決別



 若旦那は言った。

「何故、あの子供は1人地下室に閉じ込められているのか。そして何故お前1人があの子供の世話をさせられているのか。お前も疑問に思ったことはないか」

 若旦那の言葉に、竜ははっとさせられる。

 それは竜が以前から疑問に思っていたことだった。


 同じ水精である奏と彼方で何故こうも待遇が違うのだろう。

 奏も彼方も、部屋に閉じ込められているという点に変わりはない。しかし、奏は複数の人間と関わることが許されている一方で、彼方の元に行くことを許されているのは竜1人だ。

 奏は "妾" で、竜は "商売道具" だからだろうか。だとすると何故、彼方は竜や他の奴隷のような扱いを受けないのだろうか。

 若旦那がこのように尋ねるということは、彼は答えを知っているということだ。

 竜は、若旦那が喋り出すのを待った。

 竜が話に興味を持っていると分かったからだろう。若旦那は少し口角を上げて上機嫌に答える。

「それは、あの子供をお前1人に依存させるためだ」

 若旦那は続ける。

「父上はこうお考えなのだ。子供にとって大切な存在を殺すことで、子供の精神を掌握し思い通りに動かせるのだと。しかし殺人は後処理に手間がかかる。殺す人数は少なければ少ないほど都合が良い。そこでお前に白羽の矢が立った。"お前は無知で無力な子供だ。だから殺すのは簡単だろう" というわけだ」

 若旦那は両手を握り締め、刀で竜を斜めに斬るような動作をする。

 竜は本当に体が切り裂かれてしまったかのような恐怖で、冷や汗をかきながら尋ねた。

「……それは、大旦那様が仰ったことなんですか」

「いいや。全ては俺の憶測だ。しかし俺は父上の考えることなどすぐに分かる。それにお前も奏の話を聞いていたなら分かるだろう」


"祖父母も両親も殺された。家族が目の前で殺されるのを見た私たちは、抵抗する力もなく商人の手によって売り払われた"

“あの頃の私はもうずっと、ただ周りの言うことを聞く傀儡でしかなかった”


「俺はお前が殺されるであろうことを知っていて、みすみす見逃すことなど出来ない。だが俺が父上に口添えをすれば、お前は子供から離れることができる。その代わり、お前は俺の所で働いてもらうことになるが」

 若旦那はそこまで言って、竜の様子を窺うように言葉を区切った。

 竜へ歩み寄り、肩を手を置けば、小さな体が震える。

「お前も殺されたくはないだろう」

 声が笑っている。手応えを感じた時の、相手が思い通りになると悟った時の声色だ。

 若旦那は竜が戻ってくると確信していた。

 竜が若旦那の提案を受け入れることを信じていた。

 少年の口から紡がれる一言目が「はい」であると。

 しかし。

「どうしてなんですか」

「何?」

「若旦那様が仰ったんじゃないですか。俺は何の取り柄もないただの奴隷だって。それなのに何故、あなたは俺なんかのことをそれほど気にかけるんですか」

 若旦那の想像していた言葉を竜は言わなかった。

「……それはこちらの台詞だ」

 若旦那は、声に怒りを滲ませていた。

「……お前こそ何故あの2人に拘る。子供を産むことしか能のないあの妾と、その妾から生まれた子供の何がそれほど良いのだ」

 竜の肩を掴む手が震える。指先が肩に食い込み、鈍い痛みが生じる。

「2人に恩返しをしたい? 笑わせるな。あの2人がお前にしたことなど、所詮ただの奴隷の戯事だ。それに比べて、俺の方が……俺がどれだけお前を気にかけてやったか、お前は知らないのか?」

「……」

「俺はお前を拾ってやった。今にも死にそうだったお前を拾い、命を救ってやったのは俺だ」

 しかし若旦那は、同時に竜に暴力を振るった。竜の体には今も、いくつかの傷痕が残っている。

「俺はお前の世話をした。お前が熱を出した時に付き切りで看病をしたのも俺だ」

 それに。と、若旦那は言葉を続ける。

「お前が何故俺と離れた後も、あの野蛮な奴隷共の中でのうのうと暮らせていたか、お前は知っているのか? ……お前は俺のものだったからだ。お前が俺のものでなければ、お前はとっくの昔に慰み者にされて嬲り殺しにされていただろう。それなのに……俺はお前のために尽くしてやったのに…………どうしてお前は俺の元へ戻ってこない!」


