3


「逃げないで!ちょっと!」


 ハルミラは少年に追いつけないでいた。視線の先で消えて行こうとする少年の背中に向かって叫ぶが、反応はない。


「ハ、バーバラ。放っておきましょう」


 彼女の傍まで走ってきたリムの息は乱れておらず、ハルミラは自身の体力のなさに苛立っていた。そしてその怒りは助けてあげたのに逃げ出す少年に向けられる。


「り、いいえ、ベン。あの子を追って連れてきて!」

「は?そんなことできるわけないでしょう。あなたを置いていくなんて」

「絶対連れてきて!ほら、見失うわ!」


 王女の視線の先で、少年が小さな路地裏に消えてようとしていた。

 街中にバーバラの姿とは言え、ハルミラを一人で放置するわけにはいかない。少し考えて、リムは彼女の手を取った。


「こちらに来てください」

「り、ベン?!」


 突然手を取られ、ベンの姿でもあるので、ハルミラはちょっと頬を赤らめた。

 ベンは年頃は二十代前半、南の民らしく褐色の肌に黒髪、少年ぽさを残す爽やか青年だった。本人の性格も素直で、人気のある衛兵の一人で、王女も密かに憧れていた。

 中身はリムでも外見はベン。ハルミラはリムに心の中で悪態をつきながら素直に着いていく。


「ハルミラ様。私に掴まってください」

「え?」


 建物の間の人気のない場所に連れ込まれ、そう囁かれ彼女は目を開く。リムはそう言った気遣いをまったくできないので、眉を潜めた後、ぐいっとその腰を抱いた。


「ちょ、リム!」


 驚いてその本当の名を呼び、その後にもっと驚くことになった。

 リムは王女を抱くと、建物の屋根へ飛び上がる。そしてその上に降り立って、彼女を開放した。


「少年を連れてきますから、動かないでくださいね」

「へ?ええ?」


 屋根の上なら誰にも襲われる可能性はない。

 そう考えたリムの作戦であったが王女は目を白黒させるしかなかった。


「いました。待っててください」


 状況を把握できない彼女の返事を待たず、リムは目を凝らして少年の姿を取られると神石のかけらの力を使って飛んだ。


「……リム……」


 超人的な力を見せつける護衛神官の背中を目で追いながら、ハルミラは少年を連れてくるように命じた己を少しだけ反省した。



 リムは少年を猫のようにその首根っこを掴んで、ハルミラの前に連れてきた。騒いだようで、その口周りには布が巻かれている。

 

「……り、ベン。やりすぎよ」

「騒ぎましたので」


 人さらいのような具合で、彼女は多少引きながら言ったのだが、リムはさらりと返した。

 少年は屋根の上に放りだされ、怯えたように動きを止めている。


「これじゃ話もできないわ。どこか移動しましょう」


 そう王女に提案され、リムはハルミラと少年を抱えると屋根を飛び移りながら、街のはずれまで来た。

 リム自身は平気なのだが、高いところを移動するなんて通常ではありえないことで、二人はぐったりとした様子で、地面に座り込む。

 けれども少年の手前、ハルミラはしっかりした自分を見せたくて、立ち上がった。


「り、ベン。もう大丈夫でしょう?布を外してあげて」


 リムは周りを一瞬窺うように見渡し後、地面で放心している少年の口をふさいでいた布を取る。

 すると我に返った少年が叫びそうになり、リムが口をふさいだ。


「静かにしろ。また空を飛びたいか?」


 少年は首を横に振り、リムは手を放す。


「あんたは水の神官か?」


 叫ぶのではなく、少年はリムを睨んだ。


「違う」

「だったらなんで神の力が使えるんだ?神官だろう?男の神官なら水の神官のはずだ。俺は見たことがある」

「どこで見たの?」


 水の神官など隣国でしか見ることはできない。

 ハルミラは興味本位で会話に加わる。


「国境で見た。俺の村は神官にめちゃくちゃにされた。あいつら、味方も敵も区別しねぇ!」

「味方、敵?どういうこと?」

「火も水の神官なんてもんはろくなもんじゃない!あいつら周りのことなんて全然考えないんだ。村はあいつらのせいでめちゃくちゃだ!」

「……詳しく聞かせてくれないか?」


 戸惑うハルミラを押しのけて、リムが少年に問いかけた。

 彼が語ることが信じられなかったからだ。

 少年はリムを睨みつけると、国境に近い彼の村について語り始めた。

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