第3話 私と貴族の暮らし

 「早く、早く逃げて……!」


 「そんな、私だけ逃げるなんて、出来ない……!」



 目の前には、闇に取り込まれそうになっている少女が涙を流している。



 「もう、無理………………だから……!」


 「無理じゃない! 何としてでも助けてみせる!」



 私はその少女に向けて手を伸ばす。しかしその手は空を切るだけだ。



 「気持ちは嬉しいよ……でも、もう…………」


 「諦めちゃダメ! だってまだ……!」


 「………………アリシアちゃん、今までありがとうね……」



 そう言って、少女の体は闇へと吸い込まれていく。



 「今まで、楽しかったよ……じゃあね……」


 「そんな……! ま、待って……!」



 既に目の前に少女の姿は無い。



 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




 「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」


 「!?」



 私は目を覚まし、勢いよく体を起こす。



 「はぁ……はぁ…………夢……?」



 何か、もの凄く嫌な夢を見ていた気がする。決して、心地の良い夢とは言えなかった。


 私は何故か涙を流していた。



 「お、お嬢様……? 大丈夫ですか……?」



 傍から聞こえた声の主はキャシーさんだった。


 キャシーさんは私を心配しており、ハンカチで私の涙を拭いてくれた。



 「あ、キャシーさん……いたんだね……」


 「ええまあ……お嬢様を起こそうと部屋に来たのですが、起こそうとした途端にお嬢様が叫びながらお目覚めになられたので……何か、嫌な夢でも見られたのですか?」


 「どうだろ……でも、そんな気はする……」



 にしてもあの夢、一体何だったのだろう。


 私の、というか水野爽の体質なのか、寝る度にいつも夢を見る。それは架空の話かもしれないし、“予知夢”かもしれない。


 “予知夢”というのは、読んで字のごとく「未来を予知する夢」である。私の場合、1ヶ月から1年先の未来の出来事が、夢として映し出されるのだ。


 しかも、私はその“予知夢”も頻繁に見る。まあ大抵は、なんて事はない日常の風景が映し出されるのだが……


 あの薄気味悪い夢が、“予知夢”でないことを祈ろう……



 「……気分転換でもされますか? お嬢様。」


 「気分転換? 何するの?」


 「下級魔法ですよ。昨日お嬢様が望まれていた下級魔法の中に、丁度良いものがございますので」


 「下級魔法……あっ!」



 そう言えばそんなことを言っていたんだった。



 「……これでお嬢様とのお約束は守りましたからね」



 キャシーさんはどこか不服そうだった。



 「……では行きます……『芳香風フレグランス・ウィンド』!」



 部屋のカーテンが舞う。まるで部屋の中にそよ風が吹いている感覚だった。



 「………………」


 「………………」



 お互いに沈黙が続く。部屋の中の何かが変わったようには見えない。



 「……あの、キャシーさん、何も起きてないみたいだけど……」


 「いえお嬢様、魔法は成功しております。お部屋の匂いを嗅いでみてください」


 「匂い……?」



 そう言われて私は部屋の匂いを嗅ぐ。



 (スンスン)



 気持ちが静まるような、不思議と落ち着く匂いがした。例えるなら、アロマセラピーのようなものだろう。



 「どうですかお嬢様。この『芳香風フレグランス・ウィンド』の匂いを嗅いで、少しは落ち着きましたか?」


 「うん落ち着いた……ありがとう、キャシーさん!」



 この『芳香風フレグランス・ウィンド』、日本で言うところの芳香剤とまんま変わらないよなあ。



 「それ程でもございませんよ。しかし、お嬢様がお元気になられたのなら、やったかいはありましたかね」



 キャシーさんは笑顔を見せている。照れているのだろうか。



 (ピコン)


 【魔法:『芳香風フレグランス・ウィンド』を習得しました】



 ん? 何だこれ。なんか、小さな通知みたいなものが突然目の前に現れた。手で払うと、それはどこかに消えた。


 なるほど、今のがネフティス様がサービスで付けた「ゲーム風の……」っていうやつか。


 どうやら今の通知のようなものは、私にしか見えていないらしい。まあそりゃあそうか。


 こうなると、この機能をもっと試してみたくもなった。



 「ねえキャシーさん、他にはどんなのがあるの?」


 「他ですか? もういいじゃないですか」


 「折角だし、ね?」


 「はあ……まあ見せるだけですし、立場的な問題はございませんよね」



 残念、私の場合は見ただけで覚えちゃうんだ。



 「では行きます。『微小炎リトル・ファイア』!」


 (ボッ)



