第6話

 外では変わらず月が頭上に輝いている。

 一度それに目をやって、少し雲が出てきたようだと思った。そのまま視線を石畳の上に戻すと自然口から深い息が漏れる。


 「親父殿、いったい何やってんだよ」


 独り言も一緒に漏れ出て、誰が聞くともない愚痴は、ただ固い地面の上を滑って消えた。

 商工会大老部、主にその筆頭からの話を整理しながら家への道を歩く。酒場ももう営業を終了したと見えて、街の中はずいぶんと静かだった。


 ヴールがイリャルギに攻め入り――救援要請を受け、紅炎騎士団が二国の国境へと向かった。その後どうやら、父バラストが行方不明になったのは本当らしい。しかも彼単身ではなく、紅炎騎士団の団員達も同様に姿を消した。

 何故か、を考えても答えはない。また月を見上げ、リュカは考えを巡らせる。


 フランクの言うことはほぼ嘘だろう。バラストに限ってヴールと内通などするわけがない。何より、イリャルギに攻め入ったヴールと通じていたとして、それが彼にとって何の利益があるというのだろうか。

 フランクもそれは解っている。だから、リュカの除名をぶら下げたのだ。


 「正直、俺としては騎士団って形に何の拘りもないんだがなぁ……」


 彼のぼやきを、丸い月だけが聞いている。


 「とはいえ、団長に頼まれちまったからなぁ」


 何度目かのため息をついて、いつしか止まっていた歩みを再開することにした。

 とりあえずラインにだけは事の次第を話しておこうと結論付け、夜の街を進む。もうすぐ自宅が見えるはずだ。街中の灯りはすでに消え、出てきた雲が少しばかり月を隠し始めているが、歩き慣れた道だ。何の問題もなかった。


 ふと、リュカは足を止める。思案にふけるためではない。数秒その場で立ち止まり、行き先を変えた。

 彼が向かったのは、王城と自宅を結ぶ道から一本逸れた場所――街の中心部にある広場だ。


 日中であれば家族連れや恋人同士など、いろいろな人たちでにぎわう広場も今は当然静まり返っている。真ん中にある大きな噴水は動きを止め、澄んだ水を蓄えていた。

 その噴水を背に、リュカは周囲をぐるりと見渡す。それを見計らっていたかのように、強い風が吹いた。月が完全に隠れるまで、それほど時間はかからなかった。

 耳が痛くなるほどの静寂の中、月明かりは消え、辺りが暗く覆われる。


 一瞬の後、ぱしゃり、と水の跳ねる音がして、リュカは腰に携えていた剣を抜いた。


 キィン!


 金属音はすぐ横からした。はじいた感触が、利き手の手のひらに伝わる。

 気配はない。足音もしない。それでもリュカは、剣を構えたまま微動だにせず待っていた。


 風が揺らぐ。自然な動きで身をかがめると、彼の金髪が数本切れて宙に舞った。即座に体を起こして数歩横へ移動すれば、閃く刀身がその場所を薙いだのが解る。

 次第に目が慣れてくると、相手がずいぶん小柄であるのが見えた。その小柄さを生かして、懐深くにもぐり込もうとしている。リュカは大きく後ろに跳んだ。

 再び耳障りな金属音が響く。剣の横腹で左からくる斬撃を受け止め、右からくる蹴りをできる限り小さい動作で避けた。


 誰もいない、何も聞こえない空気の中、確かにリュカに伝わってくるのは、焦りだった。

 今度は頬を、強い風が撫でていく。頭上の雲がゆらりと動いて離れる。

 幾度も繰り出される刃の主にとって不運だったのは、雲の隙間から細く伸びた光。それだけで彼にとっては十分だったことだ。

 細い光の下で露わになった何度目かの銀色を、リュカは自らの剣で叩き落とす。ほぼ同時に飛んできたもう片方の手、その中に握られた短剣は空いた手で握りしめ止めた。


 「いってぇな、おい」


 答えはない。最初から期待はしていなかった。

 両刃の刀身を掴んだせいで手のひらが切れている。だらだらとこぼれる血を気にすることもなく、そのまま彼はその手で短剣の持ち主の手首を捕まえた。暗い中でも、ぎょっとした相手の感情が読み取れる。


