小谷城陥落

 

 ・大永五年(1525年) 八月  近江国浅井郡 小谷攻め付城『金吾丸』  朝倉宗滴



 夜空を見上げれば雲間から三日月が顔を覗かせる。雲一つない満月も良いが、こういった雲間の月を肴に飲む酒もまた格別だな。

 しかし、忙中閑ありとは言うが、陣中閑ありというのは妙に落ち着かん。今こうしている間にも戦機を逃しているのではないかと思う瞬間がある。


 六角弾正か……

 不思議な若造だ。儂の顔を見るあの目は、まるで怯えた子犬のようだ。どう見ても腰抜けそのものにしか見えん。

 しかし、打つ手の一つ一つは老練さすら感じさせる。まさに名将の采配と言っていい。

 一体どちらが本当のあ奴なのか、今一つ掴みきれん。


 南近江の反乱もそうだ。不意を突かれたにしては鎮圧するのが早すぎる。恐らく相当以前から準備を整えておったのだろう。

 驚いた振りなどしおって、小賢しい小芝居よ。


 多くの武士は自分の姿を大きく見せようとする。国外の勢力に対してならばなおのこと、それは敵となるのを未然に防ぐ手段でもある。

 にも関わらず、あ奴は敢えて侮りを受けようとしているように見える。奇妙な男だ。


「義父上。こちらにおいででしたか」

「おお、孫九郎(朝倉景紀)か。ちょうどいい、お主も一杯やらんか」


 養子の孫九郎が一礼して対面に座る。

 こ奴の目には弾正はどう映ったのか……


「孫九郎。お主は六角弾正をどう見た?」

「弾正殿ですか?何というか、手抜かりの多い御仁かと……

 此度の南近江での反乱も留守居の者の活躍でなんとか事なきを得ましたが、そうでなければ厳しい事態になっておったやもしれません。

 ご家中には有能な家臣が揃っているようですが、御大将としては義父上のように一分の隙も無い武人に比べるといささか頼りないかと思います」


「はっはっは。それはあ奴にまんまと騙されておるのだ」

「左様でしょうか……」


 孫九郎が拗ねたような顔で頬を膨らませる。どうにも納得いかんようだな。

 まだまだ孫九郎も若い。今少し人の間で苦労せねばならんかな。


「報せに驚いておったのも見え透いた猿芝居よ。あ奴は最初から南近江で反乱が起きると勘付いておったのだろうよ」

「……しかし、それならば未然に反乱を潰せば良いように思われます」

「浅井の心を折る為であろう。浅井にとっては南近江の反乱が最後の一手だったはずだ。それがあっけなく鎮圧されたとなれば、もはや浅井に戦を続ける気力はあるまい。早晩和睦を願ってくるだろう」


