第7話

 ヴールの首都ヴィットベルク。フォルトリエの王都フィエルテ。その二つを結ぶようにして伸びているのが、イクテイン街道である。

 当然国境にはそれぞれの領地側に関所が置かれていて、道を行くのは主に行商人をはじめとした商売人がほとんどだ。


 特にヴールで採れる鉱石は質がよく、騎士団の剣や鎧にも使われている。その反面、穀物や野菜など肥沃な土地によってもたらされる農作物を、フォルトリエから売りに行く者も多い。

 今まで二カ国の間で多少の小競り合いはありながらも、互いに良き商売相手である以上、国境の行き来を取り締まるようなことはなかった。


 「けど、今はちょっと事情がなあ」


 苦りきった顔で言うのは、関所の門で交代番を担っているマルク・フォッセーという男だ。


 「こないだイリャルギに攻め入ったこともあるし、紅炎騎士団が出たって言うじゃないか。どうも向こうでヴールと一戦あったらしいんだよ」


 これ以上言わせてくれるな、という目配せつきだ。

 それでも、悪いな、と手で合図してからリュカは問いかけた。


 「じゃあ、今国境の行き来はほぼないってことか?」

 「うーん、まったくないってわけじゃないんだけど。ほら」


 手にしている槍を少し傾けて示すのは、行商人らしき一家の方だ。


 「彼らはマギサやレイモンでも行商してるからね。そういう人たちは通していいって言われてる」

 「商工会に?」

 「そりゃそうさ。でも、ヴールしか取引相手がいないような人たちは検問で止めて、基本通してないね」


 軽く肩をすくめる。軽量化された鎧がかしゃんと音を立てた。


 「あとは、観光や旅行目的の人たちなんかも危険だからって通してない。だから悪いんだけど……君もちょっと無理かも」

 「……そっか。わかった、悪いな」

 「こっちも仕事だからね。騎士団の肩書でもあればまた違ったかもしれないけど」

 「そんなもん俺にはないんだからしょうがない。ありがとな、マルク」

 「お気をつけて」


 ふらりと去っていくリュカを見送り、マルクは首をかしげる。名乗った記憶はなかったが、無意識で名乗っていたのかも知れない。

何より、どこかで見たような気がする。だが、彼はリュカが紅炎騎士団団長の息子であることは結局思い出せなかった。



 国境の関所を有する町、ルベルマク。それほど大きい町ではなく、小さめの宿がいくつかとちょっとした店がある程度のものだが、今は少し様相が異なっていた。

 原因は、ヴールとの国境閉鎖にある。


 「たくましいというかなんというか。おっちゃん、それくれ」

 「いいじゃねぇかよ、持って帰ったって仕方ねぇんだから。ほれ、にーちゃん、銀貨二枚だ」

 「高くね!?負けてくれよ!持って帰ったって仕方ねぇんだろ!?」

 「しょうがねぇなあ、足元見やがって。じゃあ半分にしてやるよ」

 「お、ありがとな!」


 言われた通りリュカは銀貨を一枚渡し、燻製肉を受け取った。

 検問に時間がかかるせいで足止めされていたり、そもそも出国できそうにない行商人たちは、思い思いの場所で荷物を広げ、ルベルマクの住人相手に商売をしている。

 本来なら商工会が許すはずもない光景だが、さすがに今時分取り締まろうという動きはなさそうだった。


 一通り町中を見物したのち、小洒落たカフェに腰を落ち着ける。イクテイン街道に面したその店は、少しばかり街道にはみ出して椅子やテーブルが設置してあった。そのうちのひとつの席に座り、いくつか注文を済ませる。

 ほどなく運ばれてきた厚切りのサンドイッチに舌鼓をうちつつ、目の前を行き交う人々を観察していると、どうも観光者よりも商人が多いようだ。

 軽く首を傾げつつ、最後の一切れを口へ運ぶ。粒マスタードとローストされた牛肉、すりおろした玉ねぎの入ったソースたちがふわふわのパンに包まれて、リュカの口腔を満たし通過していった。


 食後にコーヒーの入ったカップを傾け、その中身が空になるころ目の前で複数の足が止まる。


 「よう、ご無沙汰」

 「ご一緒しても?」

 「もちろん」


 紫の瞳が片方だけ柔らかく笑って、彼はリュカの向かいに腰かけた。もうひとつ残った席には、あと何年かすればなかなかの美女になるだろう顔立ちの少女がちょこんと腰掛ける。