 「ずいぶん細せえな。ガキかよ」


 何か言い返そうとして、相手が言葉に詰まった。


 「恨まれる覚えがないとは言わねぇが、殺されるほど恨まれるようなことはしてないと思うんだがなぁ」

 「……!」


 振りほどこうとする力は伝わってきたが、リュカは一切掴んだ手を緩めない。当然といえば当然の行為だったが、手のひらから滴る血がありながらも平然とそれをやってのける。

 膠着状態は少しの間で、そうこうしているうちに雲が完全に晴れ、再び明るい月が広場を照らした。

 月明かりの下、改めて襲撃してきた相手を見て、リュカは少なからず驚く。


 身長は彼の肩のあたりまでしかない。動きやすそうな黒い服で全身を覆い、口元には同じ黒色の布を巻きつけている。顔の上半分はそのまま出しているが、髪が赤を含んだ色であることと、長い睫に縁取られた、猫のように吊り上った大きな目が特徴的だった。


 「女かよ」

 「うるさい!」


 何かが逆鱗に触れたらしい。それとも顔を見られた以上、声を隠す必要もないと思っての怒声だろうか。


 「離せ!」

 「そう言われてはいわかりましたって離す馬鹿そうそういねぇだろって」

 「知るか!離せ!」

 「うわっ、ちょ、お前暴れんなよ!」


 怒鳴りながらじたばたと動き出した相手を何とか抑え込む。


 「ったく、ちょっと落ち着けっつの。迎えきてんじゃねぇか」

 「迎えだと?」


 訝しげな顔をして、襲撃者はリュカを見た。

 視線を誘導してやると、広場の端に人影を認めげんなりした表情になる。


 「よ、ごくろーさん」


 片手をあげ、のんびりとした口調で言ったその人影は、今しがた襲撃された側へと歩いてきた。


 「なんなんだっつーの。勘弁しろよ」

 「ごめんごめん。こっちにもいろいろ事情があんのよ」


 気安い間柄のように聞こえるが、まったくの初対面の男である。少なくともリュカは。


 「さ、帰るよ」

 「ふざけるな!わたしはまだ!」

 「ふざけてないって。お前さんだって、相手の力量ぐらいわかるでしょうに」


 ぐ、とまたも襲撃者は声を詰まらせた。


 「いくらやったって殺せやしないよ」

 「……でも」

 「自分の得意とする舞台で、こうやられちゃね。無理だってことぐらい解るでしょ?」

 「……うう……」


 まるで親子のような会話だ、と思いながら抑え込んでいた力を緩める。

 のろのろとした動作で起き上がる相手を見て、どうやらもう敵意はなさそうだと判断した。改めて男を見ると、実に目立つ風貌をしている。

 少し長めの銀の髪に、片方の眼帯。背にはずいぶんと大きな荷物を背負った、リュカよりも頭ひとつは大きい男だった。


 「で、お前ら何なんだ?」

 「うーん」


 もう一度同じ問いを投げてみる。眼帯の男は、軽く首を傾げて頬を掻いた。


 「よければ、今度改めて話をさせてもらえるかい?」

 「闇討ちなんかじゃなく、飯のあるテーブルについて、なら構わねぇよ。ただ俺にも予定があるからな」

 「それは大丈夫。そっちはそっちの都合で動いてくれてていいよ。適当に俺たちが追っかけるから」

 「わかった」


 抜いたままだった剣を鞘に戻しながら、リュカは頷いた。左の掌がずきりと痛む。

 それを見て、はい、と眼帯の男が布を差し出した。素直に受け取ると、滴っている血を拭き取る。きちんと流れていた血が固まって止まり、綺麗になったところで、悪いな、と顔を上げると、もう二人は影も形もなく消え失せていた。



◇◆◇


 「リュカ・デジレ・アッシュ」


 再度その名を口にする。目の前の老婆が静かにうなずいた。

 頭の中に、いくつもの疑問が浮いている。それを飲み込んで、ナギは広場から離れた。少し先に、家の壁にもたれたクライヴがいる。相変わらずの大きい荷物を手に、彼は軽く手を挙げた。同じようにしてナギも答える。