 未だに納得いかないという顔をしておるな。まあ、今にわかるだろう。


「あれはなかなかの器だ。浅井とは役者が違うな。浅井は六角の手の上で踊っておるだけだ。

 ……手強い男よ」

「義父上よりも、でしょうか?」


 ん?孫九郎の顔が興味津々といった顔つきなっておるな。

 そうさな……仮に儂が浅井の味方として参陣しておったらどうしたかな……


「まず、弾正めに刻を与えては不味いだろうな。あ奴に小細工をさせる余裕を与えてはいかん。

 ズルズルと長引けば術中にはまる」

「では、一気呵成に?」

「といって、それも不味い。六角の弓隊の破壊力はなかなかのものだ。騎馬で一気に詰め寄ろうにも、半端な数では間合いに入る前に全身穴だらけになっておるだろう。

 全軍で間合いを詰めてしまっては、常に罠を警戒しながら戦わねばならん。厄介な相手だ」


 孫九郎も真剣に考え始める。

 小谷城を攻める六角弓隊の威力は我が軍を圧しておった。突撃した先であれに待ち構えられたらと思うと、なかなか肝が冷える。


「わかりません。某には六角弾正殿はとてもそれほどのご器量とは思えませぬ」

「それが、既にあ奴の術中だと申している。

 あ奴は自ら手抜かりの多い頼りない男を演じておるのよ。あ奴を侮って戦に及べば、その裏で周到に用意された手練手管に翻弄される。ちょうど今のお主のようにな。

 そして、あ奴を侮れば侮るほどその策略に気づいた時には焦りが生じる。そうなっては、もはや取り返しがつかん。

 何よりも、六角は将兵の心を攻めてくる。これが最も厄介よ」

「……」


 ふふふ。孫九郎の顔がまた元の拗ねた顔に戻る。だが、あ奴はおそらくそういう男だ。

 敵として相まみえたなら……か。まっこと、どうやって戦えば良いかな……



「殿。小谷城より使者が参っております」


 馬廻りの者がやってきて膝を付く。やはり来たか。


「今どこにいる?」

「陣前で待たせてあります」

「わかった。会おう」


 立ち上がると、孫九郎も共に杯を置いて立ち上がった。


「このままでは儂は付城を作りに来ただけになってしまう。少しは儂も援軍らしいことをせぬとな」


 軽口を叩くと、ようやく孫九郎にも笑顔が戻った。

 さて、和議を世話してやるとするか。浅井にとっては事実上の降伏だがな……




 ・大永五年(1525年) 九月  近江国浅井郡 尊勝寺  六角定頼



 結局、浅井は降伏せずに城を落ちて美濃に逃げた。

 宗滴ジイサンが結構強めに言ってくれたみたいだけどな。浅井――というよりも京極高清が、どうしても六角オレに頭を下げたくないらしい。

 まあ、別に構わないんだけどね。武士ってやっぱプライドの高い人達だなぁ。


 宗滴ジイサンは和睦失敗を詫びて越前に帰って行った。これからも末永いお付き合いをってやつだな。俺もその方が望ましい。朝倉宗滴ラスボスと敵対なんて考えただけでも恐ろしい。


 とりあえず、伴庄衛門を呼んで今後の北近江の開発と物流の掌握を頼もう。なんだかんだ言っても、やはり経済は物流と金融を抑えた者が勝者になる。

 二~三年後にはまた浅井が再起するはずだが、その時にも六角のおかげで生活が豊かになったと思う民衆が北近江に居れば、随分と有利に戦を展開できるだろう。


「失礼いたします」


 お、庄衛門が来たな。


「よく来た。これをお主らに渡しておこう」

「これは……通行手形でございますか?」

「そうだ。京極六郎殿(京極高延)から発行してもらった、北近江の諸関の通行を免許するという手形だ。こちらはその特権の安堵状だ」

「ありがとうございます。これで、北近江の開発も進みます」

「出来るだけ急ぎでやってくれ。二年位で結果が欲しい」

「二年……」


 庄衛門が黙り込む。また無茶振りをと思っているんだろうが、こっちはこっちで事情があるんだ。


「とりあえず、やれるだけやってみます」

「頼む」


 期待しているよ。マジで。


 おっと、そう言えば若狭の武田から援軍依頼の文が届いていたな。


「そういえば、若狭の状況は今どうなっている?」

「……え?……若狭、ですか?」

「……え?……行ってないのか?」

「はあ……北近江の開発でとてもそれどころでは……」

「……え?」

「……え?」


 ええええええええええええええええ!!