 詠唱を終えると、キャシーさんの右の人差し指から小さな火が現れた。


 火の大きさから察するに、日本におけるマッチとかライターとかと同じ役割を果たすのだろう。



 「……わたくしが使えるのは、これだけでございます」


 (ふぅ)



 そう言いながらキャシーさんは、指に乗った?火を吹き消した。



 【魔法:『微小炎リトル・ファイア』を習得しました】



 おーいいね。こういうのは見てるだけでも楽しくなってくる。


 ただこれ、私視点で見ると、いきなりデータ?が現れて空中に浮かんでいるようにしか見えない。


 よく見ると、「詳細を確認する」って項目がある。とりあえず今は払わないで、後で確認してみよう。



 「見せてくれてありがとね、キャシーさん」


 「礼には及びませんよ。さあ、そろそろ朝食に行かれましょうか」


 「あ、もしかして私を起こしに来たのって……」


 「はい、そろそろ朝食のお時間だからでございます」


 「うんわかった。じゃあ行こっか」


 「かしこまりました。ではわたくしから離れないようにお願い致します」


 「はーい」



 ベッドを降り、キャシーさんに着いていく。向かっている先は食堂だろうか。


 その道中で、先程の『微小炎リトル・ファイア』の詳細を確認する。さっきのデータ?をタッチするだけで見る事ができた。


 そこにはこう書いてあった。



 「属性:炎。消費:ほぼ無い。とても小さな火を人差し指の上に作る。ダメージを与える程の威力と火力は無いため、主に小さめな可燃性の物を燃やす時に用いられる。ただし着火するのに時間はかかる。また、指を振ることで火を放ることもできる」



 なるほどなあ。と私は心の中で感心していた。とりあえずこれは用済みだから、もう払っておこう。でも、“消費”って何だろう?



 (スイッ)



 データ?を払った後の視界には何も残らなかった。


 この特典、面白いなあ。でもこれ、もしかして私が念じれば、いつでも呼び出せたり?


 気になった私はすぐに念じてみた。



 (習得スキル一覧を表示、っと……)



