第2話

 少し歩きましょうか、と提案したノエルに拒否する理由もなく、王城を出る。

 そこから階段を下まで降りれば王都の街並みが広がっていたが、彼女の向かった先は城と街の間、ちょうど丘の中腹あたりにある庭園だった。


 「綺麗でしょう?この間咲いたの」


 庭園は色とりどりの花が植えられている。中心部には小さな噴水があり、絶え間なく水が噴き出していた。

 どうぞと勧められるまま、置かれたベンチに腰を下ろす。ティエリーはといえば、勧められる前に定位置なのだろう椅子へと深く腰掛けていた。

 ほどなくして、訳知り顔のメイドが茶を人数分運んでくる。


 「自身の邸宅よりもこちらにいるほうが多いのではないか?」

 「そうかもね」


 茶化すようなティエリーの言葉に、ノエルは微笑んだ。この庭園は、彼女にとっての別宅だということは誰もが承知している。

 いたたまれないような気分で運ばれた茶を口に運び、そういやグレースに悪いことをしたとリュカは思った。食堂にそのまま置いてきたカップには、まだ彼女の淹れたグランジェの茶が半分ほど残っている。


 「しかし、バラストの倅よ」


 突然ティエリーにそう言われ、リュカは視線を向けた。


 「商工会が気に食わないのは儂らとて同じだが、孫にまで喧嘩を売る必要はなかろう」

 「いやちょっと待ってくださいよ将軍」


 フォルトリエに将軍と言う位はない。それは幼いころのリュカのつけた仇名だったが、これほどこの人を端的に表している言葉もないと自負していた。

 肩書としてはリュカより上にあたる彼だが非常に気さくな人物で知られている。加えて、父と竹馬の友であるがゆえに、幼いころからティエリーを知っているリュカとしては遠慮なく反論した。


 「あれは騎士学校時代からあいつの方が絡んでくるんですよ。アッシュ家の三男って知った時はやたらめったら引っ付いてきてたくせに、いつだったか御前試合で転がしてやったらそれ以来嫌味たらたらしつこいのなんのって」