 それから二人は夜を待ち、里の奥へと向かった。そこには先ほどの老婆の住む大きな家がある。里の中で一番大きいその家に住むのは、里の長であると決まっていた。


 「婆様、入るよ」


 軽くクライヴが声を掛けてから扉を開けると、奥の方からそれを促す声がする。彼に続く形でナギも中に入ると、老婆がいるだろう広間へ向かった。


 「婆様、ただいま」

 「おう、よく帰ったの。外はどうじゃえ」

 「ヴールとイリャルギの話で持ちきりだ。フォルトリエも動いてるようだけど、どうも全容は掴めないね」

 「そうかそうか」


 椅子のようなものはない。簡素で大きい敷物が二組置いてあるだけだ。その片方の上に老婆――タエが座っているので、クライヴとナギはその反対側の敷物の上に腰を下ろした。


 「ところで婆様、話って?」


 ナギが切り出す。老婆は皺くちゃの顔をほころばせて彼女を見た。


 「先ほどの依頼じゃがな。クライヴ、お主この子についていってやってはくれんかの」

 「俺が?こいつの仕事に?」

 「婆様、わたしひとりじゃ不安だとでも!?」


 驚いた声と、焦った声が重なる。しかし老婆は笑いながら、言葉を続けた。


 「少しな。少し、見えたからじゃて。ナギ、婆はお前が可愛くて仕方がない」

 「……婆様?」

 「いいか、婆の可愛い子よ。仕事が終わるまで、何が起きても戻ってくるでないぞ」


 じわりと不安が広がる。視線をクライヴに向ければ、口元に笑みを浮かべてはいるものの、見える目は真剣そのものだ。

 ナギは何か言おうとして、タエの顔を見た。そしてその目を見て、何も言えなくなり黙り込んでしまう。

 鼻の奥が確かに痛んで、けれどそれを気づかれたくはなく、彼女は立ち上がった。


 「クライヴ。明日朝、出発する。支度を……頼む」

 「――ああ」


 彼も、何かを感じ取っているのが解る。これ以上、自分は二人の話を聞いてはいけない。聞いたらきっと、発てなくなってしまう。そう思い頷いて、ナギは先にその場を後にした。


 「全部話してやったらいいのに」

 「ほっほっほ。あの子は優しいからの、自分だけ助かるなんてことはできまいて」

 「それをさせようってんだから」

 「お主が帰ってきたからの」

 「――そうかよ」


 自分のような青二才が、この老婆の決心を覆すことなどできはしない。わかってはいたが、苦々しく唇を噛んだ。


 「それで、何が見えたんだ?」

 「そう遠くないうちに、里がなくなる。老いも若きも皆殺されるじゃろうて」


 明日は曇るから夜には雨が降るだろう。まるでその程度のことを言っているようにしか聞こえず、クライヴは老婆の言葉を反芻する。


 「お主が帰ってきてくれてよかった。あの子ひとりでは何かと不安じゃが、外との連絡役であるお主が共にいれば」

 「……俺にも、あんたたちを見捨てろってのか」

 「ひどい親じゃと罵ってくれて構わんよ」


 どこか楽しそうに老婆は言った。言えるわけがない。ため息しかでねぇよとつぶやいて、クライヴは話を変えると言葉を続ける。


 「調べてきたアッシュ家の三男坊だが、ありゃダメだ」

 「ほうほう。あの子でも勝てなさそうかえ」

 「無理だな。力量の差もあるが、あれは死なせちゃならない奴だ」


 ほう、とタエは白い眉を持ち上げた。


 「商工会が悪で騎士団が善だとは言わねぇが――それでも、俺はやめたほうがいいと思うがね」

 「なるほど」


 なるほど、ともう一度同じ言葉を口にして考え込む。上げた眉を戻し、不意に家の窓へと顔の向きを変えた。つられてクライヴもそちらを見るが、窓の外は鬱蒼と木々が茂っているだけだ。


 「ヴールはなぜ、今動いたのか――わかるかもしれぬの」

 「わかったから何なんだよ」

 「クライヴ」


 独り言のような声に思わず茶々を入れると、真剣に名を呼ばれた。静かに老婆へ向き直ると、次の言葉を待つ。


 「我、タエ・アマヤの御名において命ずる。ナギ・アマヤと共に、かの人物の元に赴きその力を見よ。そして、信頼に足るものがあるのならば――助力を願い出よ」

 「――助力?」

 「儂の見立てが確かならば必ず、それが必要となる。ヴールの邪法を許してはならぬ」


 邪法について聞き返したかったが、それはかなわなかった。突如糸が切れたかのように、タエの体がその場に伏せる。


 「……大丈夫かよ、婆様」


 『告げ』があるときはいつもこうだ。慣れたこととはいえ、いささか心臓に悪い。近づいて声を掛けると、規則正しい呼吸音が聞こえた。瞳を閉じた表情は柔らかく、特に心配しなくてもいいことがわかる。

 クライヴは短く息を吐いて老婆を右手の部屋へ運び、寝所へ体を横たえた。

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