第5話

 一応失礼のない服装――運動着ではさすがに無理があると判断してのことだ――に着替え、商工会館へと向かう。


 頭上からは、やはり月が明るく夜道を照らしていた。民家も大半が寝静まっていて、街の灯りは今も営業しているらしい酒場ぐらいである。

 外に漏れ聞こえてくるにぎやかな酒場の声をほほえましく聞きながら、リュカは王城の方向へと足を向けた。


 「正直、あんまいい予感しねぇなあ……」


 思わずつぶやいた言葉が、石畳に吸い込まれていく。

 それを追いかけるようについたため息も、誰が耳にすることもなく掠れて消えた。


 王城へ続く階段を上がる。昼間、騎士団長二人と話したノエルの別邸を横目にもう少し上へ向かうと、すぐに目的の建物が目に入った。

 一応の遠慮なのか、王城よりも三段ほど低い位置にあるそれはさほど大きくはない。


 それでも中を知っているリュカとしては、剣呑な目つきにならざるをえなかった。

 建物の入り口に向かう。王城の警備隊とも、騎士団とも異なる鎧を身に着けた二人の兵士が彼に向って一礼した。


 「中でお待ちです」

 「……ああ。ありがとう」


 とりあえずの礼を口にして、片方が指し示す扉を押し開く。

 思いのほか軽く開いた扉から中に入ると、薄暗い照明が幅のある廊下を照らしていた。


 「相変わらずだな、ここは……」


 聞き取れるかどうかの小声で漏らす。

 リュカがそう言うのも無理はなかった。何しろ、王城よりも装飾の量が多い。


 長さこそないが、幅のある廊下の脇には彫刻が並び、その隙間を埋めるかのごとく豪奢な花瓶に活けられた生花が飾られている。薄暗く保たれた照明は繊細な細工が施されており、足元の赤い絨毯に至ってはやたらと毛足が長い。

 左右に点在する扉にも、華美な装飾と彫刻がなされていたが、正面にある両開きの扉はそれらを凌駕していた。華やかという域を通り過ぎ、これでもかと金銀宝石と立体的な彫り細工で煌びやかに飾り立てている。


 見る人が見れば財の象徴であり、これだけの物を作ることができるという権力をも表しているように思えるが、リュカに言わせればただただ悪趣味なだけだ。

 再びのため息をついて、趣味の悪い扉を二度叩いた。少しの間があってから、無愛想な声がする。


 「入れ」


 それには答えず、リュカは黙って重い扉を開けた。

 中央は広く、そこを取り囲むような形で半円形に人が座っている。中央よりも周囲を一段高く誂えてあるあたりに苛つきながら、部屋の中心部へと歩み出た。


 正面でこちらを見据えているのが、呼び出した張本人のフランク・ドゥ・ギロディだ。綺麗に禿上がった頭に、対照的な長い髭をたっぷりと蓄えた老爺である。

 部屋の中にはリュカとその老爺を除き、他に六名が着席していた。どれもこれも見飽きた顔ではあるが、その中にひとつ彼の知らない顔がある。


 年のころはおそらく亡くなった銀翼騎士団の団長と同じぐらい――四十前後だろうか。あまり手入れのされていなさそうな、もっさりとした黒髪に同じ色の目が丸眼鏡の奥で笑っている。

 フランクを含めた他はみな老人といって差し支えない年齢だけに、彼だけが異物に思えた。


 「さて」


 口火を切ったのは他よりも年若いその人物だ。


 「どうするんです?」


 どこか面白がるような口調に、わずか眉を寄せる。あからさまな嫌悪は顔に出さなかったものの、どういうつもりなのかとリュカは訝しんだ。

 しかし当の本人は、それすらも予想の範疇だと言わんばかりに笑っている。


 少しの後、不愉快さを明らかにしたのはリュカではなく、ちょうど反対側に座っているこれまた頭髪のない老人だった。


 「いい加減になされよ、ニース殿」


 フランクとは異なり髭はない。渋い口元を隠そうともせず、禿頭の老爺ドミニク・ル・リスナールが諌めた。


 「失礼しました、リスナール殿」


 一応はそんな言葉を口にしつつも、ニースと呼ばれた男にはこれっぽっちも悪びれた様子はない。部屋の中のほとんどの人間が、呆れのため息をつくのが解った。

 リュカは改めて、彼が異物なのだと確信する。


 「銀翼騎士団副団長リュカ・デジレ・アッシュ」


 壇上からの声に、視線をフランクへと戻す。普段からしかめ面の老爺は、ますます顔をしかめて続けた。


 「貴殿を呼び出したのは他でもない」

 「……はあ」


 気のない声を返す。こんな時間の呼び出しになったことに対しては何もなしか、という嫌味が込められていることに間違いないが、老爺がそれを気にしているようには見えなかった。


