好きな表現の仕方について
表現の仕方に優劣なし
言葉というものには普遍性はありません。
時代によっては同じ単語でも意味合いは変わってしまうこともありますし、人によっては受け取り方が異なる場合もあります。言葉として存在しない概念だって多くあります。今でこそ多くの人が知っている「LOVE」という言葉ですが、かつて日本人がその概念を持ち合わせていなかったことは有名です。だからこそ「月が綺麗ですね」という逸話だってあるのです。
ゆえに森羅万象を言葉だけで表現しなければならないというのは、無理があるのでしょう。しかし物語をかくためにはそれを為さねばなりません、小説というものは文字だけで世界観を表さなければならないのですから。
例えばあなたが、幼い子供に「モナ・リザって何?」と聞かれたとしましょう。おそらくは大多数の人間が携帯端末にて検索し、表示された画像を見せることでしょう。映像というモノには一定の公平性というものがあります。しかしそうではない場合、携帯端末を持っていないとしたら、あなたは何という風に「モナ・リザ」を表現するでしょうか?
それは「ルーブル美術館にある、世界的に有名な絵画である」と端的に説明する人もいるでしょう。もしくは「アルカイックスマイルじみた微笑みがミステリアスで美しい女性の絵画だ」と芸術面の方向から語る人もいるでしょう。はたまた「レオナルドダヴィンチがその類まれな頭脳にて隠ぺいした、宗教的なスキャンダルを描いた絵画だ」と近年の大ヒット映画に影響された陰謀論を説く人だっているかもしれません。
そのどれらも「モナ・リザ」の表現の仕方として(適切かは置いといて)間違いではありません。間違いではないのだから、そこに表現方法の優劣なぞは存在しません。「みんな違ってみんなよい」のです。しかし説明される幼子の立場となれば、返答は「ふーん?」と頭を捻ることでしょう。
案外、こういう説明の方がすんなりと腑に落ちるのかもしれません。
「スッゴイ、絵だよ」
「そっかー、スッゴイのかー」
上記の一連の例の中では一番テキトーであり、情報量もありません。でもだからこそ子供にも伝わりやすいかもしれません。私が何を言いたかったのかというと――表現の仕方については優劣は存在しません。しかし読者の方にはニーズがあるということです。
文字がギッシリと詰まった本は眠くて読めないという人もいますし、「」の会話文ばかりのものは読む気になれないという人もいます。問題は自らの書く創作がどのようなニーズに向けた物語であるかということだと思います。
本章においてはそのように数多くのニーズを踏まえた、多様な表現の仕方を具体例を用いて紹介……できればいいなぁと思います(願望)。最近、再確認しましたが、私はもっと幅広く本を読んだ方がいいです。偏ってます。
それでも本項目で述べている事柄は「創作論」を書くと決めたときより、ぼんやりと空想していましたので、今から楽しみにしております。
では次回からは例文を用いて述べていきたいと思います。
さしあたって「一人称と三人称」について語りましょうか。
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