 緊張した面持ちの彼女は、わずかに頬を染めリュカを見た。


 「そうしてるとずいぶん印象違うな」

 「……よく言われる」


 声音は変わらない。月夜の襲撃を思い出し、苦笑する。

 二人とも食事は済ませたと言うので、それぞれ飲み物だけを注文した。リュカも追加で同じコーヒーを頼み、三つの入れ物がテーブルへ置かれる。


 「そうだ、忘れる前に」


 言って、リュカは白い布を取り出した。自身の血をぬぐったそれは、綺麗に洗われて元の色を取り戻している。


 「わざわざ?悪いね」

 「いや、汚したの俺だし」

 「汚させたのはこっちでしょ」


 面白そうに眼帯の男は言った。それもそうかと思いながらも白くなった布を返す。


 「で、お前ら何なんだ?」

 「俺はクライヴ。彼女はナギ」

 「……いいのか」

 「いいでしょ」


 隣からの批難じみた眼差しを受け流しつつ、さらに男は続けた。


 「あんたはリュカ・デジレ・アッシュ。で間違いない、だろ?」

 「まあな」


 違う、と言ってみてもよかったが無駄だと悟る。


 「人違いで殺されかけなくてよかったと思ってるとこだ」

 「よく言うよ。黙って殺されてくれる気なんてさらさらないくせに」

 「当たり前だろ。まだ人生惜しい」


 軽口の言い合いに、ナギと紹介された方はため息をついた。ただ口を挟む気はないようで、自分のカップを無言で口へ運ぶ。

 彼女がそれを戻すまでの少しの間をおいて、クライヴと名乗った男は頬杖をついた。


 「俺たちは『黒衣』と呼ばれてる」

 「は?」


 変な声がリュカの喉から出る。その反応を面白そうに眺め、クライヴは続けた。


 「まあ、知らないならそれでいい。知ってるなら頭の片隅に置いといてくれ」

 「――置いといていいもんなのかそれは」


 頭の中で『黒衣』と呼ばれる者に対しての情報を引き出して、何とかそう返す。すると当の彼は口角を上げて笑った。


 「ま、普通は置いといてほしかない。けどまあ、ちょっと事情があってね」


 確か、とリュカは思う。『黒衣』というのは、暗殺者たちのことを指したはずだ。

 一度だけ、父バラストと兄が話しているのを漏れ聞いたことがある。主に要人の依頼を受けて動く集団のことで、フォルトリエはもちろん他の国からの依頼も受ける。つまり国境に支配されていない暗殺者のみで構成されているはずだ、と。


 「それで、その『黒衣』が俺に何の用があんだよ」

 「そんなの決まってんでしょーよ。依頼が持ち込まれたのさ、うちの里にね」

 「里?」


 その言葉は初耳だ。聞き返すと、ナギからあっさりと答えが返ってくる。


 「我々が拠点としている場所だ。いろいろな形があるが、村のような場合が多いな」

 「へえ。他の形は?」

 「……聞いてどうする」

 「いや、なんとなく」


 しかしそのあたりはあまり聞かれたくはないのかもしれない。適当に言葉を濁すと、リュカはクライヴに視線を戻した。


 「つまり、俺の暗殺依頼がお前らのとこに持ち込まれたと」

 「ま、そーいうこと」

 「なんでそれを俺に話すんだよ」

 「まずひとつが、無理だと思うから。もうひとつは、俺たちに協力してもらいたいから」


 かちゃり、とクライヴがカップを置いた音が響いた。


 「――あいにく、俺は暗殺には向いてないと思うぜ」


 低い声音に、ナギの肩がわずかに上下する。確かな恐れと同時に、えも知れぬ感覚に襲われながら彼女は首を横に振った。


 「そうじゃ、ない。話だけでも、聞いてもらいたい」


 言葉を選んで慎重に言う。数秒の後リュカが頷いたのを見て、やっとという面持ちでナギは息を吐いた。


 「おおよそ十日ほど前のことだ。ヴールとの国境近くにある里が襲われた」

 「……森の隠れ里ってやつか」

 「ああ。わたしは先だって依頼を受けるよう、婆様から指示があった。クライヴと里を発って、三日目のことだったと思う」


 ナギの話し方は少しとりとめがなく感じる。彼女自身、戸惑いながらのようだった。横からクライヴが口を挟む。


 「時系列を追って話をしようか」


 彼の言葉に、リュカは頷きを返した。


 「まず、俺とこいつが婆様――里の偉い人から、あんたを暗殺する依頼を受けるようにとの指示があった。これが十五日前。そこから俺たちはフィエルテに向けて旅立って三日後、里が襲われたと急な連絡が入った」