 「この度の紅炎騎士団およびバラスト・フォン・アッシュの挙動についてである」


 父の名を出され、片眉がぴくりと反応を示す。しかしリュカは、まるで興味などないかのように装って答えた。


 「そのことなら、俺は何も。王城への定期報告が途絶えたことは耳にしていますが、個別に連絡などあるわけもなし。あの人の挙動なんて知るわけがないでしょう」


 軽く肩をすくめる。ほんの少しのざわつきがあって、それを抑えるように再びフランクが口を開いた。


 「貴殿が知らずとも我々が知っていることもある」


 相変わらず勿体ぶった言い方だと胸中でつぶやく。先を促すのも面倒になり、黙って話の続きを待った。


 「ヴールとイリャルギの国境付近へかの紅炎騎士団が救援に赴いたのが四十日前」


 正確には四十四日前であることを、リュカは知っている。


 「王城への報告が途絶えたのは十五日ほど前だったか。とにかく今現在、バラスト・フォン・アッシュはその行方をくらませている。紅炎騎士団の団員たちもまた、半数以上の姿が消えているとの報告を受けた。さらに、内密な話ではあるが――」


 一度話を切り、視線が注がれた。睨む、というよりは、ねめつけるような眼差しだ。


 「紅炎騎士団団長でありながら、ヴールとの密通が」

 「はっ」


 かみ殺しきれなかった笑いが鼻から漏れる。正直しまったと思わなくもなかったが、訂正する気は欠片もない。


 「本気で言われてるんですかね。大老部筆頭ともあろうお方が、とうとうボケちまいましたか?」

 「――なっ!」

 「失礼な!」


 にわかにざわつく室内を嫌々ながら見回して、リュカは続けた。


 「どっちが失礼だと?勝手に人の父親を売国奴認定されりゃ、嫌味のひとつも言いたくもなるでしょうに」

 「わ、我々はだな!純然たる事実を述べているだけにすぎん!」

 「へえ、純然たる事実、ねぇ?」


 すっと目を細める。


 「時にその事実ってやつは、いったいどこからもたらされたもので?まさかとは思いますが、自分の子飼いの者からの情報を『純然たる事実』だなんて言いませんでしょう?」

 「な、なにを」

 「平たく言いましょうか?あんたらの手の内にある人間が持ってきた情報なんか、ひと欠片の信憑性もないって言ってんですよ」


 口調こそいくばくかの丁寧さを残してはいるものの、冷たく言い放つと老爺たちは揃って視線をさまよわせた。どの禿もこの禿もあの髭も、と口には出さず毒づいておく。


 「むろん」


 その中でフランクだけは、落ち着き払って頷いた。


 「調査は引き続き行わせている。しかし、そういった報告が来た以上、何事もなきようにはできぬ」

 「ああそうですか。で?」

 「リュカ・デジレ・アッシュ」


 言いながら、老爺は一枚の紙を取り出す。それをリュカに見えるように開いて続けた。


 「貴殿を銀翼騎士団より除名する」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 内容が、というよりは、なぜその言葉を目の前の老爺が口にするのかがわからない。

 自然、表情は険しくなり――けして大柄ではない背中からは明確な殺気があふれ出た。


 「……陛下は何と?」

 「何も」

 「もうひとつ。なんでそれをあんたが命令する?騎士団に関しての何の権限がある?」


 体裁を保っていた口調を葬り去り、リュカは問う。

 

 「貴殿がこれを命と取るかは貴殿の自由。だが、忘れてはおらぬと思っている。我らと貴殿の飼い犬の関係を」

 「――おいクソ爺。その言葉、確か前にもやめろと言ったよな」


 今度はその暴言を止める者はいない。たとえ老人でなくとも、彼の全身から怒りが吹き荒れている最中に、口を挟める勇気のある者もそうそういなかった。


 「本格的にボケたかクソ爺。何度言ったらわかる?てめぇのその見た目風通しのいい頭の中にはおがくずでも詰まってんのか?」


 口から先に生まれてきた、などと揶揄されたことは一度や二度ではない。普段はあくまで柔和な印象を与える目を半分ほどの大きさまで絞り、一段高い場所から見下ろしてくる老爺を睨み付ける。


 「昔話よろしく舌でも切り落とさねぇと、おかくずには理解もできねえのか?それとも挑発で言ってんならいくらでも相手になるぜ。そうやってあいつを引き合いに出さなくてもな」

