相続
大旦那の死は、同業者や顧客には "事故死" と伝えられ、葬儀は彼の親族や部下のみで小規模に行われた。死んだ理由が理由だったので、大々的には出来なかったのだ。
大旦那が亡くなったと分かると、各地から "自分の子供は大旦那の血を継いでいる" と名乗り出る者が現れた。大旦那の遺産の一部を受け取ろうと思ったのだろう。彼らはひっきりなしに屋敷の門を叩いた。しかし若旦那の部下の "遺産を継ぐならば財産だけではなく負債も継がなければならない" との言葉に、やがて訪れる者はいなくなった。
大旦那が生前懇意にしていた顧客の幾人か_____金を持っている領主や役人など_____は、屋敷に呼び出され、葬式の数週間後に行われることになった相続分配の集まりに参加することになった。
そして竜もまた若旦那の命を受け、何故かその集まりに参加することになったのだった。
50人程度が収容出来る部屋に、各地から集まった領主等が詰め込まれる。竜は彼らに混じり部屋の端に座っていた。壮年の男たちの中にいる子供の姿は奇異なものに思われたのだろう。周囲からの鋭い視線を受け、竜は居心地の悪さを感じる。
しかし、暫くして現れた若旦那と若旦那の部下、そして奏の姿に、場は水を打ったように静まり返った。
奏は白い喪服姿で皆の前に現れた。白い肌に銀色の髪、そして帯から着物まで全てが真っ白な服。女と見紛うほどの美貌。膨らんだ腹。
数週間ぶりに見た奏は少し窶れていた。しかしその儚げな雰囲気すらも、彼の美しさを作る一部となっている。
まるで創作の世界に住む、人ならざる者のようだ。恐怖を感じるほどに美しい。
感嘆のため息が聞こえる。誰かは、唾を飲み込んだ。また誰かは、手を伸ばしそうになるのを誤魔化すように膝の上で手を握り込む。
屋敷に呼び出された者の全てが奏の美しさに見惚れ、彼が噂の "水精" であることを悟った。そして、呼び出されたのはこの水精が関係しているだろうことを悟ったのだった。
若旦那が客人の前に座ると、奏とその部下は両脇に腰掛けた。
奏は真っ直ぐ前を向いているが竜と目線が合うことは決してなかった。代わりに若旦那と目が一度合うが、彼は表情を全く変えずに竜から目線を外した。
若旦那は淡々と話を始める。最初に遠方から来たことに感謝する言葉を述べ、父の葬儀を内々に済ませてしまったことを詫びた。それからいくつかの話をした後に、これまで大旦那が築き上げた財産及び事業を若旦那が継ぐことを述べた。
竜は若旦那の隣に座る男のことを知っている。大旦那とその部下を殺した男であり、若旦那の仕事を代わりに引き受けていた者だ。若旦那は父親から仕事を受け継ぐが、突然の死であったためにまだ全ての仕事を知っているわけではない。だからこれからもあの男が暫くは仕事をするのだろう。
若旦那はあの男なしでは事業を行えない。それこそが男の目的であり、男が人を殺しても尚役人に引き渡されなかった理由だろう。
この国では金は法に勝つ。金を持っている者は罪を犯したとしても金を払えばなかったことになるのだ。
竜は前に座る男3人をじっと見つめていた。すると、また若旦那と目が合い、逸らされた。
若旦那は奏の方を見て、客人に奏を紹介する。
彼がこの家の財産を作り上げた水精の力を持つ者であること、そして大旦那の妾であったことを。彼の腹には1人の子供がいることを。
それから、奏を若旦那の正式な妻として迎え入れ、子供を跡取りとして育てることを発表した。
"そのうち分かる"
奏が言っていたのはこのことだったのだ。
確かにこの家の跡取りとして育てられるなら、売られることはなくなるだろう。奏のように子供を一生産み続けることはなくなるだろう。
しかし竜は若旦那を信用出来なかった。今まで散々乱暴者であることを裏付ける出来事が何度もあった男だ。子供を傷つけずに育てることが出来るのだろうか。奏に乱暴を振るわないと約束出来るだろうか。
