍死した人間も多かった。人の補充は一朝一夕にはできないから仕方がない。

 日野の蒲生は昔から兵の勇猛さで有名だったし、そこらの足軽を入れて補充完了ってわけにはいかないだろうしな。

 練度や身体能力が違い過ぎる軍は、指揮官の思った通りに動かなくなる。使いづらい兵を増やすくらいなら日野の地生えの者達を取り立てた方がいいだろう。


 あとは……

 そういや九里宗忍は側近の西川又次郎共々討死したんだったな。伊庭・九里の残党軍はこれでほぼ解散になるだろう。

 宗忍の妻が五歳の息子を抱えて庇護を求めて来ているんだったな。夫の仇に命乞いをするんだ。口惜しいだろうな。特に息子は亀寿丸と同い年だ。

 一つ間違えば志野と亀寿丸が同じ目に遭っていたかもしれないと思うと、身につまされる。

 今後は精々安楽に暮らせるように計らってやろう。


 ふぅ。色々やることが多いな。



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