 「……失言を詫びよう」


 あくまで淡々とフランクは告げた。ふん、と鼻を鳴らし、リュカは元の問題に戻る。


 「それで、騎士団から俺を除名することに何の意義がある?」


 問題を戻しはしたが、口調は戻さない。ついでに睨む目つきもそのままに問いかけた。

 それに対し、フランクは少し考えるような素振りをしてから答える。


 「何も。ただ、交換条件を出そうとは思っていた」

 「そんなもんに俺が乗るように見えるか?」

 「見えぬ、な」


 言う老爺はどこか面白がっているようにも見えた。軽く首を傾げながら、リュカは次の言葉を待つ。


 「見えぬ。が、貴殿は断るまい。我らからの要求を」

 「そりゃ時と場合によるな」

 「いいや、断るまいよ」


 見透かされていることに苛立ちながらも、彼は深く息を吐いた。実際、狡猾な老爺の言うとおりでもある。


 ラインをはじめとした市場の子供たち。表面上は商工会に属しながらも、騎士団を何かと助けてくれている店や人の数々。それらは商工会が目零ししているにすぎないと、嫌々ながらリュカも理解していた。

 そして、騎士団そのものの存続に必要な金の出所や、それに伴う兄や父の存在など――とにかくいくつもの事情が折り重なっていて、リュカは商工会の要求を突っ撥ねられる立場にない。

 解ってはいるが、それこそ『飼い犬』になるのは矜持が許さなかった。そしてフランクもまた、そんな彼の心情を理解していた。それがリュカには不思議に思えた。


 「回りくどいことがお好きなようで」


 そんなリュカの心情を代弁するかのように、丸眼鏡の男が言う。呆れているようにも聞こえたが、老人たちは特に何も言わなかった。


 「さて、リュカ・デジレ・アッシュ。様々思うところがあろうが、銀翼騎士団への復帰条件がないわけではない」

 「交換条件だろ。いいから早く言えよ」

 「ならば、アッシュ家がヴールと無関係である証として、フォルトリエとヴールの国境視察を依頼したい」


 フランクの言葉を咀嚼するのに、少しばかりの時間が必要だった。その間に他の人物の表情を見回してみる。頷く者、眉をひそめる者、納得していないように首を傾げている者とそれぞれに思惑が浮いて見えた。


 「それが証明になるのか?」

 「国境近くにヴールが砦を築いているという報告があった」


 リュカの問いには答えず、フランクは続ける。視線を彼から見て右の方へ移すと、一番近くに座っていた黒々とした髭の男が立ち上がった。確か、アマット・ディ・キヤーという名だったとリュカは思う。


 「詳しくはまだ解っておらん。ただ、我が国の東側は深い森などが広がっており、国境と言っても不明瞭な部分が多いのだ」


 やたら胸を張り、偉そうに言うアマットを苦々しく思いつつも頷いた。


 「その不明瞭な部分、すなわち森の内部にヴールの物と思わしき砦の存在が確認された。あの辺りは隠れ里などの小さな村が点在していることもあり、貴殿には早急に報告の真偽を確かめてもらいたい」

 「そのうえで」


 アマットの言葉にかぶせるように、再びフランクが口を開く。


 「必要があれば、砦を攻略すること。ただし、秘密裏に」

 「――そういうことかよ」


 最後に付け足した言葉に、軽く舌打ちを混ぜてつぶやいた。

 要は、騎士団として動くなと。内々に、リュカ一人で何人いるかもわからない砦を落としてこいというわけだ。


 「落とす必要があると判断したが、俺一人でどうにもならんと結論が出た場合は?」

 「報告するがいい。こちらで対処しよう」


 それもまた、リュカにとっては微妙な脅しだ。

 王城に報告を入れるのではなく、商工会に入れろとフランクは言っている。そして場合によっては当然ともいえるが、商工会が動くのだろう。

 もちろん、リュカが商工会を無視して王城に報告を入れる可能性がないわけではないが、それを先に潰しにかかっている。何度目かのため息を吐いて、リュカは言った。


 「なんで俺なんだよ。他にもいるだろうが」

 「子飼いの者は当てにならんでな」


 先ほどの台詞を奪われ、言葉に詰まる。今度は全員に聞こえるよう大きく舌打ちをして、あからさまに肩を落とした。それを了解の意ととったフランクが頷いているのが視界の端に見えて、飲み込みかけた二度目の舌打ちをする。

 彼にできるせめてもの抵抗手段は、悲しいかなそれだけであった。

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