話の類型について
悪を倒す
「桃太郎は鬼を退治して、幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
創作について語るとき、「面白い話の類型」については決まっている、という趣旨の文を見かけることがあります。確かになるほど。これまで数えきれないほどの創作物が積みあげられてきた中で、人に好まれるパターンというものは決まっているように思われます。
では具体的にはどのようなものがあるのか?
その一つとして、私は「悪を倒す」物語があげられると思います。
冒頭の一文で大まかな想像はついてくださるでしょう。古来より、好まれる物語の類型としてポピュラーなものです。戦隊ヒーローが悪の首領を倒しますし、時代劇でお侍様が悪代官をタタッキリます。あまりにもポピュラーすぎて、いっそベタとも言えますから、老若男女問わずに理解いただけるでしょう。
以上。
とすると考察する面白みもありませんので、もう少しだけ踏み込んで考えていきたいと思います。
悪を倒す話のどこに面白みがあるのか?
考察するために、一度、冒頭の文に手を加えてみましょう。
「桃太郎は鬼を退治できずに、返り討ちにあいました。鬼がめでたしめでたし」
これでは駄目ですね?(一回言ってみたかった)
ギャグ話としてならよいでしょうが、真面目な話だとして、主人公目線での共感は得られないでしょう。モヤモヤとした不完全燃焼感が残るだけで、読者には不満がたまるだけだと推察されます。社会風刺作品などの、そこを狙いとした作品でない限りには、やめておいたほうが良いと思います。
では続いて。
「桃太郎は――ご近所の評判も良く気立ての好い、種族は違うけれども愛すべき隣人である鬼――を退治して幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
これはこれで、根性悪く育ってしまった私としましては、面白みのある話と感じられるところではあります。ですが、そこには予定調和に対する皮肉だとか、異種族間の交流の難しさなど、別の面白い要素が関係していると思われるので、置いておくこととします。
こんな桃太郎では子供は納得しないでしょうし、ご年配の方々には眉をひそめられてしまうでしょう。
どうしてか?
これでは桃太郎が悪だからです。
読者は基本的には主人公に共感を抱こうとします。
誰だって自ら悪党になりたいと思う人は稀でしょうし、いたとしてもニッチなニーズでしょう。
ここは素直に「主人公が悪を倒す」とするのが良いかと思います。
そこをあえて、悪党を主人公に据えた話というのもアリとは思いますが、というか私自身そういう話は好きですが、何かしら共感できる美学や主張、またはカリスマを持たしたほうが良いかと思います。
誰にも理解できない、ただただ不快な思いをさせる理由なき暴虐非道は読者に「面白くない」と思わせる一因だと思います。
その点、「悪は倒された、めでたしめでたし」とするのは誰にでも理解できるものですから、どうしても伝えたい、そして面白いテーマをお持ちでない限りは、勧善懲悪にしておく方が無難でしょう。
では次の話で、「そもそも善悪って、何なのよ?」という話をしましょうか。
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