 「戻らなかったのか?」

 「戻らないよう言われていたからね」


 どうやら、婆様とやらの命は絶対らしい。里が危機に陥っても、暗殺を優先させた彼らをどうにも理解できないような顔のリュカに、クライヴは苦笑した。


 「ま、その辺はおいおい。で、フィエルテに入ってあんたに返り討ちにされたのが六日前か。その翌日、あんたがフィエルテを発ったって知って、追いかけてきたってわけ」

 「よくわかったな」


 思わず感心する。今回、商工会からの命ということもあり、自分がルベルマクへ来ることはラインとアストラにしか知らせていなかった。

 自分も行くとかなりごねた幼馴染を何とかなだめすかし、商工会の監視と父の連絡待ちを頼んだのはそう古い記憶ではない。


 「俺はそっちが本業だからね、いわゆる情報集め」

 「なるほど」


 納得しつつカップの中身を飲み干す。


 「それで、俺に何を協力してほしいって?」

 「婆様に会ってほしい」


 今度口を開いたのはナギの方だった。軽く首を傾げ、表情で疑問を伝えると、彼女は視線を手元に落とす。


 「……正直、里が――婆様が無事だとは思っていない。けれど、確かめたいんだ。何があったのかを」

 「――俺でなくてもいいだろ?お前ら二人で十分じゃねぇか」


 それはリュカの本音だった。クライヴの方はよくわからないが、六日前に剣を交わしたナギの力があるならたとえ何者かに襲われたところで、大丈夫だろうと思う。

 しかし彼女は静かに頭を横に振った。握りしめた拳の上に雫が落ちて弾み、慌てて目元をぬぐう。


 「クライヴが言うには」


 唇がわずかに震えていた。それを慮ってか、先を遮るように続ける。


 「俺は、婆様に聞かされてた。俺たちが発ってそう遅くないうちに、里が襲われ壊滅状態になるだろうってことを」

 「……なんでわかるんだよ」

 「そりゃ婆様だからとしか言いようがない。少し先が見えるんだと」


 世の中、不思議なことはままあるとはいえ、リュカは思わず胡乱げな表情になった。互いに仕方のないことだとは思うが、それを説明する術が黒衣の二人にはない。彼女のことは『そういうもの』として、当たり前に存在していたからだ。

 言葉に詰まった二人を見て、ため息をつく。ここはこっちが折れるしかなさそうだ。本当にしろ勘違いにしろ、そこに意図的な嘘をつく理由はないだろうとリュカは考えた。

 それを感じ取ってか、クライヴが小さく礼を言う。


 「婆様にその話をされたとき、あんたのことも言ってた。助力を請えと」


 力を見極めうんぬんは黙っておいた。ナギが本気で殺しにいっても適わなかった相手の、その力量を見誤るほど彼は愚かではない。ただ、底の見えない男だとは思っていた。

 眉をよせて肘をつくリュカに、クライヴが続ける。


 「婆様が何に対してあんたの助力が必要だと言ったのか、俺たちにはわからない。でも、あんたにとっても悪い話じゃないはずだ」

 「へえ?具体的にどんな?」


 少しだけ面白そうに言って、リュカは問いかけた。それに対し、クライヴは口角を吊り上げて意味ありげな笑いを返す。


 「里を襲撃したのはヴールの連中だ、おそらくな」


 リュカの表情が険しくなって、ついていた肘がわずかに浮いた。


 「婆様曰く、あいつらは邪法を手に入れたらしい。イリャルギに攻め入ったのも、そのあたりが関係してるんじゃないか?」

 「――邪法」


 知れず、声が漏れる。


 「もうひとつ。俺たちのいた里は、この町から行けるサイユの森の中にあるんだが、川ひとつ越えりゃヴールの領地だ。向こう側は長らく何もなかったみたいなんだが、最近になってずいぶんと人が入ってきてるらしいぜ」

 「……どこ情報だよそれ」

 「秘密。ただなぁ、サイユの森はなぁ。あちこちに里の仕掛けた罠があって、素人が一人で抜けるのはなかなか難しい。ってか、まず無理だな」


 てめぇ、とリュカが呻いた。


 「なかなかいい仕事するじゃねぇか」

 「褒め言葉として受け取っとくね。そうそう、俺たちこの少し先にある、ラルデットって子の宿に泊まってるから」


 にこにこと笑って言い終わると、クライヴはすっと席を立つ。戸惑った様子のナギを促し、自分たちの分として銅貨数枚をテーブルに置くと、そのまま町中に消えていった。

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