 すると案の定、私が今まで覚えたスキルや魔法の一覧が出てきた。『芳香風フレグランス・ウィンド』や『微小炎リトル・ファイア』の他に、『整髪の極意』というのもある。


 私はこれに身に覚えが無かったので、その『整髪の極意』の詳細を確認する。


 どうやらこれは、昨日キャシーさんが私にしていた髪洗いと髪とかしの技術を一つにして、更にちょっと強力にしたものらしい。


 にしても、新スキルが毎回通知として表示されるのなら、何故これだけ出なかったのだろうか。


 ……知らない内に私が払っていた? その可能性は無いわけではない。


 と言うのも、私は勢いよく目を覚ました。その時の腕の動きが払ったような動作をしていたのならば、見れなかったというのも合点はいく。


 一覧表を払う。と同時に、気になっていた事を早速試す。



 「(ボソッ)……『微小炎リトル・ファイア』……!」



 キャシーさんに聞こえない声で詠唱をする。


 するとキャシーさんと同じように、右の人差し指から小さな火が現れる。



 「おお……」



 現れた火を見て、一般人だった自分でも魔法が使えたことに静かに驚き、感銘を受ける。


 で、確か指を振ると火を放ることができるんだっけ。


 私は、自分の左手のひらに向けて、右人差し指を小さく振ってみた。


 すると指に乗っていた?火は左手のひら目掛けて飛んでいき、手のひらに当たった途端そのまま消えてしまった。


 左手に熱さは感じない。これを見た私は、再び静かに感銘を受けた。


 消費がほぼ無い、というのも理解した。この程度であれば、無限に打てそうな気がする。




 そうこうしている内に、私たちはこの屋敷の食堂に到着した。中を見ると、予想通り広かった。


 そう言えば私、昨日夜ご飯を食べずに寝ちゃったのか。まあいっか。


 キャシーさんに案内され、私はお父さんたちのいるテーブルに座らされた。既に二人とも待っていたようだ。



 「待ってたぞ、アリシア」



 いや、多分2人が早いだけだと思うけど。



 「只今お料理をお持ちしてきますので、少々お待ちください」



 そう言ってキャシーさんはどこかへと向かっていった。


 辺りを見回すと、キャシーさん以外のメイドや執事も食堂に集まっていた。


 まあこれだけ広い屋敷をたった一人で掃除なりするっていうのは、さすがに骨が折れるよな、とは思っていたが。


 そのメイドや執事たちは皆、私の姿を見て密かに囁き合っている。


 無理も無いだろう。2年間ずっと寝たきりだったお嬢様が目覚めて、こうしてここにいるんだから。


 キャシーさんは私に人並み以上の愛を注いでいたようだが、他の人たちはどうなのだろうか。


 ……アリシアっていう子が凄く嫌味な子とかだったら嫌だなあ……


 そんな事を考えていると、キャシーさんが私たちの分の料理を運んできた。そのまま手際良く、料理をテーブルに並べていく。


 料理を並べ終えた彼女は、軽く会釈をして立ち去ろうとした。



 「あれ? キャシーさんは一緒に食べないの?」


 「わたくしたち侍女や召使いは、それぞれ決まった場所で食べるよう言われているのです」


 「え? でも……」



 私たちが今いるテーブルは4人席なのだが、ここには私とお父さんとお母さんの3人しかいないため1席余分に空いている。



 「ここ、席空いてるよ?」


 「そちらはハクア様の席でございますから、わたくしのような侍女が座るわけにはいかないのです」



 ハクア様? 誰のことだろう。


 そっとお父さんの方を見つめる。



 「……ハクアって、誰?」


 「お前の兄さんだよ。それも忘れてしまったのか」


 「私の、お兄さん……?」



 アリシアにはお兄さんがいたのか。知らなかった。


 私、というか水野爽は元々一人っ子だったため、兄弟がどんなものなのかを今まで知ることが無かった。


 でもお兄さんがいるのなら、もしかしたらその感じを知れるかもしれない。


 私はドキドキして、更に質問をした。



 「その、私のお兄さんは、今どこにいるの?」


 「旅に出かけているんだ。お前の兄さん、ハクアはSランクの冒険者だからな」


 「Sランク……」



 まさか身内にSランクの冒険者がいたとは。



 「一応お前が目覚めたことを、あいつにも伝えたんだがな。帰ってくるかどうかはわからん。何分あいつは忙しいみたいだからな」


 「でも、しばらく帰ってこないんでしょ?」


 「まあ、そうだな。あと1時間とかで帰ってくることは無いだろうが……」


 「なら、キャシーさんもここに座っていいんじゃないかな? 私、キャシーさんともっと話してみたいし」


 「ふむ……アリシアが良いのであれば、私は構わんが」


 「ええ、私も構わないわよ」


 「ほら、お父さんたちからの許可も貰った事だし、座っていいんじゃないかな」


 「……よろしいのですか? それでは、お言葉に甘えさせていただきますね」



 そう言って彼女は自分の席から料理を持ってきた。


 別に彼女と話すような話題があったわけではないが、まだ(個人的に)面識が無い2人と話すのは少し気まづかった。



 「よし着いたな。では、頂くとするか」


 「「「いただきます」」」



 手を合わせ、食べようとするが、ここである重大な事に気がつく。



 「………………」


 「おや? アリシア、まだ何も食べていないじゃないか」


 「もしかして、まだ食べる気力が無いかしら?」


 「……食べ方が、わからない……」



