三文小説

黒水開

2020/04/03

 『人間味』という単語は本来、人間らしい情緒や優しさのことを指す。のだが、この獣から感じるそれはもっと俗物的というか即物的というか……ある意味何よりも人間らしい『欲』に満ちていた。

「ふたり。カウンターでもいい」

「……いや、あの」

 体長50~60cm謎の哺乳類を連れて入店してくる男の対処なんかどのマニュアルにも記載されていない。一介のアルバイトである私には判断しかねる状況だが、不幸にもここ数日は店長が喘息か何かで自宅療養中、さらにこの昼過ぎの時間帯の店にはシフト上私を入れてふたりしかおらず、もうひとりは厨房にカンヅメなので客対応は私だけで何とかしなければならない。

「その……その子は何の」

「ん、ラーメンふたつ」

 他に客はいない。困り果てる私を尻目に、男は一番近いカウンター席に向かった。足元の謎生物を片手でひっ掴み、椅子に乗っけて隣に腰掛ける。

 厨房担当に注文を伝えて戻ってきた私はその動物を見る。漫画的表現されたリスに空気を入れて膨らませたらちょうどこんな形になるだろう。特に尻尾が大きく、体積の半分ほどを占めているように見える。

 隣の男はというと、いつの間にかカバンから取り出したゲーム機に仏頂面で打ち込んでいた。私は客との世間話が特別好きな訳ではないが、今日に限っては彼からこの動物についての説明が欲しい。

 とは言え、今のところはリスもどきは大人しく椅子に座っている。吠えたり暴れたりするのであれば死力を尽くしてお引き取り願うところだが、何事もなくラーメンだけ食べて帰ってくれるのであればそれがありがたい。……ヒト以外にラーメンを提供するな、というマニュアルも無いことだし。

 厨房から声が掛かったので、出来あがったラーメン2杯をカウンター席まで運ぶ。男はゲーム機を仕舞い、割り箸を割りながら「いただきます」と小さく呟いた。……リスもどきも何やら発声したように聞こえた。恐ろしいことに、その短い指で箸を操っている。

 ラーメンを啜る間、男は相変わらずこちらに目もくれない。半ば必然的にリスもどきの方を観察することになるのだが、私を見つめるこいつの眼がまた……こんなにもキラキラしていながら、純真さのカケラも無い−−いや、ある意味純度は高いのだ。ひたすらに純粋な『欲』。まるで、目の前のラーメンを味わいながら既に2杯目のことを考えているようだ。生物の三大欲求の話になぞらえるなら、こいつの眼差しはまさに生命の輝きと言える。

 男のラーメンがまだ半分も減っていないうちに、リスもどきは1杯目を平らげてしまった。箸を置き、物欲しげな顔で私を見るが、流石に人語を介さない注文は受け付けられない。

「あのー……」

 恐る恐る男に声をかける。男は私とリスもどきを一瞥すると、1本立てた人差し指を私に見せるようにし、すぐにラーメンに視線を落とした。……もう1杯、の意味だろう。もし違っても流石に私は悪くない。

 結局、リスもどきはラーメン3杯をペロリと食べ終わった。まだ物足りない様子だったが、男から4杯目の許可は降りなかったのだ。欲に満ちた眼に哀愁の光が揺れる。

「ナルト好きなの?」

 出し抜けに男が呟いた。一瞬何の話だか理解しかねたが、すぐに鳴門なると巻きが男の器に残っているのを見つけた。

「ああ……はい、普通に好きですよ。かまぼことか、練り物は大抵」

 なぜ突然私の好みを訊ねたのかはわからないが、正直に答えた。……改めて見ると、この店の鳴門巻きは断面の模様が少し複雑だ。単純なうずまきではなく、幾何学的な……例えるなら、手裏剣のような形をしている。

「そうじゃなく……いや」

 私の解答は男の望むものではなかったようだ。男は言葉を探しながら鳴門巻きをつついていたが、私の察しが悪いからか、諦めて口に放り込む。

「ごちそうさま」

 男が席を立ち、リスもどきもそれに倣う。私はレジで男からラーメン4杯分の料金を受け取る。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 もはや体の一部となった挨拶の言葉を投げかけながら、奇妙なふたり組を見送る。

 店を出る間際、ふと、リスもどきの尻尾から何か赤いものが落ちるのが見えた。近付いて見ると紅ショウガであった。この店ではどの席にも紅ショウガ、ごま、ネギが置いてあり、好きなだけトッピングすることができる。ただここでの「好きなだけ」というのはもちろん常識の範囲内でのことであり−−

「…………」

 −−店内のトッピングをカケラも残さず根こそぎ尻尾に隠して持って帰るリスもどきなんかは想定外である。

 自然と溜息が漏れるが、追いかける気にもならない。捕まえたところで茶色の毛にまみれた紅ショウガを容器に戻すわけには行くまい。怒りもなく、ただあの綺麗な眼差しを思い出しながら私は、

『ヒト以外お断り』

 適当なポスターの裏にそれだけ書き殴り、入り口のガラスに内側から叩き付けるように貼り付けたのだった。



(お題:ラーメン・ヨクバリス・万華鏡写輪眼)

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