 若旦那の独白を竜は冷静に聞いていた。

 怒りも悲しみもなく、心にあるのは諦めだった。


 この人は、真に俺を心配して、気遣っているわけではない。

 ただ、自分の思い通りにことが動かないことに怒りを覚えているだけだ。

 竜は若旦那にとって、彼を満足させる道具のひとつでしかない。


「若旦那様」

 竜は頭を下げる。

「あなたが俺を拾ってくださったこと、俺は感謝してもしきれません。あなたが拾ってくださらなければ俺は今生きていなかったでしょう」

 それが竜への “優しさ” だとしたら、竜は彼の言う通りに、若旦那の元へ戻るべきなのだろう。

 だが竜はもう戻る気はなかった。

 奏の願いを叶えるために。彼方を守るために。

 竜は2人のそばにいることを誓った。

「彼方様はこんな俺を慕ってくれました。ですがそれは、彼方様には俺しかいないからです。今あなたの元に戻ったとして、確かに俺は殺されずに済むでしょう。ですが彼方様は1人になります。それは俺が殺されたとしても殺されなかったとしても変わらないことです。それならば俺は、殺されても良いから、あの人のそばにいたいんです」

 だから、申し訳ありません。


 若旦那は何も言わずに竜を見つめていた。その顔は、竜を甚振る時以上に冷たく、能面を被ったように無表情だった。

「……もう良い」

 ぽつりと呟き、若旦那は薄ら笑みを浮かべる。

「そこまで言うなら、2人で仲良く死ぬまで戯れていたら良い」

 意外にも若旦那は、それ以上追求をしなかった。

 竜などそもそも存在していなかったかのように、背を向けて立ち去っていく。


 竜は若旦那がいなくなるまで頭を下げていた。




***




 数日後、数多の奴隷と部下を引き連れて、大旦那が帰ってきた。

 奴隷が大量に売り捌かれ、人の少なくなっていた屋敷に、喧騒が蘇る。

 奴隷の怒号や嘆く声が離れの奏の部屋にまで聞こえてきた。それは1日中止むことがなかった。

 奏はその声を聞く度に、筆を持つ手を止めて、悲しげに目を伏せた。奏の表情が日に日に憂鬱なものへ変わっていくのを、竜はずっと隣で見続けていた。


 その時が刻一刻と迫っている。

 奏の出産が、彼方を連れ出す日が、もう目前まで迫っている。

 だけど竜は、奏をこの屋敷から連れ出す方法を思い付けずにいた。

 いや。本当はひとつだけ思いついている。

 彼方を殺さず、奏も助ける方法。

 だけどこれが成功する確率は極めて低いだろう。少なくとも、味方が1人もいない今の状況で出来ることではなかった。

 時間ばかりが過ぎていく。焦燥感ばかりが積み重なって、結局何の解決法も思いつかない。

 奏は竜のことを "賢い" と言ってくれたが、所詮は10歳の子供の頭。考えにも限界がある。


 竜が悩んでいる間にも、奏は竜に、作戦の段取りを教え込んでいた。出産を行う部屋。奏の元へ訪れるタイミング。彼方を連れ出す時に、一緒に持っていくもの。

 竜は「奏様を一緒にお連れする方法はないんですか」と何度も尋ねたが、その度に奏は首を振るだけだった。奏はそもそもこの屋敷から逃れるつもりはないらしい。

 逃れずにどうするつもりなのか。そう尋ねると奏は「腹の子供を育てるんだ」と言った。

「生まれたばかりの子供を連れて逃げることはできないだろう。だからここで育てるんだ」

「それでは、その子供の未来はどうなるんですか。彼方様みたいに牢屋に閉じ込められて、売られる日を待つんですか。それとも奏様みたいに_____」

「そうはさせないよ。この子こそはちゃんと育ててみせる」

「それは、どうやって_____」

 奏は薄っすらと笑みを浮かべた。

「そのうち分かるよ」

 そう言って、結局竜には何も教えてくれなかった。




***



 後日、屋敷中を震撼させる事件が起きた。

 何と、大旦那が殺されたのだ。

 大旦那を殺したのは彼に仕えていた1人の上司だった。大旦那が屋敷を留守にしていた時、屋敷の監督の役目を若旦那に押しつけられていた上司だ。

 彼は夜中に大旦那の部屋へ忍び込み、大旦那とその部下の1人を殺したのだった。

 

 屋敷は混乱に陥った。その混乱のせいで、竜は奏の部屋に立ち入ることすらも叶わなくなってしまった。






 


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