 そうなのだ。元々普通の庶民を過ごしてきた私が、お貴族様の食事マナーなんて触れる機会すら無かったのだ。



 「そうか忘れてしまったのか。ならば仕方あるまい。いいか? まずはな……」



 この状況を見かねたお父さんが、食事のマナーについて手取り足取り教えてくれた。


 貴族というのは、生活する上で考えるのなら何一つ不自由はしないだろうが、その分マナーや礼儀作法を学ばねばならない。


 うーん。貴族も中々に難儀なものだなあ。


 食事マナーを学び、早速料理を口に運ぶ。



 「どうだ、アリシア。美味しいか?」


 「うん、美味しいよ」


 「そうか。………………お前は色々忘れているようだが、記憶なんて、ゆっくり取り戻していけばいいさ」


 「……うん」



 なお取り戻す事は永久に無い模様。


 そう言えば貴族のお嬢様って、普段どんな事をして過ごしているのだろうか。


 そんな事を考えながら食べていると、あっという間に器は全て空になった。



 「ご馳走様でしt……」


 「「「美味しく頂きました」」」


 「あ、え、えっと……美味しく、頂きました……?」



 この世界では「いただきます」は同じなのに、「ご馳走様でした」は違うのか。これは早い内に慣れる必要がありそうだ。


 全員が食べ終わると、キャシーさんは手際良く食器を片付けていった。


 他のメイドたちも、それぞれが食器の片付けをしている。


 彼女の片付けをじっと見ている時に、不意にお父さんが私に話し始めた。



 「なあアリシア、お前に話がある。私の部屋まで来てくれないか」



 来てくれ、と言われても場所がわからないんだよなあ。



 「……私、お部屋の場所憶えてないよ……?」


 「ああそうだったな。じゃあ私に着いてきてくれ」



 そうして私たち3人は、食堂を後にしてお父さんの自室へと向かった。




 お父さんの自室に着いた時、まず驚かされたのが書物の圧倒的な数だった。


 それはもはや書庫と言っても過言ではないぐらいに、壁一面に本が並んでいた。



 「ここが私の部屋だ。さあ、そこに座ってくれ」



 そうして指を向けられた先には、小さなソファがあった。


 私は言われるがままに、そのソファにゆっくりと腰をかける。


 お嬢様なんだから、ちゃんと行儀良く座らなきゃね。そう思いながら、足と手の位置を調整する。


 お父さんも向かいのソファに座り、お母さんもその横に座る。私と、親2人が面と向かい合っている形だ。



 「それで話って?」



 私が口を開く。一体何の事で呼び出されたのだろうか。



 「……あれから2人で話し合ったんだ。記憶を無くした我が娘とどう向き合っていくかを。私たちの思い出は時間を掛けてゆっくり思い出していけばいい。ただ、魔法を始めとする教養は、私たちだけでは全て補完できない。だから……」


 (……ゴクリ)


 「……お前を、王国にある冒険者養成学校、『アルタイル学園魔法教養科』に入れることにした」


 「………………えっ?」


 「驚くのも無理は無いだろう。何せお前を今まで学校に行かせたことが無かったからな」



 いやいや、そこにもビックリしたけど、問題はそこじゃない。


 冒険者養成学校だって? しかも、“魔法教養科”と来た。これは沢山の魔法を学べるチャンス! だけど……


 はたして魔法だけで、この世界やっていけるのだろうか。まあ……無理なんだろうな。



 「……剣術科とか、無いの?」


 「確かに『体術剣術科』はある。だがお前にはあまりにも危険すぎるし、魔法の方がお前は強い」



 そういう問題じゃない! と声を大にして叫びたい衝動をグッとこらえる。



 「でも、その辺を覚えておかないと、いざっていう時に自分の身を守れないよ……?」


 「最低限の剣術は私が教えるし、体術も執事長に教えてもらおう。彼の体術は一級品だからな」


 「は、はあ……」


 「ともかく、もう既に【魔法教養科への編入学手続きを済ませている】からな」


 「………………え」


 「そして3日後、お前を学校に連れていく。それまでに必要な物は私たちが用意しといてやるから、ちゃんと準備するんだぞ」



 ……いくらなんでも展開が早すぎやしないだろうか。しかも私はまだろくに経験値を積んでいない。


 このままでは私は、「最強の女勇者」どころか、ただの「貴族のお嬢様」で終わってしまう。


 この状況、何とかしなければ!



 「じゃ、じゃあその3日間の間に、お父さんたちから色々と教えて欲しいなあ………………なんて……」



 内心かなり焦っているのはもはや言うまでもない。



 「ん? ああそうだな。確かに3日間何もしないままというわけにはいかんな。それなら、今すぐにでも教えてやれるぞ?」


 「えっ、いいの?」


 「ああ、もちろんだとも」



 ふう。とりあえず、これで経験値ゼロよりかはマシになるはずだ。



 「……ねえアリシア、これを見てくれるかしら?」


 「え?」



 しばらく静かだったお母さんが、ここに来て初めて言葉を発した。


 それに自分の目の前で手を合わせている。



 「……『浄水生成クリエイト・ウォーター』!」



 お母さんが発したのは、聞き覚えのあるあの魔法。


 彼女が詠唱すると、合わせていた手の間から水が湧き出してきた。しかしそれが滴ることは無く、むしろ手の間で留まっている。



 「わあっ……!」


 「そしてそのまま……『飛沫スプラッシュ』!」


 (パアン!)