 そう言えば、若狭方面に行けなんて一言も言ってなかった……




 ・大永五年(1525年) 九月  近江国蒲生郡 永源寺  六角定頼



「喝っ!」


 ペシッ



 再び反省の座禅会だ。

 あの後、伴庄衛門から聞き取って今度こそ絶望を感じた。


 この時期、本来なら保内商人は北近江には行っていなかったようだ。おそらく何も言わなければ北近江ではなく京や若狭へと進出するはずだったんだろう。

 しかし、俺が北近江が史実からズレないか監視させるために北近江を


 浅見が頑張れたのもそれが原因だ。保内衆は坂田郡に領地を持ち、比較的好意的だった浅見貞則によく食い込んでいた。

 そして、浅井亮政が浅見貞則を追い出すように画策した時には、浅見は保内衆から調達した米や軍馬などを国人衆にばら撒いた。要するに国人衆を買収したわけだ。

 といって、浅見にももちろんそれだけの銭を払う余力なんかない。全ては保内衆への借金ツケで賄った。

 関銭代わりの年貢銭をネコババしようとしたのも、元はと言えば保内衆への借金でがんじがらめになっていて、少しでも収入を増やそうという苦肉の策だったようだ。

 まあ、保内衆には北近江開発で充分な利益が出せるようになったら徳政でチャラにしてやるように言っておいた。

 国人衆の一揆に次ぐ一揆なんて冗談じゃない。そんな危険な領地のケツを拭くなんてゴメンだ。


 そして、今回の京極高延からの礼として得た関所の通行権は、北近江を石寺楽市の経済圏に組み込むことになる。

 今更北近江の開発をやめろなんて言えない。そんなことを言えば命の次に大事な諜報機関とケンカすることになってしまう。

 今まで必死になって開発してきた市場をみすみす他所の商人に呉れてやれなんて言って、反感を持たない商売人は居ないだろう。


 順調にいけば、北近江は石寺楽市との物流が無ければ民衆からそっぽを向かれる土地になる。つまり、北近江は史実以上に六角寄りの土地になってしまった。

 国人衆や守護がいくら反感を持とうと関係ない。肝心の民衆が六角と友好的に接することを望むんだ。それを無視しても、行きつく先は住民の逃散か惣村一揆だ。

 どちらにしても北近江は易々と六角に反旗を翻すことが出来ない土地になる。


 ここまではまだいい。史実よりもより有利になった部分だからだ。

 経済規模が拡大するのは、俺の近江支配が盤石になるという意味ではむしろ望ましい。



 だが、問題は若狭への街道だ。

 史実じゃあ、三年後には若狭への九里半街道の通行権を巡って保内商人と高島商人が裁判に及ぶはずだ。

 つまり、本来なら今頃保内商人は湖西地区から京・若狭・敦賀・丹波への商業権を巡って各地の商人と仁義なき戦いをしていないといけない。だが、干鰯で伊勢に手一杯にさせた挙句に北近江に出張らせたことで、湖西地区へ進出する余力が無くなった。

 そりゃあそうだ。人手は無限にあるわけじゃない。完全に俺の失敗だ。


 こっちの方はどうにもならん……かなぁ?


 史実よりも盤石になった部分ではなく、本来出来ているはずの所が出来ていないのは厳しい。

 俺は京や若狭のしっかりとした情報が手に入らない。


 若狭の武田からは『お味方有利で最後の止めに六角の援軍を』とか言って来たが、とても信じられるものじゃない。味方が有利なら、何故他国からの干渉を受けようとするのかという話だ。

 確実な情報が無ければ、軽々に軍事行動なんか起こせるわけがない。失敗したら負けるんだからな。


 今から少しづつでも若狭の街道へ進出してもらうように頼んだが、僅かな物流なら高島商人と裁判沙汰にまでなるわけがない。

 大規模に通商をやられて無視できなくなったから、高島商人も保内商人と戦う気になったんだろうし……


 そして、物流が僅かということは手に入る情報の精度もかなり低くなるということだ。

 見ず知らずの商人にそこまで突っ込んだ話をする奴は居ない。軍事用の物資を調達する必要があればこそ、国人衆も商人に打ち明け話をするんだ。

 ちょっとした生活物資だけの取引なら、最悪の場合は一切情報は取れないなんてこともあり得る。


 これは致命的か?

 やっぱマズいよなぁ……軍事行動で史実通りに拘るあまりに、経済活動で史実とかなり離れてしまった。


 この先の展開は正直読めない。

 京の西はそこまで史実を狂わせていないはずだから、まだ前世の知識でなんとかなるかもしれない。だが、こっから先の近江周辺の動向ははっきり言って読めない。

 何がどうなってどんな事件が起こるか、完全に未知数だ。


 くそ~折角の楽勝人生が……



 ……


 ……


 ええい!過ぎたことをグチグチ言っても仕方ない。

 やってやらぁ!六角定頼じゃない、俺の歴史を作ってやらぁ!


 くそっ……泣くな、俺。


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