 「ほう?」


 将軍こと金剛騎士団団長、ティエリー・イポルート・ル・コントはリュカの言っていることを確かめるように彼を見る。


 「まあ、事実どうであれ我ら騎士団と商工会の仲をあまり煽るようなことをするでない。万が一、陛下の御足元で何かあっては守れるものも守れんからのう」

 「……はい」


 わかってはいるのだ。だが、どうしてもザールに嫌味を言われるとそれに対して応酬するのが癖になってしまっていた。

 頬を掻きながらも頷くと、ティエリーは僅か目を細める。


 「時に、お主。正式に銀翼騎士団の団長になる気はまだ起きんか」

 「またその話ですか」


 やれやれといった仕草で息を吐くと、彼は面白そうにリュカを見た。


 「何を渋っているのやら。団長だったローレンスが病に倒れてからというもの、ずっと言い続けておるだろうに」

 「俺はずっと断り続けてるはずですけどね、将軍」

 「お主以外に誰がおる。いつまで副団長の肩書に甘んじているのだ?」

 「誰でもいいですよ、俺じゃなければ」


 少々投げやりだったかもしれない。こら、とノエルのたしなめる声が割り込む。


 「誰でもいいわけないでしょう。ローレンス様が草葉の陰で泣いているわよ」

 「どうだか、あの人その辺丸投げでしたからね」

 「もう!」


 唇を尖らせる彼女に、リュカとティエリーが同時に笑った。


 「あなたの考えていることもわからないではないけれど、このまま銀翼騎士団の団長が不在のままということになると――商工会の誰かが送り込まれてくるかもしれないわよ」

 「そうなったらそうなった時ですよ。団長ひとりぼんくらだって、俺とあいつらならどうにかなります」

 「……ほんと、あなたって……」


 呆れた顔を向けられるが、こればかりはリュカも譲る気がなかった。譲ってはならない理由があった。

 しかしそれを説明したところで、今二人がわかってくれるとも思わない。にっこりと笑って毒気を逃がし、彼は銀翼騎士団の話を終わらせることにする。


 「仕方ないわね」


 本題に入ろうかしら、と柔らかな声が言った。

 彼女は新緑騎士団の団長、ノエル・ベネディクト・ジラールだ。ほっそりとした長い足を組み換え、微笑みながら問いかける。


 「それで、バラスト様からご連絡などはないの?」

 「ないですね」


 ノエルの問いは、先ほど謁見の間でエミリエルとヴァランタンに聞かれたことと同じだった。あいにくそれ以外の回答を持っていないので、あっさりと答える。そう、と言いながらも彼女は表情を曇らせた。憂いを帯びた表情も絵画のようだ。ノエルがため息をつくと、心なしか庭園の花たちが揺らいだように思えた。


 バラスト・フォン・アッシュ。その勇名はフォルトリエ国内だけでなく、他国にも知られている。彼は、紅炎騎士団の団長でありまたリュカの父でもあった。


 ヴールがイリャルギに攻め入ったという報が王城にもたらされた後のこと。直接イリャルギから救援要請を得て、実際の国境侵犯からはおおよそ十日ほどあとに、紅炎騎士団は王都フィエルテを発った。救援要請を受けてのことだ。

 そして、ヴァランタンの言うことが本当であれば。バラストをはじめとした紅炎騎士団からの定期的な報告が途絶えて、十五日が経っている。そのことを二人が知っているのか定かではなかったが、ノエルの言い方からリュカは推測ができた。

 おそらく、連絡が滞っていることは知っているのだろう。ただ、少年王たちほどはっきりと消息が不明であるとは気づいていないようだ。


 「しかし、無血同盟を持ち出すとは」


 ぽつりとティエリーがつぶやく。


 「我が陛下は少々お人よしが過ぎるな」

 「あらティエリー、だったらイリャルギのことを見捨てるべきだったと言いたいの?」

 「そうは言わぬ。だが、騎士団の出陣を強く勧めたのが商工会というのがどうにもな」


 大陸には無血同盟と呼ばれるものが存在する。ヴール、フォルトリエ、レイモン、マギサ。四ヶ国の間で交わされたその同盟は、もしも加盟国が他の国に侵略した場合、残りの国々が速やかに敵に回ることを示していた。

 大陸全土での戦争を防ぐ意味合いもあってか、強制力こそないものの四ヶ国はこの同盟を守り続けている。


 しかし、今回のヴールによるイリャルギへの侵攻は、この同盟に抵触するものなのかどうか、国内でも国外でも意見が分かれていた。理由としては、同盟の四ヶ国にイリャルギは含まれていないからだ。


