昼の月

文絵

第1話 苺

春夏秋冬、その時期に必ずといっていいほど、食べたくなる作りたくなるものがある。

その中の一つが、春は冷たいヨーグルトレアチーズケーキと、フレッシュな苺のソース。

小粒の安い苺を一度に二パック使って、惜しみなく春を堪能する。

これを食べなければ春がきたとは思えない。

赤い苺に白いお砂糖をまぶして、まだちらほら出回っている国産のコロンとしたかわいい檸檬をじゅわっと搾る。

檸檬の皮からはじき出された香りがキッチンから部屋いっぱいに広がり、少し剥けた指のささくれにびりびりと沁みる。

一度手を洗ってから、苺は半量をフォークで潰す。

苺を潰す時の甘い匂いにわくわくする。

ソースをよくよく冷やしたチーズケーキの上にどばどばかけて、大きめのスプーンで口いっぱいに頬張るのがこのケーキの楽しみ方だと思っている。


「冬子!食べる用意して!」


塾のバイトがない土日はパジャマから着替えないと決め込んで、一日中スマホを手放さない冬子はちらりとこちらに視線を向ける。


「ママ、大きいスプーン?」

「うん。ママはいつも大きいスプーンでしょ。」


聞くだけでソファーから動き出す気配がない。

おやつを食べる時、毎回フォークやスプーンのサイズを確認するのは、小田家のお約束事だ。

料理やお菓子作りが好きでよかった。

食べたいものを食べたい時に作って、お腹いっぱい食べられる。そして食べさせてあげられる。

自分も幸せだし、美味しいものは少し難しい年頃の子供達の笑顔も引き出せる。

特に長女の冬子は幼い頃から食が細く、幼児期には食べさせるのにとても苦労した。

大学生になった今でも、職への興味関心はほぼゼロに近く放っておけばなにも食べない日もある。


「ママもダージリンティーでいいよね。」

「さすが、わかってるねぇ遥は。濃いめでお願い」


高校生になった次女の遥は幼い頃から食べ物のアレルギーがあったからか、食べることへの執着は半端ない。

先程から絞った檸檬をかじったり、いい匂いだの美味しそうだのと早く食べたくてうずうずしている。

このお菓子にはこのお茶、あのテレビを見る時にはこのお菓子、飲み物と食べ物との相性だけでなく、シチュエーションにも楽しみを持ち、せっせと実行する。

楽でいい。


「遥、紅茶のカップ、あれにして。鎌倉で買ってきたオフホワイトのカップ。」

「華菜ちゃんそう言うと思った。温めてるよ。」

「さっすがぁ~わかってるね遥は!」


私が離婚して以来、一緒に住むようになった2つ年下の妹、つまり子供達にとっての叔母さんである食いしん坊の華菜の影響もあるといえる。

なにか食べる気配を察して、二階の自分の部屋から降りてきたようだ。


「スプーン、みんな大きいのでいいよね~。」

「あ、ありがとぉ~。」


紅茶が冷める前に食べたい華菜が用意し始めると、間延びした声で冬子が声をかける。


ガラス製の大きめのデザート皿に白いチーズケーキをのせる。

苺のソースをかけているすぐ横で、遥はどれが一番大きいか、ソースがたっぷりのっているのか見張っている。


「遥、どれがいいの?」

「う~ん。。。ちょっと待って。」


真上から見たり苺の数を数えたり、真剣そのものだ。

平日は全員がゆっくりとできる時間はそうそうないけれど、土日のどちらかでこうして4人揃って美味しいものを楽しむ時間がある。

そうゆう時、あぁ幸せだ幸せだ。きっと子育てで今が一番いい時なんだ、と私は心の中で呪文のように何度も繰り返す。

いつかきっと子供達が大人になり、少し昔を思い出した時などにそうゆう時間があったと思い出してもらいたい。


子供を育てるうえで、自身の幼少期の思い出や親の躾について全く考えないという人はそう滅多にいないだろう。

私の中で強烈に残っているのは、躾と称して数えきれないほど食事を抜かれていたことだ。

事あるごと、例えば部屋を掃除していないとか、うっかり茶碗を割ってしまったとか、遊びからの門限を5分遅れた、とかだったと思う。

正直なにがというのはそんなに覚えていないのだ。

ただ覚えているのは空腹を通り越した体調の変化。

一度始まると三日は食事が与えられないのだから、始まりがわかると頭も体も省エネモードに切り替わる。

給食が唯一の食事の時は、身体の細胞が今その時に食べているもので命を作り出そうとしているのを感じた。

食べ物はすごい。

食べれるってすごい。

そう思いながら食べている最中にも、目の前がクリアな視界になっていき体を動かしやすくなるのを感じた。


一食の重みを体感している私は、子を産み育てるとなった時、なによりも食事に気を使った。

大体にして、子供を産み育てるということ自体自分には無縁なのだろうと思い込んでいたのに、母親になったのには事情がある。

妊娠に六ヶ月ほど気が付かなかったのだ。

気が付いた時にはもはや七カ月近い妊娠週数であった。


「美味っしい!」

「うん。うん。うん。」


後は食べるだけになってからテーブルにつき美味しいしか言わない冬子も、頷きながら皿まで食べそうな勢いの遥も、その事実を未だに知らない。

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昼の月 文絵 @00fumika00

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