一人称と三人称

「醤油とって」

「はい」

「ありがとう」


 冒頭にある会話文を本章における例文の基本形とすることとします。

 これに地の文を加えたり、口調変えをすることによって表現の違いを表していこうと思います。

 理由としては事あるごとに違った例文をだしていると読者の方も混乱するでしょうし、無駄にながい文章になりそうだと予想したからにあります。内容には特に意味ありません。



 今回は一人称表現と三人称表現について語っていこうと思います。 

 一人称と三人称がどういったものであるかは、よく語られていることでありますので、想像はつきやすいことと思います。なので今回は実際に使用した際の、私の感想・考察といった趣旨で話を進めていきます。

 まずは例文の精査から始ましょう。

 登場人物が二人いるということは分かると思いますが、どちらが主人公であり、5w1h(いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように)が分からないと思います。よって適宜情報を付け加えながら例文に手を加えてみましょう。


・一人称


 夕食の時間。僕はダイニングテーブルを挟んで彼女と対面している。

 ふと手元に醤油が無いことに気づいた。よって彼女に声をかける。


「醤油とって」

「はい」

「ありがとう」


 彼女の無感動な造作に、僕は礼を言った。



・三人称


 夕食の時間。男女が二人、ダイニングテーブルを挟んで対面している。

 ふと男性の方が手元に醤油が無いことに気づいた。それなので男性は女性に声をかける。


「醤油とって」

「はい」

「ありがとう」


 女性の無感動な造作に、男性は礼を言った。



 はっきり言って何も変わらないように感じます。

 かろうじて一人称の方が、とりあえずは語り部は「僕」なのだなと分かるくらいでしょうか。三人称の方は語り部が無為の第三者であるために、この二人が物語の主要人物であるかも判断がつきません。

 ちなみに上記の例文をはわざと冗長に書いております。どうやら淡々と情報を並べるだけでは一人称と三人称の間に、大きな違いは見られないようです。

 では続いては、一人称と三人称、それぞれの特徴や強みを意識して大幅に例文を改変してみることとします。



・一人称


 気まずい。

 夕食の時間、大好物を前にして僕は途方にくれていた。原因はテーブルを挟んだ向こうにある。彼女が黙然と座っている。いや、別に彼女が悪いと非難しているわけではない。不慣れな関係である僕たちは、ただ互いの適切な立ち振る舞いというものを、見失っているだけなのだ。

 しかし、このままでは夕餉が砂の味のままである。

 何とか現状を打破しようと、会話のとっかかりを探していると、ふと手元に醤油が無いことに気づいた。

 ――よし。


「醤油とって」

「はい」

「ありがとう」


 彼女の無感動な造作に、僕は礼を言う。

 意気込んで話しかけてみたものの、どうやら企みは失敗に終わったようだ。


 

・三人称


 ダイニングテーブルを置いたその一画は、居た堪れない沈黙によって支配されていた。

 夕食の時間。男女が対面して食事をとっている。だが、その間には一切のコミュニケーションは存在しない。まるで混みあった飲食店にて相席するさまである。団欒という言葉から程遠い光景であった。

 男性はキョロキョロと辺りをうかがい落ち着きがない。まるで食事中の猿山の猿だ。対して女性の方は緊張からかジッと夕餉から視線を離さない。カチコチとぎこちなく動くさまは、食事の動作をとるからくり人形のようであった。

 そんな時間が幾許か過ぎたころであろうか。

 男性が思いたったかのように、唐突に言葉をきりだした。


「醤油とって」

「はい」

「ありがとう」


 女性の無感動な造作に、男性は礼を言った。

 落胆するような気配の男性と、思いかけずホッと息を吐く女性。

 無意義で不毛な沈黙は、まだまだ続いていくようであった。



 如何でしょうか?

 なんとか言いたいことが伝わってくれるといいのですが。

 では、解説していきたいと思います。


 一人称においては、ただひたすらに「僕」の心情・動作を描写しております。これは一人称表現における最大の強みであり特徴です。語り部たる「僕」が何を思い、どのように感じたかを伝えることによって、読者に感情移入してもらいやすいです。逆に言えば、「語り部」の考えがあまりにも異端であり、共感できなければスッと読者の気持ちが離れていきますので、注意が必要ですね。

 そしてもう一つ。注意が必要であるのが、相手側である「彼女」の描写がしにくいという点です。

 できないことはありません。

 しようと思えば、できないことではないのですが。

 その場合、語り部は相手の様子を理解しているということになります。

 上記の例で言うと、「どうやら彼女の方も緊張して会話できないようだ」と付け加えることになります。つまりは「周囲の状況が見えないほどにアタフタしている僕」から「彼女が緊張しているようなので何とか会話をしようとアタフタする僕」と、ちょっと余裕のある心情になってしまいます。

 些細なことです。

 しかし長編などを書いていると、こういう些細なことに整合性を求めていき、大幅にプロット改変して最終的には違う話になりました。というのは私のことです。

 特に世界観や作品の設定などを造りこんでいる作品においては、一人称は敬遠した方がよろしいかもしれません。

 語り部たる主人公が、世界観や設定を理解して語ってくれないといけませんからね。ちょっと全知全能感が漂う主人公になってしまうでしょう。それを避けたければ、他の登場人物に台詞として語ってもらうか、キャラクター役割として「狂言回し」を用意することが必要でしょう。


 続いて三人称について。こちらは一人称における注意点が解決されます。語り部は無為の第三者であるので登場人物の誰の様子をとっても描写しやすいです。唐突に「説明しよう」という、お前誰だよと問いかけたくなるモノローグも入れ放題です。

 ただそれ故に問題点もあります。あれもこれも書けるものですから読者に対する情報量が単純に増えます。なにが大事なことであるのかをしっかり見極めてから描写していかないと「結局この物語は何がテーマの話だったんだ?」となりかねません。

 そして最大の注意点としましては、「話の主体が誰にある」のかが分かりにくいことにあります。上記の三人称の例文のみを注視してもらえれば理解してもらえると思うのですが、どちらが主人公であるかは分かりません。もしかしたら、まだ見ぬ他の登場人物が主人公であるかもしれませんし、主人公なんていない群像劇である可能性も否定できません。そこをしっかりしておかないと、主人公よりも脇役や敵役の方が強烈な存在感を放つ作品が出来上がりやすいです。最初からのねらいであれば良いのですが結果的にそうなってしまうとなると、私は悔しいです。

 それを避けるための対応策としましては、語り部を「無為の第三者」ではなく「作為の第三者」にするという手があります。ひたすら主人公格に対しての描写が詳しい語り部です。わりと多く見られる手法のような気がします。


 長々と語りすぎた感がありますので最後に簡潔にまとめておこうと思います。


・一人称においては、主人公に感情移入しやすく、そして主人公周り以外のことは描写が難しい。

・三人称においては、どんな事柄においても描写がしやすいが、話の主体がどこにあるのかが曖昧になりやすい。


 ということが私の考えであります。

 たった四行で表すことができる事柄を云々と語りすぎたようです。要反省です。


 では次回は「地の文と会話文」について語ろうと思います。

 と言いますか、一人称と三人称について語る前にそちらの話をするべきでした。おそらく今回の5w1hあたりのくだりと重複する可能性がありますがご了承ください。

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