それに奏も奏だ。
あの言い方からして大旦那が殺されることを予測していたのだろう。もしくは彼の死に一枚噛んでいるのかもしれない。
しかしよりによって若旦那に助けを求めるとは思っていなかった。
竜はこの出来事のおかげで、奏がこの屋敷を離れる気がないことをすっかり悟ってしまった。
実を言うと竜も大旦那を殺すことを考えたことがある。それも彼方を殺すことを考えるよりも先に。しかし、ただの奴隷である自分には現実味のない作戦だった。だけど、大旦那に近しい者であればそれが可能なのだ。
竜の脳裏に浮かぶのは、あの日の、奏を看病する若旦那の姿だった。
自分では奏を守る力がないことを、若旦那に再び突き付けられてしまったのだ。
竜は悲しみのあまり頭が真っ白になった。今にもここを抜け出してしまいたい気分だった。これ以上若旦那の隣にいる奏を見たくなかった。しかし、体は石のように固まって動けない。
若旦那は話を続ける。
"今まで公にしてこなかったことがありますが"
そう告げて、奏のもう1人の息子である彼方の話をした。
奏に良く似た顔をしていること。水精の力を受け継いでいること。今年7歳になること。
若旦那は、この集まりに参加している客人であれば誰でも彼方のことを買い取ることが出来ると言った。
ただし、普通の奴隷ではあり得ないほどの高額な値段で。そして、彼方を買った場合は、彼方の世話係である竜も一緒に引き取ることが義務であると告げられた。
竜が集まりに呼ばれたのはこれが理由だったのだ。
若旦那に名前を呼ばれ、客人の目線が一斉に竜へと向けられる。彼らの目線は竜を値踏みするかの如く、そして舐めるような目線だった。
竜は奏を見つめる。奏は竜を見ない。白い顔を俯かせている。
どういうことなのだろう。これは。
奏はこのことを知っていたのか。知っていたとしたら、若旦那の話に同意したということだ。彼方と一緒に竜も売られるということに賛成したということだ。
どうして?
竜の頭に疑問が浮かぶ。
あなたは俺を裏切ったんですか?
だから腹の中の子供のことを俺には教えてくれなかったんですか?
……どうして、俺の方を見てくれないんですか。
会場は静寂に包まれた。誰もが奏と竜、そして若旦那を交互に見つめて黙り込んでいる。
皆、神聖なる美しさを持ち、一獲千金を狙える水精を喉から手が出るほど欲している。しかし、提示された値段のあまりの高さに、中々名乗り出る者がいないのだ。
緊張の糸を張り巡らせる。誰もが一触即発の雰囲気に飲まれ、すぐそばにある “財宝” に手を伸ばせないでいる。
その時だった。
それまで黙っていた奏が真っ青な顔で唸り声を上げ、その場に蹲った。
竜は立ち上がり、奏に駆け寄ろうとした。それを、若旦那がひと睨みで押さえつける。
若旦那は恭しく奏の体を支え、部下に何事かを言いつけると部屋を去っていく。
部下は若旦那の無礼を詫びつつ、奏の出産が始まったのだと説明をした。
竜はすぐにでも奏の元に駆けつけたかったが、若旦那の部下はそれを許さなかった。
「我こそは水精を買い取るに相応しいとお考えの方はお残りください」
客人にそう言ってから、竜を呼びつける。
「私はこれから客人を彼方様の元へ連れていく。お前は普段の仕事に戻れ」
「……」
「どうした」
「……俺は奏様の世話係です。どうか奏様の元へ行かせてください」
竜の言葉を部下は軽く鼻であしらう。
「今の話を聞いていて分からなかったのか。お前はじきに彼方様と共に売られるのだ。奏様はお前のことなどもう必要とはしていない……言いたいのはそれだけか?」
「……いいえ」
竜は歯を食い縛りながら、そう答えた。
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