 (キラキラキラ……)



 『飛沫スプラッシュ』を唱えると、手の間にあった水は破裂し、一瞬で水の粒となった。


 その水の粒が部屋の光で反射しており、また虹をも作っている。



 「おお……!」



 初めて水魔法を目の当たりにしたので、その美しさにかなり感動した。



 「『浄水生成クリエイト・ウォーター』は、その場で水を作り出す魔法。『飛沫スプラッシュ』は、水に負荷を掛けて破裂させる魔法。もっと力を強くすれば、この『飛沫スプラッシュ』も攻撃に使う事が出来るのよ」


 「へえー……」



 相槌を打つ。目の前で魔法を見た、ということはつまり……



 【魔法:『浄水生成クリエイト・ウォーター』を習得しました】


 【スキル:『飛沫スプラッシュ』を習得しました】



 ほらやっぱり、こうなるよね。


 私は不自然にならないように、小さくそれらを払う。


 あ、それと、特筆すべき点がある場合を除いて、今後一切はこの通知を払う動作について記すことは無いので悪しからず。



 「で、やり方はね……」


 「あ、待って。やり方、思い出したかも」



 それとない演技で、教わることを回避する。多分だけど、これ長くなるやつだし。



 「本当に? それは良かったわ……! なら、試しにやってみてちょうだい」


 「えっ、でも、ここでやったら本が濡れちゃうよ……?」


 「じゃあ外でやりましょう! あなたも、外で剣術を教えるわよね?」


 「ああ、そのつもりさ。そうと決まれば、早速外に出ようか」



 そうして、私たちは共に屋敷の外へと向かった。




 屋敷の外、と言っても実際は敷地内にある広大な庭の一角に出ただけだが、この世界の空気はどこか日本とは違うような気がした。


 外は暑くもなく、寒くもない丁度いい気候なようで、緑の生い茂り方が日本で言うところの初夏に近かった。



 「さあアリシア、やってみてちょうだい」



 言われるがままに手を合わせ、「水よ出ろ」と念じてみる。


 すると以前やった時とは違い、合わせた手の間から水が湧き出てきた。表面張力で耐えているのか、水が滴るような様子は無い。


 その調子のまま、今度は「水よ破裂しろ」と念じる。



 (パァン)



 手の中の水が私の意思を汲み取ったのか、水はどんどん膨らんでいき、そして破裂した。


 さっきから見てもわかる通り、どうやら詠唱しなくても強く念じれば使うことはできるらしい。


 しかしその分集中力が必要になるが。



 「……こう、かな?」


 「そう! その調子よ! さすがね」



 初めて成功した魔法を褒められて嫌な気分はしない。


 しかし、貴族の婦人であれば、もっと教養に長けているのでは? と直感で感じた。


 なら、他にも魔法はあるはずだ。



 「ねえ、他にどんな水魔法があるの?」


 「他に? そうね……『浄水生成クリエイト・ウォーター』から『凍結フリーズ』して、『氷柱アイシクル・フォール』かしら」


 「えっ……? と、とりあえず全部見たいなあ……」


 「わかったわ。まずは普通に『浄水生成クリエイト・ウォーター』。そして『凍結フリーズ』」


 (ピキピキピキ)



 『浄水生成クリエイト・ウォーター』で作った水が、どんどん氷になっていく。



 「この状態は、水のようで氷でもあり、氷のようで水でもあるのよ。言ってる意味わかるかしら?」


 「ごめん、よくわかんないかも……」


 「じゃあよく見ててちょうだいね? こうやって……こうして……」


 (スイーッ)



