恋愛が成就する

 続いての面白いと思われる話の類型として「恋愛が成就する」話について語っていきたいと思います。

 これもまた「悪を倒す」話と同じぐらいに、いやそれ以上にポピュラーであるテーマであると言えるでしょう。

 私は恋愛というジャンルはあまり嗜みません。門外漢であります。よって創作において喜ばしい男女の機微への理解は浅く、「こいつ分かってないな」という主張をする可能性が大きくあることを、言い訳のように最初に申し述べておきます。

 それでも創作におけるそれについて語ろうと思えたのは、大方の作品には「恋愛」の要素が大なり小なり含まれているからです。もしかしたら私の偏見かもしれませんが。


「男と女が歩いている」


 という表現があれば、大抵の人は恋仲かな? と邪推することでしょう。それほどまでに当たり前に連想できる要素が「恋愛」というものなのです。つまりは登場人物が男女織り交ぜられていれば、それだけで読者に対する伏線です。

 かなりの暴論ですが。

 けれど上記の一文の後に。


「しかし二人は兄妹であるから、間違いなぞ起こりようもない」


 などと付け加えるだけで読者に対するミスリードが完成するわけですから、侮れない事柄ではあります。



 では「恋愛が成就する」話について、考察していきます。

 前回の「悪を倒す」話においては「悪を倒せない」話は特別な理由がない限りはおススメしないと書きましたが、「恋愛が成就しない」話については別によいのではないか、と思います。セツナイと思える情動もまた、一つの面白さであるはずです。

 つまり創作における「恋愛」という要素は、結果が重要なのではなく過程こそが重視されるべきなのではないかと仮説します。

 つまりは、駆け引きのような男女の機微を、揺れ動く恋心を、異性から受けるカタルシスを読者は重要視しているのであり、結果は二番めである。

 なんだか語っていたら自分でも「そうかもしれないな」と思ってきました。いえ私から提示した仮説なのですから、そう思うのはもちろんではありますが。

 とはいえ結果はどうでもよいというわけではないでしょう。読者が主人公の頑張りに共感していたならば、結果が伴わないというのはやはり不満であるでしょうから。

 話を戻します。

 では創作における恋愛が過程を重要視するとしたら、何が言えるのでしょうか?


 こんな恋愛してみたいというものを、恥ずかしげもなく書くことが重要なのです(暴論)


 女性からこんなことを言われてみたい、男性からこんな待遇を受けてみたい。逆にしてあげたい、言ってみたい。作者の欲望だだもれでもいいので思い切って書くことが重要でしょう。おそらく私ならば書いた後、布団の上で羞恥のあまり転げまわります。それでも頑張って書きましょう。

 これをもって今回の結論といたします。

 

 振り返れば暴論ばかりですが、不慣れなジャンルゆえとご容赦いただきたい。

 思えば恋愛ジャンルこそ、男女における好みの差異が激しいのではないでしょうか。私は恋愛ジャンルは嗜まないと言いましたが、親兄弟の関係で少女漫画は多数読みました。面白いものはもちろん多数ありましたが、どうしても受け入れきれないものも確かにありました。理解が及ばないのです。あれはどうしてでしょうかね? そのうち考察してみても面白いかもしれません。


 次回は何を話すか決めてはおりません。思いついたら語りましょうか。

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