 「商工会ははじめ、これは同盟破棄にあたらないと主張していたではないか」


 苦々しい顔で言う彼に、リュカが頷いた。

 あくまで同盟は四ヶ国間で結ばれているものであり、イリャルギは庇護の対象にはならないという主張だ。


 「俺の友人からもそう聞いてます。むしろ、救援を理由に他国に入ることは、こちらが同盟に反していると責められかねない行動だと」

 「それを、イリャルギから直接の急使がきたことによって言を翻した。今度は人道と同盟に乗っ取って救援を送るべきだと喚きだしたのだ」

 「その辺の事情、お二人は存じ上げないと」


 首をひねって言うリュカに、今度は二人の団長が頷く。


 「何も知らされておらん。バラストが発ったと聞いたのもその翌日のことだ」

 「ああ、それはなんだかずいぶん秘密裏に発つようにと、ヴァランタン様がおっしゃられたんですよ」

 「そうなの?」

 「ま、こっそり聞いただけですけどね」


 リュカの物言いから、二人はバラスト出立までのいきさつを何となく理解した。

 おそらく、彼の自宅に直接ヴァランタンが出向き――秘密裏に出陣を要請したのだろうと。

 なぜそんなことをする必要があるかまでは、はっきりと解るわけではない。ただ、推察はできる。しかしあくまで推察のため、誰も改めてそれを口にはしなかった。




 騎士団長二人と別れ、市街へと降りてきたリュカは噴水を眺めながら溜息をつく。

 浮かない表情のまま花屋で季節の花束を購入し、街をすり抜けるように郊外へと進んだ。街はずれと言っていいだろうその場所は、小高い丘になっている。木々に囲まれてはいるが、天気の良い日は東側――ヴールの山並みまでよく見渡せた。

 片手に花束を持ったまま、大きく伸びをする。それから、深呼吸を二、三度繰り返し、やっと人心地ついた。


 やはり緊張していたのだなと改めて思う。少年であるとはいえ、自国の王とその叔父との謁見の後、騎士団長二人と談話。合間にザールへの軽口があったものの、それ以外は普段と比べて言葉遣いすら気を使う会話だ。

 ひとしきり落ち着いた後、リュカは目的の場所へと足を向けた。丘の向こうには、墓地が広がっている。

 整然と並んだ墓石たちの形は、それぞれに故人の思いが形取られていた。その中で、彼が通い慣れた墓石には銀翼騎士団の紋章が彫られている。


 「どうも、ローレンス団長」


 言いながら、これもまた慣れた仕草で古い花を取り除き、先ほど新しく用意した花束を生けた。


 「さっきザールの奴に会いましたよ。相変わらず腹の立つ奴で」


 まるでそこに人がいるかのように、リュカは墓石を軽く洗いながら話し続ける。


 「それから、将軍にはまた小言言われちまいました。まあ、団長だったら解ってくれると思うんですけど。俺は副団長のままでよろしく」


 それほど間をおかずに人が来ているのだろう、墓石は大して汚れていない。それでもリュカは、心を込めるように手を動かしていた。


 「――リュカさん」


 かけられた声に振り向く。年は四十を過ぎたころだろうか、品のある婦人が眉尻を下げて微笑んでいた。


 「……すみません」

 「わたしに謝られることなどないですよ。いつも夫のためにありがとう」


 ぺこりと頭を下げられ、そうじゃないんだと言いたかった。しかしそれは口に出せず、微笑む彼女にリュカも頭を下げる。


 リュカが副団長を務める銀翼騎士団、その団長だった男――ローレンス・デル・キリアンがこの墓の下で眠りについたのは、一年近く前のことだ。それ以来、王都にいるときは少なくとも週に一度ここを訪れている。


 「昨日もクロヴィスさんやラインさん、イヴォンさんが来てくださって。その前はマティアスさんとクロードさん。ああ、それからレミさんやバジルさんたちも」

 「いつも騒がしいでしょう。ローレンス団長もゆっくり眠れているといいんですけど」

 「あらあら、あの人意外と賑やかな方が好きだから」


 銀翼騎士団の団員達もかわるがわる訪れているらしい。迷惑じゃなければいいんだけど、とリュカが困ったように言うと、団長夫人は楽しそうに笑った。その様子に、内心ほっと胸をなでおろす。何しろ、病で夫が息を引き取った時の彼女はひどく憔悴していた。


 「他にもね、騎士団の子たちがたまに自宅まで寄って下さるから嬉しくて。上の子たちはもう騎士学校に入るって決めてるみたい。心配がないわけではないけど……」

 「団長のお子さんでしたら、きっと素晴らしい騎士になれますよ」


 俺なんかよりもよっぽどね、と悪戯っぽく片目をつぶってみせると、夫人はころころと笑う。


 「本当に、騎士団の皆さんには感謝しているの。リュカさん、銀翼騎士団を宜しくね。あの人もきっと、そう笑っているはずよ」

 「……ありがとうございます」


 ティエリーに返したような否定を口にすることはできない。ただ礼を述べ、リュカは深く頭を下げた。

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