 お母さんの手の中にある氷は、まるで液体を操っているかのように動いている。



 「これは『水操作』の原理で動かしているの。でも、アリシアにはまだ難しいかしら」



 見るだけだし、別に難しいとは思ってない。が、本人のプライドを守るために、あえてここはとぼけることにする。



 「うん………難しい」


 「まあこれはゆっくり覚えましょ。そしてここから……『氷柱アイシクル・フォール』!」



 手の中にあった氷が一斉に形を変え、やがてそれらは全て鋭利な塊になった。


 それから刃先を前に向け、いかにも「氷柱つらら」という感じの氷塊は、そのまま前方目掛けて射出されていった。



 「……どうかしら?私の適正は水じゃないから、魔法としては弱いかもしれないけれど……」



 明らかに凄すぎる魔法を見たからか、出てくる感想はどれも語彙力を失っていた。



 「す、凄いよお母さん! 上手く言えないけど、お母さんの魔法凄い! 私、頑張ってお母さんの魔法覚えるね!」


 「……! その意気よ! 頑張ってね!」



 ……まあ、もう既に覚えてるんだけどね。



 【魔法:『凍結フリーズ』を習得しました】


 【スキル:『水操作』を習得しました】


 【魔法:『氷柱アイシクル・フォール』を習得しました】



 ひとまずこれで、『浄水龍ウォーター・ドラゴン』を作るために必要な基礎は習得したわけだ。


 ……もしかしたら、『氷晶龍アイス・ドラゴン』なんてのも作れなくは無いのかもしれないけど。



 「よし、次は私だな。アリシア、この剣を手にしてくれ」



 そう言われてお父さんから手渡されたのは、少女でも扱えるように軽く、そしてやや短く作られている剣だった。


 男のロマンと言えば、「剣・合体ロボ・属性魔法」の三つだろう。今ここに、その内の一つを手にしていることに、とても高揚感を覚えた。


 しかし、私は剣道やフェンシングなんて勿論した事は無い。闇雲に振り回すわけにはいかないのは重々承知である。



 「これ、どうやって持つの? どうやって振るの?」


 「ああ、それはだな……」



 持ち方はこう、振り方はこう、とそれぞれを念入りに教えてくれた。また、剣を持ちながらの移動の仕方についても教えてくれた。



 「……立ち回りは最低限こんなもんだろう。じゃあ早速だが、少しやいばを交えるか」


 「う、うん……」



 いざ刃を交えるとなると、やはり緊張してくる。



 「なあに、気にする事はない。アリシアの思うように好きに振るといい。私は全て受け止めてやるから」


 「わ、わかった……」



 そう言って一歩踏み出し、剣を振り下ろす。



 (キィン)


 (カァン)


 (キィン)



 何度振っても、全て受け止められてしまう。



 「はっはっは! その調子でもっと振ってみろ!」



 フェイントを織り交ぜたり、振るスピードを変えたりしても、まるで動きが読まれているかのように弾かれ続ける。


 振り続けていた私は、遂に息が切れてしまう。



 「はぁ……はぁ……」


 「私はこれでも剣の達人だからな。剣を覚えたての奴に負けるわけにはいかないんだよ」


 「くぅっ……!」



 少し腹がたってきたが、その剣術の凄さゆえに何も言い返せない。



 「よし、次は私から振ろう。ゆっくり振ってやるから、安心してくれ。それとももう休むか?」


 「いや、まだやる!」



 剣の達人から技をコピーする絶好の機会なのだ。逃すわけにはいかない。



 「さてアリシア、お前はどこまで耐えられるかな?」



 お父さんの剣が振り下ろされる。



 (キィン)


 (カァン)


 (キィン)



 この時点で、剣の一撃一撃は重く、そして素早い。



 「こんなのはまだ序の口だ。私の剣はこんなものじゃないぞ?」



 わずかに剣のスピードが上がる。私はそれに追いつくので精一杯だ。



 「く、くぅぅ…………!」



 耐えるのに精一杯だった私も、遂に限界を迎える。



 (カァァン!!)


 (クルクルクル……)


 (ドサッ)



 私の持っていた剣が斬り上げられ、勢いよく回転しながら飛ばされてしまった。


 私はただただ、その光景を呆然と見ることしかできなかった。


 まさしく、「手も足も出ない」とはこのことを言うのだろう。



 「……まあ初めてだしな! むしろ初めてにしてはよくできてたぞ!」


 「……あ、ありがとう……?」



 私の体は、既に疲れによって悲鳴をあげていた。しかもまだ正午を回る前だから、余計に暑かった。


 しかしありがたいことに、(例え稽古であっても)実戦をした事によってちゃんと経験値が入っていたようだ。


 この三日間を有効に使う事ができれば、かなりの経験値アップが期待できるだろう。


 まあ実際は怪物モンスターと戦って経験値を稼ぐのだろうが。



 「今日の剣術はここまでにしとくか」


 「ねえお父さん、お父さんってどんなスキルを持ってるの? 私、見てみたいな」



 私はスキルをコピーしたいが為に、自然な流れでスキル使用までの誘導をした。



 「いや、残念だがさすがにそれは教えられない。剣士たるもの、いかなる相手にも手の内を晒してはいけないからな」


 「んん、そっか……」



 ちっ、もう少しだったのに。技を見ることができなくて残念。


 まあでも、よくよく考えれば一理はある。剣士としての戦い方や癖が相手に知られてしまえば、それだけで自分が不利になる可能性が高いからだ。



 「……さっきみたいに、剣を失った時の体術も知っておいて損は無いだろう。今、ヘンリーを呼んでこよう」



 ヘンリーというのが、例の体術を得意としている執事長の名前かな?



 「アリシアは、ここで待っていてくれ。今彼を呼んでこよう」



 そう言ってお父さんたちは屋敷の中へと戻っていった。


 待たされている間、私はさっき落とされた剣を拾い、動きの確認をしていた。


 いくらまだお父さんが本気を出していないと言えど、剣の扱いは既に体が覚えていた。


 初めて剣を触った時と比べると、明らかに上達したのが自分でも感じ取ることができた。


 私は思い思いに剣を振る。空気を裂く音が、わずかに聞こえる。




 そうしている内に、お父さんたちと入れ違いざまに執事長のヘンリーがやってきた。私はその辺に剣を置く。


 見た目は老齢だが貫禄があり、騎士団にいてもおかしく無さそうな風貌である。



 「アリシア様、まずはアリシアお嬢様がお目覚めになられたことを、とても喜ばしく思います」



 そうは言っているが、とても喜んでいるようには見えない。



 「旦那様からのおことづけにより、お嬢様に体術をお教えに参上致しました」


 「あ、はい」


 「旦那様からは、『最低限アリシア自身が身を守れるだけの体術を教えてやってくれ』とのことですので、わたくしはこれより体術の基礎をお教えしたいと考えております」


 「………………」



 キャシーさんよりも堅苦しく、それでいて荘厳な顔つきであるため、私自身何を言っていいのかわからなかった。



 「ひとえに体術と言っても、武術・闘術・護身術・身体操術・器術等がございますが、“最低限身を守れるだけの”とのことですので、これからアリシア様には護身術を……」


 「あの! 一ついいですか!」


 「……はい、何でしょう」


 「もっと楽に話してほしいです! その状態で教わっても、多分私は何も覚えられないと思います!」


 「………………」



 私は意を決して、心に秘めていた事を口に出した。


 こんなロボットみたいな人から体術を教わったところで、ただの作業にしかなりかねないと思うのは明白だった。


 それでも覚えることはまあ可能なんだろうけど。



 「………………」


 「………………あ、あの……もしかして私、怒らせてしまいましたか……?」


 沈黙は続く。この沈黙の時間が、今まで以上に怖い。


 「………………フフフ、アーッハッハッハッハァーッ!」


 「!?」



 突然高笑いが鳴り響く。



 「いやはや、怖い思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。これからは心掛けて参りましょう」



 ビックリした……見た目はいかにも怖い感じだけど、話せばわかる人だったのか。


 どうやらヘンリーさんは、今までもアリシアとまともに話したことは無かったようで、今回そのアリシアに体術を教えることになったと知って極度に緊張していたらしい。



 「わたくしはこの見た目のものですから、周りからよくこう言われるのですよ。機械みたいだ、感情が無い、話すのが怖い、と……」



 まあ見ればわかるよ。なんとなくそんな感じだし。



 「そんな私に対して、物怖じせず面と向かって本音を言われたお方は貴女が初めてです」



 そうかな? 普通に物怖じしてた気がするけどね、私。



 「そう言えば、アリシア様は記憶がございませんでしたね。この際ですので、お互いに自己紹介をいたしませんか?」


 「あ、はい、わかりました。えっと……先、どちらからします?」


 「ではわたくしから参りましょうか。ご存知かもしれませんが、わたくしはヘンリー、クーゲルバウム家の執事総監督兼執事代表をさせていただいている者でございます」



 執事長をそんな複雑に言う人、初めて見た。



 「ここにお仕えする前のわたくしは、特に体術を極めたSランク冒険者でございました。ですが、歳で退役したところをここの旦那様に拾っていただいたのです」



 あら、ここにもSランク冒険者がいたのか。まあこの人の場合は、“元”なんだろうけど。



 「……わたくしめの紹介はこんなところでございましょうか。次は、アリシア様が自己紹介をされる番でございます」



 自己紹介、と言っても私の場合話せるだけの内容が殆ど無いからなあ。



 「えっと、アリシア・クーゲルバウムです。2月17日生まれ、10歳です。それしか憶えていません。あ、あと私は水魔法が得意らしいです」


 「……失礼を承知でお聞きしますが、今ので終わりなのでしょうか」


 「はい、今ので終わりです。と言うより、何も憶えていないので、自己紹介をしようにもできないんです」



 これは半分本当で、半分は嘘。



 「なるほど……では、お互いの自己紹介も済んだ事ですし、当初の目的を思い出さねばなりませんね」



 当初の目的……勿論覚えている。



 「確か、体術を教えてくださるんでしたっけ」


 「はい、その中でも御自身の身体を守られるのに適した、護身術をお教えするつもりでございますがいかがでしょうか」


 「そうですね……できれば、他の体術も教えて欲しいのですが」



 そうすれば私の経験値もより上がることだろうし。



 「わたくしは一向に構わないのですが、その場合旦那様にお許しを頂かなければなりません」



 こっちは教えること自体は満更でもないのか。ならゴリ押しでどうにかなりそうだ。



 「お父さんはきっと止めると思います。だから、内緒で私に教える、というのはどうでしょうか」


 「ふむ……アリシア様がお望みになられるのであれば、また後日お教え致しましょう」


 「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いします」



 こうして、二人はぎこちないながらもお互いに距離を詰めていった。


 勿論この後ヘンリーさんからきっちり体術を教わってもらい、経験値を獲得した。


 ただ、はっきり言って彼の稽古はお父さんのよりも大分辛く厳しいものだった。


 稽古が終わった頃には正午を回っており、私は疲れて仰向けに倒れていた。



 「はぁ……はぁ……はぁ………………もう、無理………………」


 「お疲れのようでございますね。今日はここまでになさいますか?」


 (……コクッ)



 私は頷くだけで精一杯だった。



 「お身体を動かせないご様子。そろそろ昼食のお時間が近いですし、わたくしが食堂までお送り致しましょう」



 そう言ってヘンリーさんは横たわっている少女の体を持ち上げ、そのままおんぶへと繋げた。


 普通持ち上げた状態からおんぶに移行するなんて、相当な腕力を持っていなければできない。


 元Sランク冒険者の名は伊達ではないな、ということを感じた瞬間であった。


 まあ単にアリシアが軽いだけかもしれないけど。


 その後は特に目立った出来事は無く、ただただ時間が過ぎていった。


 ただただ昼食をキャシーさんたちと食べ、ただただお父さんと剣術稽古をして、ただただ稽古後の暇な時間を屋敷の探検で費やしていた。




 その日の夜、既に夕食を食べ終えて昨日のように風呂に入っていた時の事。



 「………………ふう」



 お風呂の湯が、じっくりと体に効いてくる。


 その中で私は、今日手に入れたスキルを見直していた。



 「……この『水操作』って、風呂の水も操れたりすんのかな」



 そう思い、両手を突き出して念じる。


 水を操る感覚、というものをまだ掴んでいなかったが、そこは持ち前のアニメ知識でどうにかしよう。


 手先に神経を集中する。正確に言えば、手の先にある水に向けて神経を集める。


 そこから思い切って右手を上げる。すると驚くことに、ほぼ同時に手の先にあった水が勢いよく水柱を立てたのだ。



 「おおおぉっ……!」



 今の1回で、水を操る感覚というのを掴んだ気がする。それから私は、気が済むまで『水操作』で遊んでいた。


 『浄水龍ウォーター・ドラゴン』を作る上でのヒントは得た。あとは……水の勢いだけ、かな。


 そんなことを考えていると、ふとこんなことを思いついた。



 「もしかしてこれ……」



 まず、ここにある風呂の水(もしくは『浄水生成クリエイト・ウォーター』で生み出した水)を『水操作』で手のひら大の球にする。


 それを思いっきり投げる!


 加えて、着弾する瞬間に『飛沫スプラッシュ』を発動!



 (パァァァァン!)



 投げたそれは壁に当たった途端派手に爆散した。



 「ああやっぱり思った通りだ。『水操作』と『飛沫スプラッシュ』を見た時から、こういうのができるんじゃないかって思ってたんだよなあ」



 これはもしかすると、新しい魔法を開発したのでは?


 通知が現れない、ということはつまりそういうことなのだろう。



 「よし、これの名前は『水風船』にしよう! まあ見たまんまの名前だけど、複雑な名前よりかはいいでしょ」


 【魔法:『水風船』を獲得・・しました】



 あ、出てきた。なるほど名前を決めた途端に出現するのか。しかもウィンドウの文字が“習得”ではなく“獲得”になっている。



 「うーん……。あとはこの、『凍結フリーズ』とか『氷柱アイシクル・フォール』を上手く使いこなしたいけど……」



 氷系の魔法も新しく開発したいけど、中々アイディアが出てこない。



 「いいや。後のことは寝ている俺に託そう!」



 寝ている間であれば、夢なり特典なりからアイディアを得られそうな気がするし。


 それにしても、今日は色々な事があった。


 魔法が使えるようになったり、経験値が上がった感じがしたり、ようやく異世界に来たということを実感してきた日だった。



 「………………にしても疲れたな……早くあがって寝よう……」



 こうしている合間にも、異世界の夜は深まっていくのだった。



 「………………明日もまた稽古かあ………………はぁ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る